こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2016年1月11日 月曜日 備忘録 -地上のエイリアン-

2016-01-11 22:32:44 | 音楽帳

身の回り・仲間に死が切迫し出してから、そういった類の話から寡黙になっていた。というより意識的に回避してきた。渋谷(陽一)さんは著書で、森鴎外が亡くなる前「なんだ、こんなもんか」と人生のあっけない短さを嘆いたセリフを引用し、そんなことを言わないように前に進まねばならない、とまるで自らに語るように命じていた。その文章を十代の頃読み、勢いで自らにも課したが、今になって鴎外が言わんとした真意が分かってしまった。「そうだ」と思えたのは勢いだけで進めた時の自分。

周囲の死を語り出したら崩れてしまいそうな気がしていた。
それを嘆くよりも、切迫した中でも、より強く生きるという意思を捨てないことをばかり考えていた。

夕方コーヒー飲んでいると、病床のお袋から携帯に履歴が残っていた。大きな峠は越えたが、まだ手足はままならず何だろうか?入院して二か月を過ぎ、初めて来る電話番号からの電話。それが本人が掛けたかどうかは不明。メッセージをきくと『ボウイが死んじゃったよ』。そんなことを病人から聞くことになろうとは思いもしなかったことだ。
ボウイだけにはまだまだ永遠のエイリアンで居て欲しかった。新譜「ブラックスター」を聴いて、まだまだ行けるぜ。そう思っていた自分は浅はかだった。

ハタチで狂気に呑み込まれ苦しんだ時、あらゆるCUEを探して本を読み漁った。シンコーミュージックが出したボウイの文庫本はその中の一冊で、えんぴつで線を引き、付箋のようにちぎった紙をページに挟んで、いつでもめくれるようにしていた。1986年12月30日の本なので、アルバム「トゥナイト」までのボウイの言葉集。
危機の乗り越え方について、聖書みたいにめくっては読む数行。モノクローム写真も含めて、おおくの手がかりがあり刺激された。そこには家族親族に精神疾患者を持つ者として、自らの血を追求せざるをえない下りもあり、同じ境遇の自分を重ねたりもした。

その後、曲がり角にぶつかってもぶつかっても、何度も変身してきたボウイ。常に越えていくことを課せられた彼の業のようなものは、我々が望んだ残酷な期待。「ブラックタイ・ホワイトノイズ」で好きだったシングル「ジャンプ・・・」のサビは「飛んでみろ」と煽る周り(They Say Junp)だったが、それはボウイと我々観客の構図みたいでもある。

2002年アルバム「ヒーザン」、一昨年シングル「SUE」、そして新譜「ブラックスター」には手応えがあった。今日のmp3にも収まっていた。逆に新譜間もないのに不可解で、彼の死にしばし堕ちていたが落胆は次第に、何はどうという脈絡抜きの怒りになってきた。
「なんやねん、こんな制約だらけの糞心身よ。タラタラしてんじゃねえ、意のままに動け!」そう言いたくなる。あらゆる手段を用いて、何がなんでも運命に抗うという無茶、気分はもう総力戦、意味不明だが、そんな気分になった。

湿っぽさはボウイに似合わない。ドラッグ中毒から脱するべくイーノとベルリンに移り共同生活から生まれた作品、鬼気迫る切れ味鋭いナイフのような曲たちを今夜聴いて、闘う意思を新たにすべし。

■ボウイ 「美女と野獣」1977■
ロバート・フリップ:リードギター
カルロス・アロマー:リズム・ギター
ブライアン・イーノ:シンセサイザー、キーボード

80年代出てきたイギリスのミュージシャンの多くは、ボウイかブライアン・フェリーの影響下で音楽を紡いでいた。フォロワーともいえる彼らの数は非常に多かった。例えばジャパンの音が鳴っていた土壌も、その軌道の上である。それ自体の影響を受けていない、と否定しても、音にはその時々に敷かれたフォーマットのようなものがあって、それを無視することも出来ない側面がある。日本で言えば土屋昌巳さんなどもボウイに憧れてきた一人。ボウイは多くの音楽子孫を産み、進むべき道を開いた開拓者だった。

存在が大き過ぎるので、こういった方々がその愛を語るならまだしも、まるで芸能人みたいなことを言う者が出始めるだろうが、そういったノイズの外側にいたい。
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1 コメント

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ヒーローの死 (くもお)
2016-01-13 06:26:41
小学生か中1だったか。その頃に、ひとりで活躍するロックミュージシャンの存在を強烈に印象付けられたのがデイビッドボウイでした。
それまではクイーンやエアロスミスやウィングスが子供の僕が知っていたロックだったから。
Ashes to ashes
このビデオクリップを初めて見て、独特の世界観、美学に子供の僕はこころを奪われました。

The next day
Blackstar
で彼はまだまだ健在だと確信していたんです。特にBlackstarの完成度の高さは、死期が迫っている人のものとは思えませんでした。
彼は死なない人だと思っていたのです。スーパーマンのようなヒーローだと。

、、、でも彼はいなくなってしまった。

この数日こころのパズルのピースがひとつ消えてしまった虚しさを感じています。

だから、昨日見たブライアンイーノのコメントには涙が溢れてきました。彼らが再びアルバムを作ろうと計画していた事実も本当に残念ですが、二人の友情は僕らへの慰みになります。

まだまだ僕らは生きている。立ち止まってはいけない。人生を素晴らしいと感じて死ぬまでは、走り続けるんです。
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