前を通るたびに「また行列か、、、も少ししたら来よう」。
毎週そうつぶやいている間に最終日になってしまったモネ展。
ついに尻に火が付いて、必死になって行った上野の都美館。
正直、展示内容は大仰な広告ほどのものでは無かった。
また、絵の配置の仕方、人の動線を考えていないロケーションが上手くなかった。
そういうスタッフ側の出来は別にして、モネ展を見れたことに感謝した。
見終わって外に出た道で友人MZ師からTELあり。
「どこに居るの?」「今、上野の森だよ。」
そんな彼は、奥さんの義母を連れて箱根に居るという。「偶然だが、午前中箱根の印象派の絵を視ていたよ。」
彼に言われて「そうだな」と思ったのが、よほどなことがないと普通見られない絵を、目の前で見られる幸福。
「お互い、カネと自由時間がある利益収奪者や泥棒連中じゃないからね。海外になんか早々行けやしないんだから。」
最終日とあって、中に入るのに50分を要する。辛抱する。
都美館3フロアのうち、上がって行った最終フロア2階。
そのフロアは、70・80代にモネが描いた絵をまとめていた。初めて見たものばかり。
しだれ柳・日本の橋・・・目が悪くなるなか、キャンバスにのせた絵の具と筆。
荒々しい筆の転がりと、狂ったような色使い。かすれて塗られていない箇所・逆に絵の具のかたまりがこんもりとそのまま凝固した箇所。
【「キスゲの花」1914~1917年作品】
多くの人は注視して観ていなかったが、私が引っ掛かりを持ったのは、このフロアに掛かった絵たち。肉々しい絵につい急に吉田カツを想い出す。それくらいに、この時代の絵は従来のモネの絵画への印象とは異なる躍動感。
眼が悪かったモネは、これらの絵の全体像を、睡蓮の連作のようにして、微細な印象を表現すべく練磨した神経では描いていない。色や形をきちんと認知していたかは分からない、ある意味筆の成すがままに任せたはずである。ただ、絵とはそういうものであり、偶然が成した痕跡を一定距離や時間が、その佇まいを醸造する部分がある。
そこに一定の作業が作り上げた集積物が在る、という姿。
ある印象を形として成そうとした画家が、それを離れて、もう一つの絵の在り方に渡り・移っていったのは別段おかしくはない自然の成り行きである。
絵にはルールはない。自由だからである。
そんな自分の勝手で一方的な解釈で見られた70・80代の作品コーナーこそが、昨日の自分のめっけものであった。
そして、肉眼と紙ではおおいな違いだが、この時期作品のポストカードを買い、外に出た。
絵が好きで来ているのかどうか定かでない人が群がる場所を離れ、外に出るとすでに陽は沈んでいた。
とにかく静かな場所へ。。。と森に入り込んでは歩き巡り、たばこに火を付けた。
人が居ない方向へ。
上野公園から鶯谷、入谷、下谷、三ノ輪を通り越し、日本堤、山谷を抜けて島まで歩く。時折雨が降ったりやんだり。
暗い道で聴き通したひさしぶりの「ポセイドンのめざめ」が素晴らしく良かった。
”プログレッシヴ・ロック”という呼称が一般に使われるが、ほかに使う言葉がないからそう呼ぶんだ、というのがよく分かる。
キング・クリムゾンという唯一無二の音楽はロックという概念ではくくりようもない。それはピンクフロイドもイエスもELPも同様だが。
暗い道とか外の電飾・街灯とあいまった世界がシャッターを押させるうちに、「ポセイドン」はじぶんをオルナタティヴワールドにいざなっていった。
■King Crimson 「In the Wake of Poseidon」1970■