チャイナ・クライシスにも夏らしく眩しい曲がたくさんある。
2人にとても共感を覚えるのは、国は違えど育った環境や感覚に近いものがあるんじゃないか?と思える点が多いからである。
それは一方的な想い入れや妄想だが、「Here Come A Raincloud」を聴いていると、屋根に乗って街の姿を一望してきた二人の少年の様が勝手に見えてしまう。
■China Crisis「Here Come A Raincloud」'84■
小中学生の頃、生まれ育った下町・三ノ輪の家には屋根の上に物干し場があった。
高所恐怖症の自分は、よく怖がりながらもヒト一人幅しかない狭い階段を上がって、スノコの床と四方を錆びた鉄パイプで囲まれた(6畳間くらいか?)場所に行った。
開放的なその場所では、一晩掛けて月食を見たり、小さいながらも隅田川の花火を見たりもできた。
また、土曜の晴れた昼下がりなぞは、青空と白い雲のゆくえを見ているだけですがすがしく、風吹くその場で過ぎゆく時を忘れることが出来た。
かなたを見ると、三ノ輪から地上に出た地下鉄日比谷線が南千住駅に入っていく姿や、国鉄常磐線や隅田川車庫の貨物電車が走る姿が、まるでミニチュアみたいに動いて見られた。
一望すれば工場と煙突、どうということない民家が界下に身をよせあっていた。
高いビルやマンションなど無かった時代のこと。