こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年12月11日 金曜日・深夜 「雑記帳 パースペクティヴ」

2015-12-12 01:46:43 | 雑記帳

たけしさんがかつて言っていた言葉が記憶に残っている。
その言葉は雑誌で読んだものだが、その雑誌がどこの何かは忘れた。忘れたくらいに遠いが、咀嚼されて体内に在る。

人は生きていく中で、いろんな選択肢が現れ、それらにまたがって多種多様な興味ある全てを構っていたいんだけど、ある道を選んで他を捨て去らねば前に進めないときがくる。

実際はこう言ったわけじゃないないのだろうが、じぶんとして解釈するとこうなる。
たけしさんがテレビを引いて、やっとやりたかった映画に熱中する50代入ってのことと、勝手に思っている。それが妙に最近しっくりくる。

***

たけしさんのような能力とガッツのある人とは違う・・・という自己卑下の言い回しはあるが、それでもそんな言い方はしたくない。じぶんをはぐぐみ・労を費やしてくれた方、数少ないながらもこんなじぶんを未だ愛してくれる人や逢えなかったおじいちゃんやその前のことを想うと、そんな言い方はすべきでない。

そういう夜に、渋谷(陽一)さんのラジオを録音回して聴きながら、もう要らない雑誌を分解してゴミに。生真面目になってペンチを握り、中綴じのホチキスを曲げている。ある人にはどうでもいいことでも、じぶんが今までの怠惰を含め堆積させてきた紙ゴミを「処分、処分」。

***

他人が見ればゴミ扱いの堆積物はとてつもないが、取捨選択の基準は大竹(伸朗)さん曰くの「グッとくる(きた)もの」以外は正直いらないのだろう。それは音楽も同じ。
80年代だけにこだわっていると勘違いする人も周りに居るのだが、90年代も21世紀以降も出会いがあった。あるいは70年代からさかのぼること広大な領域。
それらはたくさんあり過ぎる。だからと言って、それを捨てるという意味ではない。

削っていくと結果的に80年代のものの分量は多いのだろうが、心に響いたのはそれだけじゃない。砂に埋もれていては路が見えなくなりつつあるので、そういったノイズを除去したい。

コトをリアルな私生活に落とせば、「冷えた愛でも夫婦という形式」で付き合い続けられない性(さが)は、世間体ではガキそのものと嘲笑されても、そんな相手と付き合い続けられないのがじぶんである。相手だってつらいだけだろうし。
今は今で一番肌合いが近い人と付き合っているが、来年どうかなどは解からない。

***

生きていくといろんな障害が目の前に立ち現われる。生きれば生きるほど。
30代の終わり頃から、それまで知っていた点と点が線や面となるようにして解かり始めることが出てくる。ある意味、驚きだった。視野が広がり「歳を取るのは良いことだ」と思った。それを心身ともに体温として感じた。

だが、どうもそれも40代後半になると気付き過ぎてしまい、黙ってしまうことが多くなっていく。気付いてしまった現実を目の当たりにすると、その一割も言葉に出来なくなる。まさに障害ばかりが立ち現われる。それはあくまでじぶんのケースであり、何も変わらずのペースで居られる人もいる。

ここでまた、再度三島さんが言っていた言葉や、なぜあの歳で自らを絶たねばならなかったのかを巡る会話がよぎる。社会的に置かれた状況の側面、その一方、あくまで個人としての三島さんの姿、二つがあるのだが、今は後者の方のこととして。
この2つが交錯し合うので、なぜあんな亡くなり方を。。。という事は混乱を産む。

今朝朝風呂に入る時間、武田鉄矢さんのいつもの”三枚おろし”を聞いていた。
そこから偶然「また」「例の」三島さんのハタチまでの成り立ちが流れた。何度も、それを聞きたくはないのだが。

政治家ではなかった作家としての猪瀬。
彼が細かい調査の上で書いた「ペルソナ」は、友人MZ師を通じ、NHK番組を通じよく知っている。
ラジオからは、そこに記載された、三島父子が徴兵検査でアウトとなった場から去ったありさま。
身近にいた同期が言う”彼(三島さん)は、ああいう路と真逆で、当時は可能な限り戦から離れた場所に行きたかった”としても、そんな十代終わりから四半世紀の心の変遷を想う。

■インタビュー 北野武&蓮見重彦■


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