80年代の中で、ディップ・イン・ザ・プールについて記憶におぼろげだったことの1つは、うつむき加減のメロディと空気感を持った曲だった。
それが、どこで聴き、何という曲だったのか?
まるで水面の些細な波紋を佇みながら、呆然と見ているような曲。
私は、それを辿ってディップ・イン・ザ・プールのレコード、CDを買っては聴いたが、私の脳に刻まれた曲にはぶち当たることはなかった。
***
それも、2011年1月の真冬、マーブル・ディスクで眠ってたEPレコードに拠って一挙にフラッシュバックした。
買って帰り、針を落とすと、やっと「この曲だ」という確信。
その曲とは「黒いドレスの女- ritual-」というもの。
この曲はしかも「黒いドレス」という映画の主題歌だった。
私は多分、この映画のCMで、この曲を聴いたのだった。
1987年3月14日に公開された映画という事は、自分が精神破綻後、大学も決まり、池袋のとある大学の中にあるところにクスリをもらいに行きつつ、毎晩、イラストを書くことに全てを預けていた頃。
なぜか、この曲の想い出のかけらには、昼のシーンが結びついている。
ぽっかり空いた・昼の白昼夢・・・刻が停止したかのような時空
久米宏?「おしゃれ・・なんとか」という番組がテレビから流れ、
FMでは、細川俊之が「ワールド・オブ・エレガンス」で例の声で「君はなぜ、そんなにも美しいんだろうか・・・マロニエのような・・・」
そんな不思議な「祭りの後」=ニュー・ウエイヴ終焉後の、おぼろなイメージの系譜。
このEPレコードで初めて知ったことだが、ぬあんと、佐久間正英さんが作曲だったんだ!
佐久間さんといえば、プラスチックスの実質ウラで音をプロデュースしていた、プラスチックスの中での唯一のプロの音楽エンジニア。
佐久間さんのソロのアルバムもCDで持っているが、稀有な才能を持った人である。
映画の「黒いドレス」は見たことは無いが、80年代における角川映画というのは、魅力に満ちたワールドだった。
いまやピューパのヴォーカルで、アンチエイジングそのものを具現化した姿で、「劇的にかわいい」と思わせた知世ちゃん主演の映画。
当時の知世ちゃんには、女の子へのピピッと来るものを少年は感じていなかったが。
カリスマ的で人間離れした存在感と魅力を持った甲田益也子さんが、音楽ユニットを結成した事は、1つの大きな事件だった。
そして、その透明感と佇まいを持ったヴォーカルは、ポジショニングは異なるがコクトー・ツインズのエリザベス・フレイザーとも見えない水面下の水路で繋がっている。
自分の嫌いな(戸籍上まだ繋がる)家族の者。そいつらはディップ・イン・ザ・プールの存在に惹かれた者どもだが、以前に話していた際に、彼らが言った。
「なんでディップ・イン・ザ・プールが、あれほど稀なるポジションを位置しながら、セールス的にいまいちだったのか?」と独り言のように言った。
うちのレコードの巣窟に「太陽のしっぽ」を発見したときに「おおお!」と唸っていた彼らを思い出した。
「少し静かに聴かせてくれ」と私は無言でいいたい。
それが、どこで聴き、何という曲だったのか?
まるで水面の些細な波紋を佇みながら、呆然と見ているような曲。
私は、それを辿ってディップ・イン・ザ・プールのレコード、CDを買っては聴いたが、私の脳に刻まれた曲にはぶち当たることはなかった。
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それも、2011年1月の真冬、マーブル・ディスクで眠ってたEPレコードに拠って一挙にフラッシュバックした。
買って帰り、針を落とすと、やっと「この曲だ」という確信。
その曲とは「黒いドレスの女- ritual-」というもの。
この曲はしかも「黒いドレス」という映画の主題歌だった。
私は多分、この映画のCMで、この曲を聴いたのだった。
1987年3月14日に公開された映画という事は、自分が精神破綻後、大学も決まり、池袋のとある大学の中にあるところにクスリをもらいに行きつつ、毎晩、イラストを書くことに全てを預けていた頃。
なぜか、この曲の想い出のかけらには、昼のシーンが結びついている。
ぽっかり空いた・昼の白昼夢・・・刻が停止したかのような時空
久米宏?「おしゃれ・・なんとか」という番組がテレビから流れ、
FMでは、細川俊之が「ワールド・オブ・エレガンス」で例の声で「君はなぜ、そんなにも美しいんだろうか・・・マロニエのような・・・」
そんな不思議な「祭りの後」=ニュー・ウエイヴ終焉後の、おぼろなイメージの系譜。
このEPレコードで初めて知ったことだが、ぬあんと、佐久間正英さんが作曲だったんだ!
佐久間さんといえば、プラスチックスの実質ウラで音をプロデュースしていた、プラスチックスの中での唯一のプロの音楽エンジニア。
佐久間さんのソロのアルバムもCDで持っているが、稀有な才能を持った人である。
映画の「黒いドレス」は見たことは無いが、80年代における角川映画というのは、魅力に満ちたワールドだった。
いまやピューパのヴォーカルで、アンチエイジングそのものを具現化した姿で、「劇的にかわいい」と思わせた知世ちゃん主演の映画。
当時の知世ちゃんには、女の子へのピピッと来るものを少年は感じていなかったが。
カリスマ的で人間離れした存在感と魅力を持った甲田益也子さんが、音楽ユニットを結成した事は、1つの大きな事件だった。
そして、その透明感と佇まいを持ったヴォーカルは、ポジショニングは異なるがコクトー・ツインズのエリザベス・フレイザーとも見えない水面下の水路で繋がっている。
自分の嫌いな(戸籍上まだ繋がる)家族の者。そいつらはディップ・イン・ザ・プールの存在に惹かれた者どもだが、以前に話していた際に、彼らが言った。
「なんでディップ・イン・ザ・プールが、あれほど稀なるポジションを位置しながら、セールス的にいまいちだったのか?」と独り言のように言った。
うちのレコードの巣窟に「太陽のしっぽ」を発見したときに「おおお!」と唸っていた彼らを思い出した。
「少し静かに聴かせてくれ」と私は無言でいいたい。
甲田益也子さんを考える時に片方に出てくるのが
野宮真貴さんです。
どちらも才能ある魅力的な方ですが、
(確か同い年で同郷だったと思います)
「野宮真貴のファッション」はちょっと冒険して真似できても、
まさに人間離れした佇まいの
「甲田益也子の生き方」には触れられない。
どこのブランドの服を着て、どんな生活をしているのかしら?という興味の対象ではなく、
憧憬=ただただ眺めていたい人、な気がします。
再びです(・◇・)。
甲田益也子さんと野宮真貴ですか…。
なるほどそういう比較もありますね。
ただ、これはボク個人の感覚と捉えて下さいませ…
野宮真貴なる存在は、自分にはどうしても理解できないのです。
ソロで、ムーンライダーズがバックアップした「ピンクの…」をまず聴いたのが良くなかったのか…
正直、いもくささを覚えました。
当時で言えば、ラジ、サンディ、スーザン…といったステキな存在には魅力を感じ、好んで聴いていましたが…
というのが本音です。
そういう流れもありますが、ピッチカート・ファイブには熱心なファンが居るそうですが…
兄がくれたオムニバスCDにも曲がおさまっていたし、遊びに行った時もビデオを見せられましたが「頼むからやめてくれ」状態。
何か恣意的過ぎて、自分には未だ、受け入れられません。
アッコちゃんの「東京は夜の…」は聴けても、ピッチカートの同名曲には、1分と耐えられません。
そういうものは、結局、人それぞれとの偶然の巡り合わせだと思いますが…
そんな訳で、まさに孤高なる甲田益也子さんの水のような植物のような存在感とは隔たりがあります。
「憧憬=ただただ眺めていたい人」
まさに、そのままです。
生きる彫刻とでも言いましょうか…。
しかし、彼女の存在感そのまんまが、この曲には見事に投影されていて、たった1曲で全てが表現されていることの不思議を感じるのです。