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こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年2月11日 火曜日 東京風景 ~墨田慕情~

2014-02-11 20:01:39 | 写真日和

朝はふだんどおりに起きる。空は白い。
お米一辺倒だったところ、最近パンも食べるようになった。
食べたらウトウト。。。ラジオはTBS。大沢悠里さんの「ゆうゆうワイド」。

ヒーターにかじかむ手を当てて、ラジオを聴いている間に、座ったまま動けなくなる。
動かなきゃ、ね。あと30分したら動こう。。。
そう言い聞かせながら、ラジオは赤江さんの「たまむすび」になだれ込む。
昼を過ぎたあたりから、小雪が舞い出す。
やっとのことで外に出たのは、お三時を過ぎてから。



ぶらぶらと散歩。粉雪が時々降ってくる。
次第に、冷え込みが厳しくなり、お天道様が沈むと、カラダはこごえ、指も動かなくなってきた。
家が恋しくなって迷路をくねくねしながら、家路を辿る。

途中の公園を覗いてから。
クロちゃん・キジトラちゃん2号らは大丈夫かな。。。
カリカリを上げるまでもなく、先客アリ。もっと美味しい食事を、おばさんから貰っていた。



■China Crisis 「Day After Day」1989■


来る日も来る日も ボクの町では
取り引きは、何にもジャマされずに、堂々と行われている
まぼろしの無い生活の中では、まぼろしは消えていく
知性のない政治家は、もう要らない

長年働いてきた男たちは、その代償として涙を流している

ボクの町に雨が降る
ボクらみんなの上に 新たな大地に
幸福な生存者
人間のためのはからい
馬鹿な政治家には、もはや居場所はない

代わり映えしないボクの町
古い町に住み続ける人びとは、住み続ける








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2014年2月10日 月曜日 東京風景 ~残雪の梅~

2014-02-10 21:28:34 | 写真日和

雪が吹き荒れた土曜日。雪国からすれば、東京の大騒ぎは笑われるに値するもの。
また、雪国では、自分のように室内で雪見酒などしているだけでは済むまい。雪の重みで電線が切れたり、家が潰されるかもしれないので、雪下ろしもせねばならない。

そのような苦労の無い、のんきな地に居る自分は、何とかなるだろうと。。。雪を眺めていた。
何もしようが無かった、という方が正しいだろう。

普段は不眠気味というのに、この土曜日、えらい長い時間眠った。
翌日曜日は、車のチェーンが雪をガリガリする音で目覚めた。雪はやんでいた。外は白い雪景色・空は曇天。その後、次第に太陽さんが射し始めると、一気に雪は溶け出した。
雪が水となって、したたり落ちる音。それが細い露地で、あちこち始まっていった。

昨日ほんとうは、我が村にある向島百花園の「梅まつり」初日だったのだ。まだまだ降雪後、という早い午前中。
数分歩けば着く百花園に向かった。
ざっく・ざっくと雪を踏みしめていけば、
シャーベット状になった場所に足をはめてはクツの中までびしょびしょ。
数十メートル歩くにも容易ではないが、それでも白銀の世界を歩く。つま先は痛いようにつべたくても、ついつい、コドモのように楽しんでしまう。

歩く道々で、雪かきをする家族、せっせと作られた雪だるまに出会う。1つ、1つ、それぞれが個性ある表情をしている。

百花園に入ると、まばらながら、数人の人。
主には、三脚にたいそうなカメラ機材を持った人。そんな難儀な顔で撮影する人を離れて、こちとらはぶらぶらしながら、片手でシャッター。

百花園の梅は、まだ咲き出したばかり。しかし、雪化粧した庭園に咲く梅の風情、といった日はなかなか無いもの。
しばらく庭園散歩で過ごした。クツの中で濡れたくつ下を日光で乾かせながら。



■エンヤ 「54光年の讃美歌」1986■








東京都知事が、誰になろうが。。。それよりも、今の風情と空気を感じることだ。
2020東京オリンピックにいくら反対してもつぶせないし、そこまで生きていられる覚悟もない。
そして、東京は消えていく運命にある。その真実は、何一つ揺るがないのだから。
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2014年2月8日 土曜日 音楽風景 ~冬・アイルランド・U2~

2014-02-08 19:47:01 | 音楽帳

雪は降る・・・あなたは来ない・・。
ついよぎって歌ってしまう歌。
東京は、雪景色。夜はさらに吹き荒れるという。
雪見酒をしつつ、窓に映る雪が舞い散り、吹雪が荒らす様。それを一日見てきた。

1982年1~2月、アンダーパスを越えて、赤坂見附の駅に降り立ち、地上に出れば、ホテル・ニュー・ジャパンの火災後の焦げた壁面を見ながら歩む学校までの凍て付く寒い道。そんな中での高校受験。
それを越えて文武両道たる男の囚人世界・巣鴨学園に入れば、至るは1983年秋~冬の胃潰瘍の入院。
年明けた1984年浅い日に、雪で埋まった大塚駅からの道。
友人と歩きながら、ラウホテルへの傾斜面で腰を打ってこける。
笑いながら、自分を起こす友人・セミくん。真っ白な世界。

1983年に埼玉テレビで出会ったU2のMTV。その後、LP「WAR」を買い、聴く。
この1984年明けの大雪の舞う日、全員早退連絡が流れる。
早い帰宅。
ふだんはヘッドフォンで音楽を聴いていたのを離れ、アルバム「WAR」を大音量で、雪の舞う中ターンテーブルに乗せて聴いた。
お小遣いを貯めて買ったビクターのスピーカーが、大音量に震える。
部屋の窓からは、雪景色と舞う風。

男の自分は未だ、あるいは永遠に、電通に安易に洗脳された女子力とかチャラい世界に「ふざけんな」という意識が有る。不快感のみが体内に走る。ぬるぬるぬめぬめした中、寝技三昧の日本。
切実感の無いぬるい世界だから、所詮そういう馬鹿な洗脳世界にハマるのだ。カモそのものでも、騒いでいる愚者。
それなら、自分は、その外側をキープし、置き去りにされて死んでいきたい。





U2 「Like A Song・・・」1983■


U2 「ニュー・イヤーズ・デイ」

静寂のなかに、ニュー・イヤーズ・デイ
白く包まれた世界が、歩みをはじめる
君と一緒にいたい 君といたい 夜も昼も
何も変わらない、ニュー・イヤーズ・デイ
また君と一緒に居るだろう

血で染まった、空の下
ひとびとは、白と黒をまとってつどい
選ばれた者だけが、腕を組み
新聞は書き立てる これが真実だと

でも、僕らは打ち破るんだ 離れ離れになっても
君と僕は一つになれる
また、始められる
まだ、やり直せる
多分。時は今 いや、今夜かもしれない

今が黄金時代と、ヒトは言う
黄金を求めて、戦争時代
君と一緒にいたい 君といたい 夜も昼も
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2014年2月6日 木曜日 くらしの風景 ~冬野菜~

2014-02-06 23:35:47 | 雑記帳

野菜がおいしい季節。
それを十二分に愉しみたい。
冬ともなれば、大根・白菜は、ささやかな日々の幸福には欠かせない存在。
煮物、なべ、浅漬け・・・。

現代は、女子(と、小学生用語を平気でクチにするメディアの飼い犬/電通系のヒト)的「見てくれ」重視世界なので、無駄な親切心とクレーマー対策もあり、野菜にも余計な手を入れる。
大根で言えば、美味しい葉っぱ部分を除去してしまったり、生き物を頂くというのに、本来のそのままの姿を売らない店が多い。
このようなことをするのは、たいていはスーパーなどの「大手流通業者」。自己防衛のためには、かれらも已む無いとは分かっているが。

ということで、最近は休みの日に、仕入れたままの姿の野菜を売ってくれる八百屋さん等で、野菜をたんまり買う。(そう言いながらも、平日は帰りが遅いので、夜にスーパーにもちょくちょく寄るので、偉そうなことは言えないですが。。。)
しかし、買いだめするので、野菜の足が速くて「もったいない」ことをしてしまうケースもあるが、逆に腐ることで、妙に安心することも多い。いつまでも「常態」を維持している野菜は気味が悪い。

そんな八百屋さんに行く楽しみのなかで、「泥ねぎ」の太さ・重量感には生命力を感じる昨今。
ねぎは、青い部分を使わないヒトも多いが、野菜本来の「味」は、青い部分にもある。(これは、料理好きの兄に教えてもらったもの)

前々から、使った野菜のはしっこを水栽培や土に植えたりしてきたが。。。(うまく育ってくれた時ばかりではないけども)泥ねぎくんは、水に漬けただけでもグングンと伸びる。
時には、水に置いて、その後お風呂に行って・CD探索に別室に行って戻る数時間のうちに「あれよあれよ」という具合に伸びていることに気付く位の強力さ。
ついつい、ウルトラQの白黒テレビで観た「マンモスフラワー」が脳裏をかすめる。

今日調べると、泥ねぎくんは、本当は陽を浴びた方が好きらしく、水や肥料はむしろ嫌いらしい。
そうは知っても、プランターのあるさぶさぶの外に置くのは、何だか可哀想で、今も室内に居る。
気のせいだろうが、音楽が鳴る方向に伸びているように見える彼。
彼は「熱いなあ、うるさいなあ」と思っているだけなのかもしれないけれども。



■スケッチ・ショー 「Ekot」2003(アルバム「トロニカ」)■
とおくで風が 何か歌ってる
とびらを雪が そっと叩いてる

空から降りてくる Ekot
気持ちを包んでく Ekot
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2014年2月5日 水曜日 くらしの風景 ~大久保佳代子さんのこと~

2014-02-05 23:27:01 | 雑記帳
大久保さんはとても良い立ち位置を見つけたものである。。。最近よく思う。

「大久保さんだけでは分からないぞ。」そうそう、前段が無かった。
元オアシズの大久保さんのことである。と言っても、元オアシズという例えも一般的ではあるまい。
イギリスのバンドであるオアシスとは、一切関係が無い。
がたがた遠い説明よりも、写真を見てもらった方が一目瞭然だろう。

この大久保さん演じる、角刈太郎の写真を今日・後輩の同僚がパソコン(アイ・パッド)の壁紙にしているのを見た瞬間、吹き出して笑いが止まらなかった。
3人で大笑いして、しあわせな時を過ごす。

この写真の領域は明らかに清水ミチコさんのもの。あるいは、シンディ・シャーマン?笑。そこまで大久保さんは喰ってしまうか。。。

かつて大久保さんは、光浦さんと2人でお笑いコンビを組んでいた。
まだ、ナインティナインを中心とした土曜の番組「めちゃめちゃイケてる」に見る価値があった頃の知識では。。。コンビを解消した後の大久保さんはOLをしていたはず。
事実はともかく、そーゆーことになっていた。その片方で「めちゃイケ」にも出ていた。
岡村さん・矢部さんは置いておいて、それ以外の芸人が言うほど面白くなかったのと同様、大久保さんもぱっとはしなかった。
それが、さまざまなテレビ番組を日々見ていた最後の記憶だった。
(・・・と言いながらも、ウソの中国人マッサージ師の格好をして出てくるコーナーには「イケナイ」と思いながらも、肉体に眼が行ってしまっていたが)

***

ここ数年。
毎日、1時間だけテレビを見るお昼間。お弁当を食べながら、なかまとおしゃべりをして見るテレビ。
その中で昨年出会ったNHKドラマ「あまちゃん」。毎日見ている中、「自分で自分をキレイと思っているブスの愛人」役として大久保さんを目撃する。
尾美としのりのマンションのシーンの隙間・片隅に現れる、シャワーを浴びてナイトガウンを着た大久保さん。

或いは、アクロバットな鉄棒演技をCMで見ると顔が大久保さん。
「これって、本人?」と周囲に聞くと、笑いながら「合成ですよ」と言われる。

実家に家族が集合すると、そこではテレビが何事も無く流れているのだが、とあるドラマを見ると「あっ、大久保さん」。
兄が「この人、とても良い芝居をするんだよね」と素姓を知らないで(芝居メインの人と思って)いるので、過去の話しをすると「ああ、そうなの?」と戻って来る。
とにかく、どうやら、大久保さんは、今、人気者なのである。
あらゆる変化(へんげ)を受け入れられる、まるでスポンジのような吸収力。
変幻自在な存在。

メガネを掛けたブスと地味なブスという言われ方の多かった、過去のオアシズの2人。
その後、単にげーのーかいから仕事を貰えている(という意味としてだが)光浦さんは知っていても、大久保さんは日影の存在だった。

それが今では、多様なニュアンスを表現できる人として、大久保さんの存在感を多くの人が認めている。何とも人の辿る道とは不思議である。

***

東京のいろんな街を放浪していると、いろんな人とすれ違う。
実は、光浦さんも大久保さんにも会ったことがある。

その会った場所が絶妙だなあ。。。と思うのが、光浦さんには、都電荒川線の王子駅を降りた付近。

大久保さんは、御徒町。
上野広小路にある松坂屋から、仲御徒町交差点へと向かう途中、昔から地元でなじみの『下町の総合デパート「吉池」』を過ぎた辺り。
右側通行の道を自分は、仲御徒町方向に歩く。左側を、吉池方面にたくさんのおじさん・おばさんが並んで歩いている。

お互い行きかう中、そのおじさん・おばさんの顔の中に「むむむっ」
最初は「もしかしたら」、その後「やっぱり本人」と大久保さんを発見。
相手も自分の強い視線に気付いたらしく、そこで他の所に視線をずらされた。

しかし、あのときの大久保さんは何事もなく、流れる人々の場に染まりきっていた。とてもOLとは呼べない染まり具合。
「御徒町の雑踏の人」を見事に演じていた大久保さん。実に「ナイス」な場所と現れ方。

***

永遠に整形し続けることで、ダッチワイフ化していく蒲池法子(芸名:松田聖子)
または、アンドロイド化していく釈由美子、といった生き方もあろう。

だが、そういった、世界が向かうプロトタイプに収斂されていく平準化や自他差異排除の方向性に、すべてが巻き込まれていく中で、芸人はともかく。。。
一般人も役者も含めて、せっかく産まれてきたのだから、
他人・世間がどんなに「ぶさいく」と言おうが、味のある人としての存在であり続けたいものである。

「逸脱セヨ、愚行であろうとも 」(寺山修司)なのだ。



■スケッチ・ショー 「ワンダフル・トゥ・ミー」2002■
作詞:高橋幸宏、細野晴臣
作曲:坂本龍一、高橋幸宏、細野晴臣
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2014年2月3日 月曜日 音楽風景 ~音の系譜~

2014-02-03 23:57:02 | 音楽帳

濃霧は、今日も続き、奇妙な生ぬるい温度。気のせいだが、つい地震がよぎる。不気味な気配。
そんな折、社会側からいつもの通り(だが、いつもよりキツイ)一撃を喰らってしまう。

帰路。呆然としながら電車に揺られる。
時の波間に佇む。
そんな時にも、自分で自らを救い・補完するのは音楽。「そんなことで死ぬな」と自分に言う。
スティーヴ・ライヒの「ミュージック・フォー・18ミュージシャンズ」を聴いていた。

***

ジョン・ケージ、スティーヴ・ライヒ、フィリップ・グラス、テリー・ライリー、エリック・サティに影響を強く受けたブライアン・イーノ。

それらの現代音楽とイーノに影響を受けた坂本龍一。
その教授のサウンドストリート第一回目放送(1981年4月8日)の始まりが、スティーヴ・ライヒの「フォー・オルガンズ」だったのは、「B-2UNIT」を経てYMO「BGM」発表(1981年3月21日)に至る流れ。

■Steve Reich 「Four Organs」■
その後、リピートミュージックの可能性について語ることが多くあったサウンドストリートは、思えば「テクノデリック」(11月21日発表)制作中のことだった。

1982年春。細野さんの新作「フィルハーモニー」は、ペンギン・カフェ・オーケストラ、マイケル・ナイマン等の存在への「気付き」と教授経由で聴いてきた現代音楽が絡み合い、傾倒が深まった結果の産物。

***

時を経て、ブライアン・イーノが提唱した概念「アンビエント」は、ハウスを経由して、90年代に水面に現れる。
この流れの中、ティアーズ・フォー・フィアーズを共に支えたクリス・ヒューズが1994年にスティーヴ・ライヒのカバーCDを発表した。
また、ケン・イシイらが、スティーヴ・ライヒをリミックスした作品集を出したことには妙に納得した。

そんな一方、ロック的フィールドに現代音楽を持ち込んだトータスの1998年作品「TNT」には脳天をやられた。正直驚いた。

***

イーノがよく言っていた言葉。
聴いても聴かなくても良い音楽。これは、サティの「家具の音楽」から来ている。調度品のように、ただそこに「在る」。

訳せば、起承転結が無くても時間進行と無縁に、垂直に立った音楽。
巻き戻しも早送りも、そんな機能も必要としない音楽。

写真が時を止める薬効を持つように、スティーヴ・ライヒ他一連の音楽は、ささくれた神経を、時の進行から開放してくれる効能を持っている。

【おすすめアルバムの一部】

左:スティーヴ・ライヒ、フィリップ・グラス、ジョン・アダムス「ミニマル・セレクション」
右上:「スティーヴ・ライヒ入門」
右下:クリス・ヒューズ「シフト」

左:トータス「TNT」
右:アルバムではないし、ライヒとは別の領域。。。というか新時代のテクノですが。。。
ケン・イシイ「オーヴァーラップ」シングルCD
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2014年2月2日 日曜日 東京風景 ~春の予感~

2014-02-02 20:41:37 | 写真日和
寒椿・サザンカが、血のように美しい紅色/べにいろの鮮やかさで咲き乱れる中。
ここ数日の暖かさ。梅ももくれんも、花のつぼみをマグマのようにふくらませている。

一気に春めいてきた日々。
「今年の春は早いのかなぁ・・・?
いや、それでも、三寒四温だよ」と自分に言いながらも、春の予感が脳に届く。
家々・花・ネコたちのパトロールにむかい、迷走の宿たる島巡りを独りトロトロとしていると、近くて遠いスカイツリーは、春の花曇りの日のようにかすんでいた。

■ホール&オーツ 「Don't Hold Back Your Love」1990■
1990年に出会った、愛するホール&オーツのこの曲。
船出間近に聴いていた。
そこから、20余年が流れて、自らも流され続けているけれども、春が来ると毎年聴く、想い出深い曲である。
科学などを頼らなくても、幸福になる手段は、もはや既に知っている。



















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