最近私は大変幸せだなと思っています。
それは好きな木に出会えたのと、
その好きな木にほれ込んで楽器を造れるようになったからです。
また、その出来上がった、楽器に自分がほれ込んで、
売りたくない、症候群に陥ってしまっています。
見てくださいこの木。
茶色い中にもうっすらと、ピンク。
今から、35年ほど前に、日本にやってきた、インドの小葉紫檀、です。
通常、このくらいの時間がたつと、皆さんがお持ちの紫檀の楽器のように、何となく全体に黒みがかった、茶色、
さらに進むと、黒檀と間違えるほどの黒、
本当ならこの木も、もっと黒くなっているはずなのです。
ところが、このように、薄紅がさしたような、肌合いをしています。
なんだか、初々しさも感じさせるのです。
さてこの木で、二胡を造ろうといっても使えるのは、両脇の3分の1
なぜなら、真ん中は板目だからです。
板目の木は、後で動きやすいというのはさんざん言ってきましたね。
だからこそ、後で胴割れ御起こしたりするのを避けると、両脇の柾目、(木目のまっすぐな部分)きり使えません。
このやってはならない板目の二胡、それは以前作った、「業平」
板目の二胡は、弾きにくいです。
二胡の振動する方向と反対に木目の力が働くからですが、
鳴り始めると、その音の奥行きの深さというのは、ほれぼれしますが。
弾ける人が日本には限られるでしょうね。
そうでなくとも、板目は動くのが怖いですから、販売はできません。
でも、3分の2が使えないのですよ。
木は、丸太の時から計算すると製品になるのは、約20%にしかすぎません。
ところが真ん中の板目が使えないとしたら、
この木で使えるのは、7%でしかないのです。
そこで考え出したのが、「やまと二胡」なのですがそのことはまた、
この木の良さは、ほれぼれとするその色合いと、そして緻密さ!
導管というものがほとんど見えず、生まれたばかりの赤ちゃんのような、肌をしていることです。
こういう木で作った二胡の特徴は、
それこそまさに、音色なのです。
小葉紫檀、だからこそ出てくる音色、その究極がこの木にあるであろうと、
今は思っています。
ただ、音色は良いけれど、鳴る!!響き渡るという感じはしないでしょうね。。。
むしろ自分の膝に抱えて、自分で音色を楽しむ。
いいですね!!
ほんとほれぼれします。
でもこんなので、作った楽器、売りたくなくなるでしょうね。
そうそう、演奏家は楽器にほれ込むとよく言いますね。
皆さんはご自身の二胡にほれ込んでいますか??
また、楽器を売るということも同じです。
ヴァイオリンの販売会社のHPを見ていると、たまに、ありますね。
販売する人そのものがその楽器にほれ込んでいるというのが、
二胡のHPには、あまり見られないですね。
むしろ、何々さんが作った楽器だから、どんな木を使っているから良いのだなどなど、
作った人たちが、いかにその木にほれ込んで楽器に仕立てたかというのが伝わってこないのですし
販売者がその楽器にほれ込んでいる様子も感じられません。
なんとなく権威主義(まあかの国ですから)
ほれ込んでこそ、その木の良さはいかせますし、
ほれ込んでこそ、その楽器の良さを伝えられると思うのですが??
そしてほれ込んでこそ良い音楽が生まれてくるのではないですか?
どうなのでしょう??
それは好きな木に出会えたのと、
その好きな木にほれ込んで楽器を造れるようになったからです。
また、その出来上がった、楽器に自分がほれ込んで、
売りたくない、症候群に陥ってしまっています。
見てくださいこの木。
茶色い中にもうっすらと、ピンク。
今から、35年ほど前に、日本にやってきた、インドの小葉紫檀、です。
通常、このくらいの時間がたつと、皆さんがお持ちの紫檀の楽器のように、何となく全体に黒みがかった、茶色、
さらに進むと、黒檀と間違えるほどの黒、
本当ならこの木も、もっと黒くなっているはずなのです。
ところが、このように、薄紅がさしたような、肌合いをしています。
なんだか、初々しさも感じさせるのです。
さてこの木で、二胡を造ろうといっても使えるのは、両脇の3分の1
なぜなら、真ん中は板目だからです。
板目の木は、後で動きやすいというのはさんざん言ってきましたね。
だからこそ、後で胴割れ御起こしたりするのを避けると、両脇の柾目、(木目のまっすぐな部分)きり使えません。
このやってはならない板目の二胡、それは以前作った、「業平」
板目の二胡は、弾きにくいです。
二胡の振動する方向と反対に木目の力が働くからですが、
鳴り始めると、その音の奥行きの深さというのは、ほれぼれしますが。
弾ける人が日本には限られるでしょうね。
そうでなくとも、板目は動くのが怖いですから、販売はできません。
でも、3分の2が使えないのですよ。
木は、丸太の時から計算すると製品になるのは、約20%にしかすぎません。
ところが真ん中の板目が使えないとしたら、
この木で使えるのは、7%でしかないのです。
そこで考え出したのが、「やまと二胡」なのですがそのことはまた、
この木の良さは、ほれぼれとするその色合いと、そして緻密さ!
導管というものがほとんど見えず、生まれたばかりの赤ちゃんのような、肌をしていることです。
こういう木で作った二胡の特徴は、
それこそまさに、音色なのです。
小葉紫檀、だからこそ出てくる音色、その究極がこの木にあるであろうと、
今は思っています。
ただ、音色は良いけれど、鳴る!!響き渡るという感じはしないでしょうね。。。
むしろ自分の膝に抱えて、自分で音色を楽しむ。
いいですね!!
ほんとほれぼれします。
でもこんなので、作った楽器、売りたくなくなるでしょうね。
そうそう、演奏家は楽器にほれ込むとよく言いますね。
皆さんはご自身の二胡にほれ込んでいますか??
また、楽器を売るということも同じです。
ヴァイオリンの販売会社のHPを見ていると、たまに、ありますね。
販売する人そのものがその楽器にほれ込んでいるというのが、
二胡のHPには、あまり見られないですね。
むしろ、何々さんが作った楽器だから、どんな木を使っているから良いのだなどなど、
作った人たちが、いかにその木にほれ込んで楽器に仕立てたかというのが伝わってこないのですし
販売者がその楽器にほれ込んでいる様子も感じられません。
なんとなく権威主義(まあかの国ですから)
ほれ込んでこそ、その木の良さはいかせますし、
ほれ込んでこそ、その楽器の良さを伝えられると思うのですが??
そしてほれ込んでこそ良い音楽が生まれてくるのではないですか?
どうなのでしょう??
私なんぞのように、ものを造ること以外の生活を知らないものにとっては、楽器制作というのは、技術の総合、感性の総合、そして人生の総合でございます。
何百年か生きてきた樹木の力を借りて、せめて、切り倒した分、その寿命以上に愛されるものを造るのが、ものつくりの役割だと思っています。
あと、10年も残りの人生ないでしょうが、最高の楽器(二胡だけでなく)を造り続けようと思っています、、