レッスンを受ける側にもいろいろあります。
私は経験がありませんが、カルチャーセンターや、その他のグループでレッスンを受けていると、レッスンの後のお茶や食事などが楽しいのだそうですね。
解りますね。
良いですね。
二胡談義に花が咲き、あれやこれや情報も飛び交うのでしょう。
たまには、彼女が出来たり彼氏が出来たり、結婚した人もいますね。
音楽を通じて、人と人が繋がっていく場にもなるという点では、グループレッスンというのもよいかもしれません。
レッスンの場は、普通演奏の失敗しに行くところでしょう。
上手く出来ない、そこを教えてもらいに行くのだと思います。
ですからグループレッスンでもより積極的にいろいろ先生に聴いてみるのは望ましいですね。
それにはその教室の雰囲気というのも、大切なのかもしれません。そうでないと遠慮深い日本人は、あの人だけでしゃばってという事にもなりかねませんから。
とすると、周りの皆さんとの交流というのは大切になってきますね、ですからレッスン後のお茶というのは立派にレッスンの一環ということもできるのでしょう。
しかし、先日終わりましたが東京音大の、二胡の特別講座に全くの初心者の方がいらしたのも驚いたのですが、私の見た限りこの人が習いに来るのというほど弾けている人も来ています。
レッスンを受けると言うのはプロでやっている人にとっても、必要なことなのだと驚いたのです。
そのプロクラスの、教室というのは有るのでしょうか。
もちろん、各教室によっては、個人レッスンも有り、相当ハイレベルな7級、8球などという方もいらっしゃるのだとは思います。
でもその方達の取る級というのはみな中国へ行ってのレベルでしょう。
何級を取るというのは、レッスンの上でも励みになりますね。
私も囲碁を40才台で事始めた時には10級からでした、その後じわじわ、上がって、初段になった時はとてもうれしかったのを覚えています。
中国の級の実態というのがよく解りません。
相当幅も有るようです、この曲が弾ければ、という考級曲集等も販売されていますから。
この曲が弾ければ、何級というのでしょう。
囲碁の場合、日本棋院で5段を取ると、碁会所を開くことが出来るようです。
二胡の教室はまだまだそのような決まりごとはありませんね。
明日から先生をやると言って、始めてしまえばもう先生です。
或いは有る先生がいて、その方の許可が出て先生を始めるなどということも有るようです。
何も私は、二胡の世界を型にはめようなどとは思っていません。
何級を取らなければ先生になれない等という風には、なって欲しくないのが本音です。
ある意味、日本の宗師制度に辟易としているところがあるからでもあります。
着付けや、お茶や、お花の世界の、そしてもっとすごいのは、踊りの世界の、宗師制度ですね。
単なる利権組織としか言いようのないところも有ります。
でもそれを認めているのは、沢山の生徒さん達ですから、あれはあれで、良いところも有るのかもしれませんが、そうでなくとも、ある意味宗師制に近い二胡の世界ですから。
検定制度みたいなものには、なって欲しくないのは、私の気分です。
楽器を習う以上、皆上手くなりたいのは同じです。
しかし、上手くなるにしても、まず基本は、自分自身の訓練というのが有ります。
これを怠ると、上手くはなりません。
次に、先生にどのように教わるかというのも大切なことです。
教わるという姿勢は、まず疑問無く受け入れることです。
とにかく最初は全く解らないのですから、先生の言う事を素直に聴くしかありません、そして素直に自分がその教わった事を出来るかがカギになります。
それには全面的に先生との信頼関係というのが必要でしょう。
意外とここが難しいことでもあるのです。
これが、子供ですと素直に先生の言う事を受け入れます。
大人の場合まず、頭が出来上がってしまっていますから、素直に聴いているようでいて、頭でも受け入れ難く身体は更に動きません。
それと、教わるという事は言葉でと、つい思いがちですが、これは違います。
レッスンの時に、最初は先生が弾いてくれる場合も多いです。
グループレッスンでもこの時にはチャンスなのです。
それは先生の動きを身体の使い方を見ることができますから、みんなの邪魔をして一人だけ質問という事をしなくても見てさえいれば、覚えられるからです。
これこそ見て盗めということでしょう。
これも慣れです。先生の手の動きを音は出さずとも、手の動きをまねることは可能です。
或いはそれを記憶しておくこともできます。
グループレッスンにしてもどんどん上手くなっていく人というのがいます。
それは多分この、見て盗めという事を何処かで実行しているのでしょう。勿論ひとりで家での練習も相当やって入ると思うのです。
それから何であれレッスンに行くのが楽しくなるというのが一番大切でしょう。
理由は何でも良いのです。
先生の弾くのを聴きに行くのでも良いですし、皆とお茶するのが楽しいでも良いですし、或いは少しの時間でも人前で弾くのが嬉しいでも良いのです。
先ず楽しむという事がレッスンを続けさせますし、続いてさえいれば必ず上達します。
私は経験がありませんが、カルチャーセンターや、その他のグループでレッスンを受けていると、レッスンの後のお茶や食事などが楽しいのだそうですね。
解りますね。
良いですね。
二胡談義に花が咲き、あれやこれや情報も飛び交うのでしょう。
たまには、彼女が出来たり彼氏が出来たり、結婚した人もいますね。
音楽を通じて、人と人が繋がっていく場にもなるという点では、グループレッスンというのもよいかもしれません。
レッスンの場は、普通演奏の失敗しに行くところでしょう。
上手く出来ない、そこを教えてもらいに行くのだと思います。
ですからグループレッスンでもより積極的にいろいろ先生に聴いてみるのは望ましいですね。
それにはその教室の雰囲気というのも、大切なのかもしれません。そうでないと遠慮深い日本人は、あの人だけでしゃばってという事にもなりかねませんから。
とすると、周りの皆さんとの交流というのは大切になってきますね、ですからレッスン後のお茶というのは立派にレッスンの一環ということもできるのでしょう。
しかし、先日終わりましたが東京音大の、二胡の特別講座に全くの初心者の方がいらしたのも驚いたのですが、私の見た限りこの人が習いに来るのというほど弾けている人も来ています。
レッスンを受けると言うのはプロでやっている人にとっても、必要なことなのだと驚いたのです。
そのプロクラスの、教室というのは有るのでしょうか。
もちろん、各教室によっては、個人レッスンも有り、相当ハイレベルな7級、8球などという方もいらっしゃるのだとは思います。
でもその方達の取る級というのはみな中国へ行ってのレベルでしょう。
何級を取るというのは、レッスンの上でも励みになりますね。
私も囲碁を40才台で事始めた時には10級からでした、その後じわじわ、上がって、初段になった時はとてもうれしかったのを覚えています。
中国の級の実態というのがよく解りません。
相当幅も有るようです、この曲が弾ければ、という考級曲集等も販売されていますから。
この曲が弾ければ、何級というのでしょう。
囲碁の場合、日本棋院で5段を取ると、碁会所を開くことが出来るようです。
二胡の教室はまだまだそのような決まりごとはありませんね。
明日から先生をやると言って、始めてしまえばもう先生です。
或いは有る先生がいて、その方の許可が出て先生を始めるなどということも有るようです。
何も私は、二胡の世界を型にはめようなどとは思っていません。
何級を取らなければ先生になれない等という風には、なって欲しくないのが本音です。
ある意味、日本の宗師制度に辟易としているところがあるからでもあります。
着付けや、お茶や、お花の世界の、そしてもっとすごいのは、踊りの世界の、宗師制度ですね。
単なる利権組織としか言いようのないところも有ります。
でもそれを認めているのは、沢山の生徒さん達ですから、あれはあれで、良いところも有るのかもしれませんが、そうでなくとも、ある意味宗師制に近い二胡の世界ですから。
検定制度みたいなものには、なって欲しくないのは、私の気分です。
楽器を習う以上、皆上手くなりたいのは同じです。
しかし、上手くなるにしても、まず基本は、自分自身の訓練というのが有ります。
これを怠ると、上手くはなりません。
次に、先生にどのように教わるかというのも大切なことです。
教わるという姿勢は、まず疑問無く受け入れることです。
とにかく最初は全く解らないのですから、先生の言う事を素直に聴くしかありません、そして素直に自分がその教わった事を出来るかがカギになります。
それには全面的に先生との信頼関係というのが必要でしょう。
意外とここが難しいことでもあるのです。
これが、子供ですと素直に先生の言う事を受け入れます。
大人の場合まず、頭が出来上がってしまっていますから、素直に聴いているようでいて、頭でも受け入れ難く身体は更に動きません。
それと、教わるという事は言葉でと、つい思いがちですが、これは違います。
レッスンの時に、最初は先生が弾いてくれる場合も多いです。
グループレッスンでもこの時にはチャンスなのです。
それは先生の動きを身体の使い方を見ることができますから、みんなの邪魔をして一人だけ質問という事をしなくても見てさえいれば、覚えられるからです。
これこそ見て盗めということでしょう。
これも慣れです。先生の手の動きを音は出さずとも、手の動きをまねることは可能です。
或いはそれを記憶しておくこともできます。
グループレッスンにしてもどんどん上手くなっていく人というのがいます。
それは多分この、見て盗めという事を何処かで実行しているのでしょう。勿論ひとりで家での練習も相当やって入ると思うのです。
それから何であれレッスンに行くのが楽しくなるというのが一番大切でしょう。
理由は何でも良いのです。
先生の弾くのを聴きに行くのでも良いですし、皆とお茶するのが楽しいでも良いですし、或いは少しの時間でも人前で弾くのが嬉しいでも良いのです。
先ず楽しむという事がレッスンを続けさせますし、続いてさえいれば必ず上達します。
わたしは、月に最大で20回・10クラスほどのグループレッスンを受けています。
(うちの教室には、ある一定の金額を払うと、全てのクラスを受講してもよいシステムがあります。レッスン数で割ると、大変割安なありがたいシステムです)
ひと月に20回受講することはあまり無いのですが、平均で14~15回ほど出ています。(10回も出れば充分に割安です)
沢山のクラスのレッスンを受けていると気づくことも沢山あります。
レッスン後のお茶があるクラスはまず団結力が違います(笑)
あと、定着率(教室を辞めない)も良いと思います。
みんなでお茶しながらレッスンを振り返り、理解不足だったことを補えることもありますし、仲間と色々な話をしながらストレス解消をし、お教室に通う楽しみの一つにもなりますね☆
グループレッスンは、他の人の演奏を聴いたりできますし、他の人へのアドバイスは自分へのアドバイスにもなるので、大変勉強になります。
わたしは、レッスンにおいて大切なのは、「聴く」「見る」だとおもいます。
自分の場合、小さな頃からピアノをやっていたためか、「聴いて」「見て」それを盗んでいくということが苦手ではありません。逆に言葉でごちゃごちゃ説明されるほうが苦です(笑)
(後でゆっくり理論を考えるのは大好きです)
わからなくてもとりあえず真似してみる、今できなくても注意されたことを最低限覚えておこうと思ってレッスンを受けています。
積み重ねて練習しないと直せないこともありますし。
西野さんのおっしゃる通り、理解は言葉でするものではないのですが、これまたおっしゃる通り大人になってから音楽をはじめると、子供のように真似して盗んで吸収していく覚えかたは難しいように思えます。
しかしコツさえつかめば、効果的にレッスンを受けていくことができると思います。
沢山のグループレッスンに出ていて思うのは、意外とみんな「聴いて、見て」いない人が多いことです。
原因は余裕がないからだとおもいます。
先生の音、周りの音、自分の音。
先生は、グループレッスン時にお手本の他に、一緒に弾きながらかなり大事なアドバイスをされることが多いですが、ここを聞きのがされることが多いです。
自分が演奏していることで一生懸命だからなんですが、この時の注意やアドバイスを聞きのがすのはちょっともったいないです。
なぜなら、先生は同じレベルのどのクラスでもほぼ同じことを言うからです。
ビブラートをかける位置だったり、楽譜にない装飾音、強弱、とりにくい音のポジション等、最初の段階で注意すべき点というものがあるからでしょう。
何クラスも出ていると、何度も同じことを聞くので自然と身に付きますが、1ヶ月に二回のレッスンだと、家で注意されたことを整理しておく必要がありそうです。
レッスンを録音しておうちで聴いている人もたくさんいますね!
意味の無い注意やアドバイスはありませんし、そこを逃さず早くクリアできると次の段階に進めるので、グループレッスンで早く上達するコツは、同じことを先生に何度も注意させないようにすることかなあとおもいます。
自分たちにとって、損ですから!
レッスンでは、一生懸命弾くことより(もちろん弾くんですが)、ちゃんと聴くこと見ることに重点をおくと、効果的に吸収できるのではないかと思います。
そのために、家で準備してくるのが「練習」なのではないかなーと最近は感じます。
自分は先生ではないので教える側のご意見はわかりませんが、グループレッスンを沢山うけていて感じていることをコメントしてみました。
もちろん一番大切なのは、おっしゃる通り音楽を楽しむことですね!
わたしも楽しみながら頑張ります!