さて、気を取り直して、日々の生活に、
そうですね私の日々は楽器造りです。
それもこのところ大分評価をあげてきたのか、二胡の製作が増え続けています。
元々私が、擦弦楽器との縁が出来たのは、高校3年生の時に、新任の数学の先生と出会ってからです。
K先生は、新任の最初の授業で、私を、というより教室中を驚かせました。
いきなり、黒板に、円をチョークで直径80センチくらいですかね、書いたのです。
それもフリーハンドで、まん丸でした!
(確か微積分の基本を再度おさらいという時期だったと思うのですが)
授業が終わって、コンパスを当てて、その黒板に残った円を図ってみると、ほとんど1,2ミリの誤差でしかないのです。
(やってみて下さい、これかなり至難の業です)
次の数学の授業で、なぜあんなにきれいに円が書けるのかと、質問したところ、
「うーーん、たぶんチェロを弾いているからでしょうか?円を書く練習をしたわけではないです。たぶん手首の問題でしょう」
との事、早速に、その日の放課後先生を捉まえて、友達たちと、黒板に円を書く練習、
そんな簡単な物では無かったです。そこで先生
「チェロ弾いてみます?、ちょうど、今日はオーケストラの練習でチェロ持って来ていますから」
オーケストラ??、数学の先生なのに??
音楽室で、「はい、座って、そう、こうやって弓持って、力を抜いて、自然体で、」
ぼわんぼわんーーーn、ギギギギギーーー、これが最初に私の出した音ですね。
「音階はこう手を開いて、そうそう、君は手が大きいからそのまま音階になりますね、いいですね」
そんなこんなで、次の日からチェロのレッスンが始まりました。
時間が出来るとお互い好きな数学談義、あるいはジャズの話、二人でこっそり、ジャズ喫茶などへも出かけました。
そのK先生の影響でしょうか、大学へ行くなら、理工科と、理科系の大学で、好きな物理をそれも、当時、先端だった、ロケットか、あるいは原子力系に、と勇んで入った大学は、例の学生運動で、ロックアウト、授業なんかまるでありませんでした。
おかげ様で物理学のノーベル賞をとるはずだった、日本人が一人減ってしまいました。(笑)
縁とは本当に不思議なものですね。
私のの擦弦楽器との縁は、黒板にかかれた円でした。
その後とんでもなく時間が飛んで、爺になりました。
ある時家族の遺した、古い二胡を発見し、それを直すべく二胡を弾き始め、ついには、二胡屋まで始めています。
そんな二胡屋で、最近とても気持ちの良い、縁が在りました。
熊本のS君。つい先月光舜堂にいらしたばかりです。
今年は九州からのお客様が多く、あの人はこの人とはと、とても気になっていますが(みなさん大丈夫ですか)
長崎の兄は、大丈夫!大丈夫!と、様々に九州の今の状態教えてもらいました。
今度の地震で、ほぉさんと気になって調べたところ、彼(Sの君)住所が、震源地の近くなのです、
他の九州のご縁のあったお客様は、比較的震度1、か2くらいのところにお住まいでしたので、少しほっとしてはいたのですが。
彼のところは地図では震源地の際、「メールしてみましょう」というほぉさんの意見で、
こんな時にメールどころじゃないだろうと、思いながらも、彼の笑顔の良さ、(若い女性諸君、男は笑顔、そして食べっぷりの良さで選ぶべきですよ、爺より)を思い出して、
思い切ってメールしてみました。
細かい事は抜きます。彼のメールの返信に励まされたのは、爺婆のこちらの二人で、
連絡がとれて、思わずほぉさんとハイタッチ!
細かい事は書きません、彼のところも揺れに揺れているはずですが、これから自分より困っている人の為に、物資の運送など様々活躍しそうです。(年取るとこんなことに、ものすごくうれしく涙もろく成るのだという事を知りました)
彼が無事に活躍でき、少しでも多くの人々が、少しでも楽になれたら。
何も出来ない爺婆ですが、応援ぐらい。
二胡屋として、楽器をつくることきり出来ない爺婆が何が出来るのか考えています、
でも、まず祈ります!多くの人が、祈ると少しでも力にはなるのではないかと、バカな事かもしれませんがまずは日々祈ります。
この2,3日なんだか落ちつかづ、結局何もしていない日々でした、たぶんそういう方たいへん多いのではないですか?
そして、彼の元気の良さに力を得て私も出来る事、楽器造りを再開です。
、
そうですね私の日々は楽器造りです。
それもこのところ大分評価をあげてきたのか、二胡の製作が増え続けています。
元々私が、擦弦楽器との縁が出来たのは、高校3年生の時に、新任の数学の先生と出会ってからです。
K先生は、新任の最初の授業で、私を、というより教室中を驚かせました。
いきなり、黒板に、円をチョークで直径80センチくらいですかね、書いたのです。
それもフリーハンドで、まん丸でした!
(確か微積分の基本を再度おさらいという時期だったと思うのですが)
授業が終わって、コンパスを当てて、その黒板に残った円を図ってみると、ほとんど1,2ミリの誤差でしかないのです。
(やってみて下さい、これかなり至難の業です)
次の数学の授業で、なぜあんなにきれいに円が書けるのかと、質問したところ、
「うーーん、たぶんチェロを弾いているからでしょうか?円を書く練習をしたわけではないです。たぶん手首の問題でしょう」
との事、早速に、その日の放課後先生を捉まえて、友達たちと、黒板に円を書く練習、
そんな簡単な物では無かったです。そこで先生
「チェロ弾いてみます?、ちょうど、今日はオーケストラの練習でチェロ持って来ていますから」
オーケストラ??、数学の先生なのに??
音楽室で、「はい、座って、そう、こうやって弓持って、力を抜いて、自然体で、」
ぼわんぼわんーーーn、ギギギギギーーー、これが最初に私の出した音ですね。
「音階はこう手を開いて、そうそう、君は手が大きいからそのまま音階になりますね、いいですね」
そんなこんなで、次の日からチェロのレッスンが始まりました。
時間が出来るとお互い好きな数学談義、あるいはジャズの話、二人でこっそり、ジャズ喫茶などへも出かけました。
そのK先生の影響でしょうか、大学へ行くなら、理工科と、理科系の大学で、好きな物理をそれも、当時、先端だった、ロケットか、あるいは原子力系に、と勇んで入った大学は、例の学生運動で、ロックアウト、授業なんかまるでありませんでした。
おかげ様で物理学のノーベル賞をとるはずだった、日本人が一人減ってしまいました。(笑)
縁とは本当に不思議なものですね。
私のの擦弦楽器との縁は、黒板にかかれた円でした。
その後とんでもなく時間が飛んで、爺になりました。
ある時家族の遺した、古い二胡を発見し、それを直すべく二胡を弾き始め、ついには、二胡屋まで始めています。
そんな二胡屋で、最近とても気持ちの良い、縁が在りました。
熊本のS君。つい先月光舜堂にいらしたばかりです。
今年は九州からのお客様が多く、あの人はこの人とはと、とても気になっていますが(みなさん大丈夫ですか)
長崎の兄は、大丈夫!大丈夫!と、様々に九州の今の状態教えてもらいました。
今度の地震で、ほぉさんと気になって調べたところ、彼(Sの君)住所が、震源地の近くなのです、
他の九州のご縁のあったお客様は、比較的震度1、か2くらいのところにお住まいでしたので、少しほっとしてはいたのですが。
彼のところは地図では震源地の際、「メールしてみましょう」というほぉさんの意見で、
こんな時にメールどころじゃないだろうと、思いながらも、彼の笑顔の良さ、(若い女性諸君、男は笑顔、そして食べっぷりの良さで選ぶべきですよ、爺より)を思い出して、
思い切ってメールしてみました。
細かい事は抜きます。彼のメールの返信に励まされたのは、爺婆のこちらの二人で、
連絡がとれて、思わずほぉさんとハイタッチ!
細かい事は書きません、彼のところも揺れに揺れているはずですが、これから自分より困っている人の為に、物資の運送など様々活躍しそうです。(年取るとこんなことに、ものすごくうれしく涙もろく成るのだという事を知りました)
彼が無事に活躍でき、少しでも多くの人々が、少しでも楽になれたら。
何も出来ない爺婆ですが、応援ぐらい。
二胡屋として、楽器をつくることきり出来ない爺婆が何が出来るのか考えています、
でも、まず祈ります!多くの人が、祈ると少しでも力にはなるのではないかと、バカな事かもしれませんがまずは日々祈ります。
この2,3日なんだか落ちつかづ、結局何もしていない日々でした、たぶんそういう方たいへん多いのではないですか?
そして、彼の元気の良さに力を得て私も出来る事、楽器造りを再開です。
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