ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

暴民政化するアメリカ

2021-01-07 | 時評

新年早々に世界を驚愕させたアメリカの連邦議事堂集団乱入事件。昨年の大統領選挙の結果が「盗まれた」というトランプ大統領の主張を支持する者たちによって実行されたものであるが、こうした出来事を見ると、アメリカの政治が民主政から暴民政に変容しつつあることが看取される。

民主政は市民が理性的に思考し、行動できることを前提に成り立つものであるが、乱入に参加した暴徒たちは、選挙当局が発表した選挙結果を信ぜず、トランプ大統領の主張だけをひたすらに信じるという思考法を採っているがゆえに、あのような暴挙に出たのである。

こうした暴民の多くは、トランプ大統領とは対照的な中産階級もしくはそれ以下の階級に属していながら、富豪のトランプに心酔し、無条件に従うという奇妙なねじれを示している。このような傾向は、現代アメリカにおいて、反動的な扇動政治家に惹かれる思想的な根無し草の層がかなり厚くなっていることを示唆する。

そうした根無し草階層を扇動して熱狂的・盲目的な支持基盤とするのがすべてのファシズムに共通する特徴であり、現代アメリカでは、さしあたりトランプがアメリカン・ファシズム運動の象徴となっているのである。

それにしても、アメリカの根無し草階層は、アメリカ民主政の殿堂と言ってもよい連邦議事堂に乱入するだけのエネルギーを持ち合わせていることだけはわかった。しかし、残念ながら、かれらはエネルギーの使いどころを誤っている。

かれらのあり余るエネルギーを正しい方向に向け変えるためには、再びワシントンの学歴エリート層を呼び戻すことでは全くの逆効果である。2016年にトランプを当選させたのは、そうした学歴エリートによる支配に対するアメリカ国民の幻滅と反感だったからである。

このような学歴を主要な基準とする階級社会は、アメリカに限らず、現代のほぼすべての諸国で発現してきている現代的な階級社会のありようであるが、高等教育制度が世界で最も充実しているアメリカでは、トップエリートの大学院卒から中間の大学卒、そして高校卒以下という学歴階級制が明瞭に表れやすい。

近年のアメリカ社会を表すキーワードとなっている「分断」とは、単に共和党vs民主党とか、トランプ派vs反トランプ派といったメディアが掲げたがる形式的な図式ではなく、如上の学歴階級制による日常の思考法や行動原理にまで至るアメリカ国民の分裂状況を示している。

特に白人の(相対的な)低学歴層は、有色人種の社会進出が進み、白人より上位に浮上する有色人種も少なくない―その究極は初の有色人種大統領オバマ―現代アメリカ社会における人種間逆転に脅威やある種の嫉妬に基づく反感を募らせ、かれらをして反オバマを旗印に登場したトランプの熱狂的支持に向かわせているようである。

その点、公式の選挙結果によれば次の大統領となることが確実なバイデンの政権が、ワシントン学歴エリートのカムバック政権となるならば、政権がいくら美辞麗句として「分断」の修復を謳っても、問題の解決にはつながらないだろう。

現代のアメリカにおいて、正しくエネルギー転換を実行する根本的な方法は、我田引水を恐れず言えば、筆者が年来、提唱してきたような「民衆会議」の結成をおいてほかにないと考える。言わば、アメリカン・ファシズムへの流れをアメリカン・コミュニズムへと向け変えることである。

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近代革命の社会力学(連載第187回)

2021-01-06 | 〆近代革命の社会力学

二十七 コスタリカ常備軍廃止革命

(2)革命への急展開
 1948年革命前のコスタリカの情勢は、中米の周辺諸国に比較すれば、安定した状況にあった。1870年代に自由主義的な政治体制が確立され、軍のクーデター介入は1917年が最後であり、四年ごとの大統領選挙に基づく政権交代を伴う民政が定着していた。
 社会経済構造上はプランテーションによるコーヒーとバナナ栽培を軸とするモノカルチャー経済が確立されていたが、コスタリカでは中南米における標準型である半封建的な大土地所有制は発現せず、むしろ中小規模の土地所有制が定着したため、貧困問題を抱えながらも、中南米の中では比較的に均衡のとれた社会経済構造であった。
 1929年大恐慌は農産品価格の暴落によってコスタリカのモノカルチャー経済に打撃を与えたが、グアテマラのようなファシズムの台頭は起きず、むしろ、アメリカの「ニューディール政策」に近い政府による経済介入と公共支出の拡大政策で乗り切った。
 その延長上に、1940年の大統領選挙では社会民主主義者のラファエル・カルデロンが当選し、カルデロン政権下で社会保障制度や労働法の整備を軸とする福祉国家政策が打ち出され、穏健な社会改革が進展したのである。
 とはいえ、カルデロン政権は歴代政権とは異なり、労働運動と強く結びつき、農園主を中心とした保守層と鋭く対立したが、カトリック教会の進歩派や共産党とも妥協し、政治的な座標軸を広げることで幅広い支持基盤を作り出し、1944年までの任期を全うした。44年大統領選挙でも、カルデロンが支持するテオドロ・ピカードが当選し、社会民主主義政権が継続された。
 このようにして、コスタリカでは同時期の北欧諸国のように、革命を経ずして福祉国家的な発展を続ける可能性も十分あったにもかかわらず、突如として革命が勃発したのはなぜか━。焦点は、1948年の大統領選挙にあった。
 この時、前大統領カルデロンが返り咲きを狙って再び立候補したものの、独立機関である選挙裁判所は野党候補者を勝者と確定した。ところが、ピカード政権は司法によって確定されたこの選挙結果を覆し、野党を弾圧して、カルデロンの逆転勝利を強引に導こうとしたのである。
 コスタリカの大統領選挙では従前からしばしば対立陣営間での暴力や不正が見られたが、政権与党が公然と選挙結果を覆すという露骨な選挙干渉に出たことはなく、このような政権与党による選挙結果の不正な転覆―事実上のクーデター―が、革命の直接的な動因となったのである。
 革命的蜂起を指導したのは、それまで政治的には周縁的な人物に過ぎなかった農園主・実業家のホセ・フィゲーレス・フェレールと彼の私兵組織であった。ただし、そこには次節に見るカリブ地域の国際革命支援組織・カリブ軍団の関与もあり、いささか複雑である。

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近代革命の社会力学(連載第186回)

2021-01-04 | 〆近代革命の社会力学

二十七 コスタリカ常備軍廃止革命

(1)概観
 今日、中米のコスタリカ共和国は常備軍を保有しない国家としてしばしば非武装平和主義の文脈で引き合いに出されるが、同国における常備軍の廃止は決して「平和的」になされたわけではなく、1948年の革命と内戦を通じてのことであった。
 その点、同時期の日本でも、敗戦に伴う連合国占領下で軍の解体が断行され、常備軍の不保持を謳う現行憲法が制定されたが、こちらは、戦前の軍国主義・疑似ファシズムの源泉であり民主化の潜在的障害とみなされた軍部を解体したい連合国軍の占領政策と、その下での平和思想の高揚が相乗する形で実現された非武装化であった。
 コスタリカの場合は、外圧なしに、内発的な革命と、ほぼ同時に発生した短期の内戦を経て、革命政権が制定した新憲法を通じて実現された非武装化である点に独自性がある。さらに、日本では冷静構造の中で事実上の常備軍の復活に等しい自衛隊の創設へと転回していくのに対し、コスタリカは今日に至るまで、名実ともに常備軍の廃止を維持している。―もっとも、1996年の制度改正により、治安警備隊や国境警備隊など、従来複数に分かれていた武装警察組織を統合して、有事には国防任務を負う公共武装隊(Fuerza Pública)が創設されたが、これも基本的な性格は「警察」であって、軍ではない。
 一般的に、多くの革命事象では、革命後も体制防衛のため常備軍が維持される。その際、旧体制の軍が解体され、革命軍が新たな正規軍に移行する例のほか、より消極的に、旧体制の軍が改編されるにとどまる例も見られ、常備軍が完全に廃止されることは稀である。そうした点でも、1948年コスタリカ革命にはユニークな点がある。
 1948年コスタリカ革命はグアテマラ民主化革命が進行中の中で発生しており、当時のグアテマラ革新民政の大統領アレヴァロも、カリブ地域の民主化革命を軍事的に支援する国際組織・カリブ軍団を通じてコスタリカの革命を支援しており、コスタリカ革命はカリブ軍団が関与した国際革命の成功例でもあった。
 しかし、革命の成否はグアテマラとコスタリカでは明暗が大きく分かれ、前者は前章で見たように、冷戦初期の国際力学に巻き込まれ、アメリカが糸を引くクーデターにより挫折したが、コスタリカは革命以降、常備軍を保有しない共和国として再編され、軍事クーデターが頻発する中米にあって、例外的に安定した民政が根付いた。
 このように明暗が分かれた理由として、コスタリカの比較的に均衡のとれた社会経済構造に加え、1948年革命が穏健な福祉国家的理念のもと迅速に収束し、以後も、歴代政権は冷戦時代を通じて親米の立場を維持し、アメリカと良好な関係性を築いたことが挙げられる。
 こうした点で、1948年コスタリカ革命は中米における革命の成功した範例と言えるが、もう一つの成功例である1959年キューバ革命がマルクス‐レーニン主義を奉じる共産党の一党支配体制に収斂し、長くアメリカと敵対関係に立つこととも対照的である。

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続・持続可能的計画経済論(連載第23回)

2021-01-03 | 〆続・持続可能的計画経済論

第2部 持続可能的経済計画の過程

第4章 計画化の時間的・空間的枠組み

(4)領域圏経済計画のスケジューリング
 領域圏における経済計画は計画経済の最前線を成すものであるが、それはかつての旧ソ連における「一国社会主義」における一国単位での経済計画とは異なり、グローバルな世界経済計画を大枠とする支分的な経済計画であるから、その策定スケジュールについても、世界経済計画が優先する。
 そのため、計画期間のサイクルはともに3か年であるが、世界経済3か年計画と領域圏経済3か年計画とでは、3か年の起算点がずれ、領域圏経済計画が後行することになる。
 その場合、領域圏経済計画の策定プロセスは、世界経済3か年計画が世界共同体総会で可決・成立し、発効した時点から始まる。そこから、およそ3乃至4か月程度の期間をかけて、領域圏経済計画を策定し、各領域圏民衆会議で可決・成立のうえ、第1計画年度が開始される。
 そうした一連のスケジュールの具体例として、例えば世界経済計画の発効をわかりやすく1月に設定すると、領域圏経済計画の策定プロセスは同月から始まり、同年4月乃至5月までには可決・成立のうえ、領域圏経済計画の第1計画年度がスタートするといったスケジュールとなる。
 ところで、領域圏経済計画は、一般生産計画(計画A)と農林水産計画(計画B)、製薬計画(計画C)、さらには地方ごとの消費計画をも包含する形で重層的に編成されるわけであるが、全計画の基盤として、エネルギー計画がある。
 エネルギー計画を前提に計画Aが策定され、さらにその余の計画Bや計画C、消費計画は計画Aを基準にして編成される。そのため、実務的な策定作業においては、まずエネルギー計画及び計画Aが優先し、それらに照応して、その余の計画の策定作業が後続する関係にある。
 さらに、地方ごとに編成される消費計画は、領域圏全体に係る計画A及びB、とりわけ消費計画の中で中核を占める食料品の供給との関わりで計画Bと不可分の関係にある。そのため、消費計画は計画Bとほぼ並行的に策定されていくことになろう。
 なお、前回述べたように、連邦型の連合領域圏において、各準領域圏(州)が独自に経済計画を策定する構制を採用した場合は、各準領域圏の経済計画が領域圏(連合)の経済計画のサイクル内に納まらなければならないから、領域圏経済計画と各準領域圏経済計画の策定作業が同時並行で行われる複雑な仕組みとならざるを得ない。

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年頭雑感2021

2021-01-01 | 年頭雑感

昨年は、新型コロナ・ウイルスに終始する異常な一年となった。ウイルスが年末には南極にも達し、地球の全大陸を制覇した。そればかりか、この微小な目に見えない構造体が、まるでエイリアンのように、外部から革命に近い激減を人間の生存場に及ぼそうとしている。

人間の生存場を建物に擬して、地盤(環境)‐土台(経済)‐上部構造(政治)の三層に分けて考えると、人間の生存の基盤となる地盤(環境)に対しては、約一年に及ぶ主要な生産・流通活動の縮小と人間の移動の自粛により、二酸化炭素排出量の大幅減という近年にない環境的な激変が見られた。

ただ、この激変はあくまでも感染防止策の適用による結果にすぎず、喉元過ぎれば熱さ忘れるの格言どおり、パンデミックが収束すれば、すみやかに元に戻るだろう。人間の心理には、現状を変更したくないという「一貫性の法則」が働く。パンデミックによって攪乱された元の大量生産・大量流通・大量消費‐廃棄の経済システムを変更したくないのである。

土台(経済)に関しては、過去30年のグローバルな経済的スタンダードとなっていた資本主義が大きく揺さぶられている。特に、全世界的なレベルでの外出・移動の制限・自粛は、現代資本主義の基軸である各種サービス産業分野に打撃を与え、結果として大不況を作り出している。言わば、現代資本主義の心臓部をウイルスが直撃しているわけで、その余波は長期に及ぶだろう。

ここでも、「一貫性の法則」が働き、資本主義指導層は、拙速に開発されたワクチン接種を急ぎ、「集団免疫」を獲得して、いち早く原状回復しようとしているところであるが、ワクチンの計画的な生産と供給というある種の計画経済の技術が歴史の彼方に忘却されてしまっている現在、果たしてワクチン接種が安全性を担保しつつ、どこまで迅速に進むかは不透明である。おそらく、ワクチンの確保・接種の国際競争が生じ、国ごと、さらに個人ごとにも明暗を分けるかもしれない。

上部構造(政治)に関しては、人々の日常行動を平素から管理・制約する全体主義国家ほど、強硬な感染予防策を適用して、感染拡大を抑え込むことに成功している。その点で、中国と米国が著しく明暗を分けているのは、象徴的である。

一方、自由主義標榜諸国でも、国家緊急権の法理を適用して、外出・集会の制限といった社会統制を強化する戒厳派と、ウイルスを過小評価して事実上放置する放任派とに分かれた。何が両者を分けているのかと言うと、資本主義経済防衛の意志の強さと共に、政府が持つ権限如何によるように見える。

例えば、米国のトランプ政権が放任政策を採っているのは、資本家出自で、資本主義防衛の意志が強いトランプ大統領の指向とともに、連邦制の合衆国大統領は、感染症対策に関する強力な権限を持たないことによるのだろう。その反面、小さな邦である州の知事に大きな権限があり、州レベルでは、戒厳派も少なくない。

戒厳派諸国(州)では日頃、自由を強調していながら、感染予防策として、○○人以上の集会の禁止など、政府の決定一つで全体主義国家さながらの人権制約措置が打ち出されたことが、人々にショックを与えた。これにより、標榜されてきた自由主義の内実が暴露されたとも言える。実は大義名分を掲げれば、政府は簡単に自由を奪うことができるという真実が明るみに出たのである。言わば、自由剥奪の予行演習。結果として、自由主義と全体主義の収斂現象が起きている。

さて、今年の展望であるが、地球支配層としては、地盤(環境)と土台(経済)に加えられている激変―地球環境の修復と資本主義の縮退―は望ましくないので、ワクチンという科学の魔法の力にすがって原状回復を進めるだろう。しかし、上部構造に起きている変化―自由の制限―は、権力にとって有益な面があると気づき、何らかの方法で維持しようとするかもしれない。

その結果を建物に擬して示すと、再び壊れゆく地球環境という地盤の中に回復された資本主義の土台の上に、自由を制限する管理主義的な国家が再築されるといった形になる。これは、楽観的だった過去30年間よりも、かなり守勢に回った資本主義防衛体制になると言えるだろう。

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