しるしのないカレンダー

定年退職した自由人のBLOGです。庶民の目線であんなこと、こんなこと、きままに思ったことを書いてみたい。

慰安婦問題

2011年12月19日 | Weblog
韓国の大統領が日本に来て協議の大半を割いた「慰安婦問題」
政治・外交問題として大きくなってきた。

きっかけは日本軍による慰安所の設置、太平洋戦争当時「挺身隊」での強制連行を記述した資料の存在。
宮澤首相(当時)の訪韓時の軍関与の談話が元になっている。
ただし、関与といっても施設の開設許可、施設整備、利用時間や料金を定めた慰安所規定の作成に関与したものであり、強制連行した資料はみつかっていない。

当時は「公娼制度」が認められていた社会情勢があり、1957年の売春防止法施行まで、いわゆる赤線地帯に限っては売春が黙認されていた。
昭和20年の終戦まで旧日本軍が駐屯していた各地には日本に定着していた赤線=公娼制度の戦地版として存在した。

「慰安所」には「対価を得て将兵の相手をした」女性が多数存在した。
推計では慰安婦の割合は日本人は約4割、中国女性3割、朝鮮半島出身者は約2割。
だったとされる。
この様な施設は旧日本軍だけのものでなく、ベトナム戦争当時のベトナムにも存在したし、日本に進駐した米軍も日本側が用意した慰安施設を利用した。
第二次大戦当時のドイツ軍にも存在した。韓国軍も朝鮮戦争当時慰安所を持っていた。
インドネシアではオランダ人女性を慰安所に送り込む事件(スマラン事件)も起きた。

そもそも女子挺身勤労令に基づく動員は=「挺身隊」は労働力確保目的だったが
「女衒」の甘言による誘い、悪質な手段が強制的という悪い印象を与えた。
95年河野談話以降アジア女性基金を設立。これまで364人の元慰安婦に償い金など合計13億円を渡している。

1957年以降廃止された制度。それまでは公認。戦前の混乱期の事件とは言え、
外交下手な歴代内閣の一貫しない対応に蒸し返しの議論が続いている感が強い。

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