江戸時代「1両の価値」は現在の「13万円」程度の価値があった。そうです。
日本銀行金融研究所貨幣博物館の資料では「当時と今の米の値段を比較すると、1両は約4万円、大工の手間賃では1両30万~40万円、
お蕎麦の代金では1両12万~13万円、という試算を発表している。そこで、1両=13万円として当時の物価を試算した記事が出ていた。
「金1両=銀60匁=銅銭4000文」だった。銀1匁(もんめ)=2166円、1文=32・5円となる。「文政年間漫緑」に依れば大工の日当は銀5匁4分。節句などの休日や、天候の理由で仕事を休む日を除くと年間労働日数は「294日」で年収は銀1貫587匁6分。343万円だった。4畳半2間の長屋住まいの家賃は年間銀120匁。約26万円で月平均は約2万1000円だった。
家族3人(夫婦と子供一人)のお米代も同じくらいで年間銀120匁だった。「調味・薪炭代」=調味料・光熱費代は年間700匁(約151万円)もかかり、エンゲル係数は高かった。光熱費で年収の半分を取られ、残金は166万円。ここから銭湯代、10文(300円)、お銚子1本(12文=390円)を毎日引くと26万円。家族の食費、銭湯代を考えるといくらも残らなかった。蕎麦代16文=520円、鱒丼100文=3250円、床屋30文=1000円。だったそうです。
お芝居の役者は「1000両役者」と呼ばれるスターも存在し、年収1億3千万円(1000両)であった。歌舞伎役者は昔から高収入だったようです。安い席でも一人132文(4290円)で高い席料は5万から7万5千円もした。少ない娯楽は高額で庶民には高値の花だったということでしょう。
外国人がもてはやす日本の文化は一部の金持ち文化であり、庶民が楽しんだ文化は人形浄瑠璃等もう少し地域に根差した文化だったようです。
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