旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

スースのメディナを歩く

2019-03-12 18:24:45 | チュニジア
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スースのメディナ(旧市街)はこのリバトのある港に向かう斜面に位置している。
先に訪れたカスバ(これは「要塞」という意味)からスーク(市)の階段をおりてきた。
↓カスバに近いBAB GHABI(西門)外にあるスースの紋章

今回のガイドシュクリさんの出身はこのスースで姓はGHABIという。長くこのスースの西門の外に住んできた一族なのだそうだ。

「子供のころ、この階段の入口の店に母とよく訪れたよ」と、懐かしそうに話してくれた↓
今は空き家になっている

↓「ここは昔水場だったのだよ」

↑今は水など出ていないが、噴水だったのか

子供のころ自分が遊んだ通りを、半世紀の後外国人を案内するというのはどういう気持ちなのだろう。



アラブの市場はとにかくぎっしり品物がならべてある↓




↓サッカーグッズのお店にて






↓安ホテルもある


我々は新市街のホテル泊。
バスで海岸エリアをちょっとだけドライブ↓

↓南仏とはちょと違う雰囲気


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日本のグループが他にも泊まっていたホテル

夕食を定番のバッフェにしたくなかったので、12階にある展望のよいアラカルトのレストランへ行った。
夕暮れ、高台のカスバの塔が灯台の光をぐるぐる放射しているのがみえた↓






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スースのリバトと塔

2019-03-12 15:00:00 | チュニジア
7世紀イスラムの首都カイロアン(ケロアン)を内陸20㎞ほどに控える港スースは、654年にイスラム王朝の支配下に入ってから特に重要になった。

そこを守るために造られた要塞は修道士の住居を兼ねていたのでこのribatの名前で呼ばれる。街で最も古い塔↓

8世紀にはすでにあったという↓

スースの港はビザンチン帝国(=東ローマ帝国)との最前線にあたり、常に臨戦態勢が敷かれていた。

キリスト教からイスラム教の統治下となり、土地の私有や売買は禁止。酒もゲームも音曲さえ禁止されたそうだ。「リバト」はスラム教神秘主義修行僧の修道場をあらわす言葉でもある。

かつての監視塔に、今も頂上まで登ることができる。




↓「ムラード(修道士)」戦士が住んだ中庭が見下ろせる↓

となりのグランド・モスクの中庭を俯瞰↓港も遠くない↓

360度カメラで撮ってみた(^_^;)

↓中庭をを囲む二階の南側はモスクとしてつかわれていたのだ↓


↓狭い入口左右二本の柱は古代遺跡の再利用だろう。もとは落とし格子があったそうだ。

↓少し離れてみると


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スースのカスバ(考古学博物館)

2019-03-12 14:00:00 | チュニジア
「カスバ」とは要塞という意味。これはスースの港に立つ8世紀の塔リバトから見たところ。

一千年以上前も、港を見張る番兵はこんなふうにカスバを見ていたのだろう。
チュニジア独立までは監獄として使われていたが今は考古学博物館になっている。
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スースの街の入口あたりでランチをしようということになった。
ガイドのシュクリさんはこの街に住んでいるので、日頃自分の行く新鮮な食材が食べられる店をよく知っている↓

↓どのぐらい新鮮かというと…

入ってすぐに鮮魚コーナーと肉コーナーが並んでいたわけだ

サカナは詳しい我々日本人↓

↓肉は日本ではこんな風に売られていないからちと戸惑う。ラムのあばらを選んだら、巨大な包丁でまさに「チョップ」してくれた

↓直火ですぐに調理開始

↓簡単なテーブルにて

↓焼き魚、やっぱりおいしいです

↓肉は、やっぱりちょっと焼きすぎ感がある

付け合せはこんな↓焼き立てパンがおいしい

↓最後にミント・ティーをサービスしてくれた

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スースは城壁で囲まれた古都。
きのう訪れたカイロアン(ケロアン)が内陸の首都だったので海に面したスースは特に重要だった。
「カスバ」は城壁内のさらに城壁に囲まれた軍の駐屯地だった場所↓

入口も昔の雰囲気↓二十世紀には刑務所として使われていたとのことで、
あ、たしかに刑務所の入口の雰囲気かも。

だが、内部は全面改葬されて機能的な考古学博物館になっている
↓もともと水槽だったモザイクはもとの形状がわかるようにして展示↓

↓描かれているのは海の幸をつかさどる神オケアヌスですね↓彼は英語の「オーシャン」の語源

↓海馬ヒッポカンポスを操るのはポセイドン

↓漁をする図に描かれた魚はとてもリアル

ローマの人々は基本的に魚を食べていたというのがよく理解できる

↓こちらもオケアヌスです

↓表情を上手にとらえている




↓こちらはオフの役者さんたち

↓こちらは演じている光景か


↓モザイクは正面から見たいが床に展示してあってはなかなか難しい
↓なのでこんな工夫をしてくれている

↓メドゥーサがはっきり見えます


↓キリスト教時代になってからの洗礼漕も見事


↓★おもしろかったのは同じデザインの作品があつめられていたこれ

※ぴんっときたお話こちらに書きました

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展示セクションから要塞の見張り塔部分へあがってゆく






丘の上のこのカスバから古代からの港が遠望できる

この塔は灯台だったし、今でも灯台だときいた。

どんなふうになるのかしらん






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エル・ジェム~もっともよく保存されたローマの円形闘技場

2019-03-12 11:11:00 | チュニジア

ローマ世界にはめずらしくなかったアンフィテアトロ(円形闘技場)だが、片面だけでもこれだけ完璧に残されているというのはあまりない。
大きさは長径149m×短径124m。ローマの188m×156mには及ばないが、北アフリカでは最大。

↓観光用のラクダが入口近くにおります

↓逆側から見るとこんな感じ↓

こちら側が大きく壊されたのは1695年に大砲が撃ち込まれたから。
オスマントルコ時代に反乱が起き、立て籠もった反乱軍に対しての強硬策だった。

↓THYSDRUSシスドルスというのが古代のこの町の名前


↓入場しましょ

内側が見えたが

「まずは地下へ」とガイドさんが誘導

地下部分は1904年になってから発掘された↓つまり、原型がよく保存されている

↓おもしろかったのは動物を入れた檻を固定する車止め

危険な動物はもちろん檻ごと移動させるのは当然。
↓そして、せり上げ装置のところから上がる時に自動的に開くように設計されていた↓

↓貝の混じったわりにもろい石で出来ている

↓この穴は石を持ち上げる時に挟むためのもの

地上階↓

観客席裏の回廊

↓観客席へ上がる急な階段

↓三万人以上は入ることができたという観客席↓

角度がローマのコロッセオよりも急。
ということは、どこからも舞台が見やすいということ


実現しなかったが、ビートルズがここでのコンサートを考えていたのだそうな(^.^)

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エル・ジェム博物館のモザイク

2019-03-12 10:00:00 | チュニジア
↓イノシシに喰らいつく音さえ聞こえてきそうな表現だ

紀元後二世紀の北アフリカ地中海沿いが、イタリア本国と変わらない文化・生活水準だったことがこのモザイク一枚で伝わってくる。
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カイロアンから出発し塩で白くなった平原を抜けていく↓

エル・ジェムまで一時間ちょっとで到着する。
ローマ以上によく保存されているという円形闘技場(アンフィテアトロ)が街影の向こうに少しみえてきたが

あそこへ行く前にミュージアムへ行くことにした↓

中庭に入ってすぐローマ皇帝の立像がある

ここは紀元後二世紀ごろの人々のヴィラの跡↓

復元してそのままの場所を博物館として公開しているのだ。
↓これは?

↑鳩を飼っていた跡だそうです


↓ローマ世界をシンボル化して表現した床モザイク↓

いちばん有名なのは左にある黒い「かぶりもの」をしたように見える女性★アフリカ=彼女の頭は象の形をしている。象の牙を女神の角のように見せている。下が★シチリア=頭に三本の足が生えているのが、シチリアの三つの岬をあらわす昔からのシンボル「トリナクリア」だから その右側は★エジプト。なぜなら古代エジプトの楽器シストラムを持っているから

↓こういうシンボルが図像の部分だけをはぎ取って持ち去っていた時代も長かったのだろう

↓中世フランスの大聖堂にたくさんあったという迷宮の図ももともとはローマやギリシャの話からきている↓

↓主題のほとんどはギリシャ・ローマ神話から↓
これは、鷲に姿を変えたゼウスが美少年ガニメデを誘拐するシーン↓


↓ちょっと他で見たことがないのがこのフクロウ↓

周囲の鳥たちが落ちているのは何を意味する?
↑解説によると「人を羨望する気持ちに打ち勝つ」というのだが、感覚的に理解しにくい。
↓おもしろいのはこの図に実力者一族テレジニ家の紋章が入れれていること↓

こういう「ルネサンス的」に見える主題も。ルネサンスとはギリシャ・ローマ時代の表現力をとりもどす活動だったのだ




古代ローマ世界で最も保存状態が良い円形闘技場とされる「エル・ジェム」が見えている↓


いよいよ見にいこう

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