朝の青空の下、リーガに残る
★帝政ロシア時代のアールヌーボー建築を少し見学。
これらは二十世紀はじめの十年に、ミハイル・エイゼンシュタインという建築家によってデザインされたこの建築家の息子が、映画「戦艦ポチョムキン」で知られていセルゲイ・エイゼンシュタイン。「この革新的な映画作家の息子の事を理解できなかったし、息子も父の当時としては新しすぎるデザインの建築を好きではなかったようです」と、ラトヴィア人のガイドさんが話した。
建てられた当初は個人住宅としてそれぞれ一人の富豪が所有して住んだが、ソ連時代には分割されてたくさんの世帯が使っていた1991年のラトヴィアの再独立後、建物はかつての持ち主の子孫に戻されたが、皆がかつてのような富豪ではなく、修復されていない建物も目立つ
アールヌーボー(フランス語)=ユーゲントシュティール(ドイツ語)といっても、ここラトヴィアの伝統的なデザインが見られるのがおもしろいこの柄は5ラッツ(2013年で使用が終わるラトヴィア独自の通貨、1ラッツ=0.7ユーロ)札に見られるのと同じ自然崇拝時代の文様を使っている
でも、いちばんびっくりさせられたのは、この一角にあった日本食レストランの名前、なんと「YAKUZA」です⇒
**★「ラトヴィアのスイス」へ
リーガから紅葉の美しい道を北東へ向かう小さくて平坦なラトヴィアの中で唯一「山」と呼べる場所がスィグルダ。「ラトヴィアのスイス」なのだそうだ。
ガウヤ川の谷へ向かってのバンジージャンプまであります。
紅葉の美しい青空の週末、当然リーガからたくさんの人々が訪れる。谷を渡るロープウェーに乗ろうと思ったら…今日は長蛇の列なのであきらめたかわりというわけではないが、少し美しい森を歩くことにしよう。途中にラトビアでは有名な場所もあるし
★グトゥマーニャ洞窟ここは、「ラトヴィアの薔薇」と呼ばれた人の話が有名で、訪れる人々が何百年にもわたり名前を掘りこんでいる奥では今も水が湧き出している
「ラトヴィアの薔薇」の話が解説版にあったこんな絵が画いてあるから楽しい話かと思いきや、血なまぐさい悲恋話。
●「トゥライダの薔薇」
1620年、スェーデンとポーランドの戦いのさ中。ラトヴィア人のトゥライダ城代が育てたマイヤという娘は美しく育ち、庭師のヴィクトル・ハイルとよくこの洞窟で会っていた。
彼女に目を付けたポーランド兵が偽のメッセージで彼女をおびき出し、危機一髪となったその時…彼女は持っていたスカーフを見せてこういった「このスカーフをつけていれば、剣でも銃でも殺すことは出来ないのです。ウソだと思うなら試してみなさい」ポーランド兵が持っていた剣で彼女を突くと、スカーフはただのスカーフで、彼女は望みどうり死をもって貞節を守ることが出来た。
城には彼女の墓石があり、彼女が葬られた時に植えられたと伝えられる樫が朽ちた巨木となっている
中世の城・レンガの一番古い部分は1214年に遡るとされる。円柱形のいかにも中世の要塞だ現在地上にある入口は観光客用に後年開けられたもの。往時は安全のため梯子でしか入口まで登れなかった木の階段から円形の細い階段へとかわり頂上からは「秋のラトヴィアのスイス」を見晴らすことができた。
ドイツ勢力が建てたこのレンガの城より以前には現地部族の城があったと推察されている。
★敷地内にはラトヴィアに現存するもっとも古い木造教会と解説された建物がある
昼食は近くのバッフェにて
*****
さらに海岸線を北上し、エストニアとの国境へ至る。おや?あれに見える看板は…そう、間違いようのないマクドナルドであります。「NO BORDER」=(マクドナルドに)「国境はない」と言いたげな看板。ここはもう国境検問がなくなり、こんな看板の設置も問題ありません。
エストニアの首都タリンにはちょうど夕暮れに到着。徒歩すぐのヴィル門からさっそく旧市街散歩へ
旧市街と新市街との間の広場に建てられたエストニアの十字架この十字架について、今年の一月にガイドさんが説明してくれたっけ
一月の日記に書きました。こちらからご参照ください。
★帝政ロシア時代のアールヌーボー建築を少し見学。
これらは二十世紀はじめの十年に、ミハイル・エイゼンシュタインという建築家によってデザインされたこの建築家の息子が、映画「戦艦ポチョムキン」で知られていセルゲイ・エイゼンシュタイン。「この革新的な映画作家の息子の事を理解できなかったし、息子も父の当時としては新しすぎるデザインの建築を好きではなかったようです」と、ラトヴィア人のガイドさんが話した。
建てられた当初は個人住宅としてそれぞれ一人の富豪が所有して住んだが、ソ連時代には分割されてたくさんの世帯が使っていた1991年のラトヴィアの再独立後、建物はかつての持ち主の子孫に戻されたが、皆がかつてのような富豪ではなく、修復されていない建物も目立つ
アールヌーボー(フランス語)=ユーゲントシュティール(ドイツ語)といっても、ここラトヴィアの伝統的なデザインが見られるのがおもしろいこの柄は5ラッツ(2013年で使用が終わるラトヴィア独自の通貨、1ラッツ=0.7ユーロ)札に見られるのと同じ自然崇拝時代の文様を使っている
でも、いちばんびっくりさせられたのは、この一角にあった日本食レストランの名前、なんと「YAKUZA」です⇒
**★「ラトヴィアのスイス」へ
リーガから紅葉の美しい道を北東へ向かう小さくて平坦なラトヴィアの中で唯一「山」と呼べる場所がスィグルダ。「ラトヴィアのスイス」なのだそうだ。
ガウヤ川の谷へ向かってのバンジージャンプまであります。
紅葉の美しい青空の週末、当然リーガからたくさんの人々が訪れる。谷を渡るロープウェーに乗ろうと思ったら…今日は長蛇の列なのであきらめたかわりというわけではないが、少し美しい森を歩くことにしよう。途中にラトビアでは有名な場所もあるし
★グトゥマーニャ洞窟ここは、「ラトヴィアの薔薇」と呼ばれた人の話が有名で、訪れる人々が何百年にもわたり名前を掘りこんでいる奥では今も水が湧き出している
「ラトヴィアの薔薇」の話が解説版にあったこんな絵が画いてあるから楽しい話かと思いきや、血なまぐさい悲恋話。
●「トゥライダの薔薇」
1620年、スェーデンとポーランドの戦いのさ中。ラトヴィア人のトゥライダ城代が育てたマイヤという娘は美しく育ち、庭師のヴィクトル・ハイルとよくこの洞窟で会っていた。
彼女に目を付けたポーランド兵が偽のメッセージで彼女をおびき出し、危機一髪となったその時…彼女は持っていたスカーフを見せてこういった「このスカーフをつけていれば、剣でも銃でも殺すことは出来ないのです。ウソだと思うなら試してみなさい」ポーランド兵が持っていた剣で彼女を突くと、スカーフはただのスカーフで、彼女は望みどうり死をもって貞節を守ることが出来た。
城には彼女の墓石があり、彼女が葬られた時に植えられたと伝えられる樫が朽ちた巨木となっている
中世の城・レンガの一番古い部分は1214年に遡るとされる。円柱形のいかにも中世の要塞だ現在地上にある入口は観光客用に後年開けられたもの。往時は安全のため梯子でしか入口まで登れなかった木の階段から円形の細い階段へとかわり頂上からは「秋のラトヴィアのスイス」を見晴らすことができた。
ドイツ勢力が建てたこのレンガの城より以前には現地部族の城があったと推察されている。
★敷地内にはラトヴィアに現存するもっとも古い木造教会と解説された建物がある
昼食は近くのバッフェにて
*****
さらに海岸線を北上し、エストニアとの国境へ至る。おや?あれに見える看板は…そう、間違いようのないマクドナルドであります。「NO BORDER」=(マクドナルドに)「国境はない」と言いたげな看板。ここはもう国境検問がなくなり、こんな看板の設置も問題ありません。
エストニアの首都タリンにはちょうど夕暮れに到着。徒歩すぐのヴィル門からさっそく旧市街散歩へ
旧市街と新市街との間の広場に建てられたエストニアの十字架この十字架について、今年の一月にガイドさんが説明してくれたっけ
一月の日記に書きました。こちらからご参照ください。