このアーチは500年間一度も落ちていない。
黒船のペリー艦隊が調査して「エジプト式」と評した↓スケッチが残されている↓(下右)
見事な城壁は第二次大戦の被害も少なかった。
*
朝、南城市でグラスボートを楽しんでから北上。
↑西原町のショッピングモールになっている場所はかつて製糖工場だった↓
↑その記憶を留めようと昔の機械や↓さとうきびを運ぶ労働者の銅像が置かれている↓
途中沖縄銘菓「スッパイマン」を味わいながら ※「スッパイマン」を製造する上間さんのページにリンクします
11時には中城城(なかぐすく城)が見えてきた
驚いたのは種子島以前に鉄砲が実用配備されていたこと↓
「城壁に見えている穴は鉄砲狭間」です。
※沖縄観光のページにリンクします
鉄砲本体は見つかっていないが、弾丸がたくさん掘り出された。
種子島に鉄砲が伝来する百年近く前の話。
専門家が「日本最強の城」と讃えるのもわかる※yahooニュースにリンクします
★中城城は日本なら室町時代の15世紀半ばから
70~80年間にわたり四代の城主が建造した。
↑我々素人が見ても一目で違いがわかる↓「布積み(=豆腐積み)」※上の写真と下の写真の右側部分
↑「あいかた積み(=亀甲乱れ積み)」
後者の方が第四代領主護佐丸による部分と思われる。
これらははっきり違いがわかるが、
同じ場所にも何重にも積み続けられて混在している。
近年、石工の刻んだ印が発見された↓
↓黄色く塗られたものは首里城からも同じ印がみつかった↓
↓指先の部分、わかりますかしらん?
↓ここも
首里城と同じ石工集団が築城にかかわったと考えられている※所説あり
三つの廓(くるわ)を繋ぐ門のアーチが、
古代ギリシャや中世ヨーロッパにも比肩できる
頑強さと美しさを兼ね備えた構造だった。
↑城壁の北方向にだけちょっとした盛り上がりがあるのは↑鬼門封じ。
全体模型↓
↑いちばん高い一の廓に正殿があったが、それは天守閣でなく平屋。
沖縄の台風を避けるためである。
実際歩いていて石壁より下に入ると快適だった。
城壁の上は回廊になっていて兵士が巡邏していただろう。
けっこう狭くて足を滑らせたら落ちそうだけれど、
城壁を観光客に歩かせてもらえるのは幸い。
かつては首里城が遠く臨むことができた場所↓首里城を守る役割の城となり発展したのである。
現在見えているのは成田さんのお寺と昭和五十年代の都市↑
↓海岸線に石油の精製所
琉球神話の聖地久高島に光があたっていた
黒船のペリー艦隊が調査して「エジプト式」と評した↓スケッチが残されている↓(下右)
見事な城壁は第二次大戦の被害も少なかった。
*
朝、南城市でグラスボートを楽しんでから北上。
↑西原町のショッピングモールになっている場所はかつて製糖工場だった↓
↑その記憶を留めようと昔の機械や↓さとうきびを運ぶ労働者の銅像が置かれている↓
途中沖縄銘菓「スッパイマン」を味わいながら ※「スッパイマン」を製造する上間さんのページにリンクします
11時には中城城(なかぐすく城)が見えてきた
驚いたのは種子島以前に鉄砲が実用配備されていたこと↓
「城壁に見えている穴は鉄砲狭間」です。
※沖縄観光のページにリンクします
鉄砲本体は見つかっていないが、弾丸がたくさん掘り出された。
種子島に鉄砲が伝来する百年近く前の話。
専門家が「日本最強の城」と讃えるのもわかる※yahooニュースにリンクします
★中城城は日本なら室町時代の15世紀半ばから
70~80年間にわたり四代の城主が建造した。
↑我々素人が見ても一目で違いがわかる↓「布積み(=豆腐積み)」※上の写真と下の写真の右側部分
↑「あいかた積み(=亀甲乱れ積み)」
後者の方が第四代領主護佐丸による部分と思われる。
これらははっきり違いがわかるが、
同じ場所にも何重にも積み続けられて混在している。
近年、石工の刻んだ印が発見された↓
↓黄色く塗られたものは首里城からも同じ印がみつかった↓
↓指先の部分、わかりますかしらん?
↓ここも
首里城と同じ石工集団が築城にかかわったと考えられている※所説あり
三つの廓(くるわ)を繋ぐ門のアーチが、
古代ギリシャや中世ヨーロッパにも比肩できる
頑強さと美しさを兼ね備えた構造だった。
↑城壁の北方向にだけちょっとした盛り上がりがあるのは↑鬼門封じ。
全体模型↓
↑いちばん高い一の廓に正殿があったが、それは天守閣でなく平屋。
沖縄の台風を避けるためである。
実際歩いていて石壁より下に入ると快適だった。
城壁の上は回廊になっていて兵士が巡邏していただろう。
けっこう狭くて足を滑らせたら落ちそうだけれど、
城壁を観光客に歩かせてもらえるのは幸い。
かつては首里城が遠く臨むことができた場所↓首里城を守る役割の城となり発展したのである。
現在見えているのは成田さんのお寺と昭和五十年代の都市↑
↓海岸線に石油の精製所
琉球神話の聖地久高島に光があたっていた