みごとな石室。
緑色が鮮やかな緑泥片岩の巨石がそこここに使われている。
写真よりずっと緑色が濃い。
この石は行田からは50㎞ほど離れた長瀞から利根川を使って運ばれたと考えられている。
天井をふさいでいる巨石も緑色
↑いちばん奥の部屋の上から南方向の入り口を見下ろしたところ↑人物と比べると大きさがわかる
もともとは全長約16m以上あったとされる横穴式。
石室は当然土の下にあったのだが、昭和9年に近くの干拓のために土をはがされてしまった。
奈良の石舞台なみに立派な石室がでてきて、
あわてて保存されることになったのである。
周囲にもたくさん古墳があったようだが、今は工場と住宅に囲まれている。
八幡山古墳だけでも保護されることになってよかった。
埼玉県の名前の由来になった「さきたま古墳群」から3㎞ほどしか離れていない。
六角形の切り石を組み合わせた壁はぴったり接合されている。
↑外側は盛り土に隠れるところだからこんなかんじ。
古墳見学は上るだけより石室内部を見学できることが大事。
解説員さんをおねがいして再訪したい。
行田近辺は(江戸前が海から魚なのに対比して)「江戸後ろ」と呼ばれ、
淡水の魚を料理する伝統がある。
ウナギはもちろんおいしい、ナマズに鯉もあるそうな。
渋沢栄一の故郷深谷も近い。
《手造の旅》をかんがえてみようかしらん(^^♪
緑色が鮮やかな緑泥片岩の巨石がそこここに使われている。
写真よりずっと緑色が濃い。
この石は行田からは50㎞ほど離れた長瀞から利根川を使って運ばれたと考えられている。
天井をふさいでいる巨石も緑色
↑いちばん奥の部屋の上から南方向の入り口を見下ろしたところ↑人物と比べると大きさがわかる
もともとは全長約16m以上あったとされる横穴式。
石室は当然土の下にあったのだが、昭和9年に近くの干拓のために土をはがされてしまった。
奈良の石舞台なみに立派な石室がでてきて、
あわてて保存されることになったのである。
周囲にもたくさん古墳があったようだが、今は工場と住宅に囲まれている。
八幡山古墳だけでも保護されることになってよかった。
埼玉県の名前の由来になった「さきたま古墳群」から3㎞ほどしか離れていない。
六角形の切り石を組み合わせた壁はぴったり接合されている。
↑外側は盛り土に隠れるところだからこんなかんじ。
古墳見学は上るだけより石室内部を見学できることが大事。
解説員さんをおねがいして再訪したい。
行田近辺は(江戸前が海から魚なのに対比して)「江戸後ろ」と呼ばれ、
淡水の魚を料理する伝統がある。
ウナギはもちろんおいしい、ナマズに鯉もあるそうな。
渋沢栄一の故郷深谷も近い。
《手造の旅》をかんがえてみようかしらん(^^♪