旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

「関東の『石舞台』」?

2024-05-24 14:07:18 | 国内
みごとな石室。

緑色が鮮やかな緑泥片岩の巨石がそこここに使われている。
写真よりずっと緑色が濃い。
この石は行田からは50㎞ほど離れた長瀞から利根川を使って運ばれたと考えられている。

天井をふさいでいる巨石も緑色

↑いちばん奥の部屋の上から南方向の入り口を見下ろしたところ↑人物と比べると大きさがわかる
もともとは全長約16m以上あったとされる横穴式。
石室は当然土の下にあったのだが、昭和9年に近くの干拓のために土をはがされてしまった。
奈良の石舞台なみに立派な石室がでてきて、
あわてて保存されることになったのである。
周囲にもたくさん古墳があったようだが、今は工場と住宅に囲まれている。
八幡山古墳だけでも保護されることになってよかった。
埼玉県の名前の由来になった「さきたま古墳群」から3㎞ほどしか離れていない。

六角形の切り石を組み合わせた壁はぴったり接合されている。

↑外側は盛り土に隠れるところだからこんなかんじ。

古墳見学は上るだけより石室内部を見学できることが大事。
解説員さんをおねがいして再訪したい。

行田近辺は(江戸前が海から魚なのに対比して)「江戸後ろ」と呼ばれ、
淡水の魚を料理する伝統がある。
ウナギはもちろんおいしい、ナマズに鯉もあるそうな。
渋沢栄一の故郷深谷も近い。
《手造の旅》をかんがえてみようかしらん(^^♪

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北投温泉をちょっと見てから空港へ

2024-05-23 10:48:07 | 台湾

↓「to XIN PEI TOU(新北投へ)」
先住民ケタガラン族の巫女が北投(ぺいとう)温泉へ誘う駅のホーム↓

ケタガラン族の「巫女の住む地」を意味する「パッタウ」が語源といわれる。
※台湾修学旅行ナビにリンクします

3月4日、夕方の帰国便に乗る前に訪れた。

台北から電車で30分ほどの↑「北投駅」から一駅だけ「新北投駅」への支線に乗る↓
↓この支線は1916年に開業したが、温泉街が廃れて1988年に一度廃線になった。
地元の努力によって復活したのは1997年。ラッピング電車も運行している。

冒頭写真は「北投駅」のホームにある大きな宣伝。

温泉街へのたった1キロちょっと・一駅だけを走る専用列車↑車内に風呂桶をイメージしたディスプレイ。

↑新北投駅の新しい門を出てすぐにある月琴を弾く像は「那卡西」

月琴を弾いて歌う「流し」が温泉街の風物詩だったのだ。

温泉街の公園には小さな川が流れている

湯気がでている場所もある

どうやら川の水も暖かいらしい。

↑この斬新な建物は図書館↑世界の図書館25にも選ばれたことがあるそうな。

↑「温泉博物館」と地図にあった建物が見えてきた↓

公衆浴場として1913年に建てられてにぎわったが、1980年代には廃墟になっていた。

1990年代に台湾政府が巨費を投じて修復し、歴史遺産のひとつになった。
↓内部を覗いてみる

↑浴槽はとても深く、立って入浴していたそうな。
諏訪湖畔の「片倉館」を思い出した↓
※2022年のブログにリンクします

日清戦争で台湾が日本領になってすぐに温泉地として開発された。

↑1896年最初にできた宿「天狗庵」の階段が今も残されている↓

現代は日本の老舗旅館も進出↓

平成22年に加賀屋がオープン↑

↑2011年には道後温泉と姉妹温泉になった↓同じ「松山空港」がある縁だそうです('◇')
※TRAVEL VISIONにリンクします


今回は一時間ほどの滞在↑駅に戻ってくるとすぐ横に昔の駅舎が保存されていた
他日、宿泊してゆっくりするのもよいかもしれない。

台北市内中心部の「松山空港」より羽田空港に向かって飛び立った。




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