およそ千二百年もこの林の中に立っている。
1998年の台風では五十メートルの巨木が直撃して破損したが心柱はしっかりしていた。
高さが十六メートルと小ぶりであったことが年月に耐えることができた理由だろう。
「鎧坂」とよばれるごつごつした石段の上にすらっと優雅にみえてくる。
モノ価値の半分は置かれた環境なのだなと、あらためて感じる。
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こちらは五重の塔のすぐ下に位置する本堂↑
その下に位置する、塔と同じく国宝指定された金堂↑内部には、同じく国宝の像がおさめられている。
※室生寺のHPよりごらんください
昨年2020年に開館した宝物殿に移動した十一面観音菩薩像は、宝物殿建設中に上野の国立美術館で開催された「大和四寺のみほとけ」展でお会いした。※こちらのHPからご覧ください間近で見たこの姿に驚かされたことが、奈良の旅を実現させようと動き出すきっかけにもなっている。美術館展示で見るような迫真を、お寺で出会うときには得られない環境であることが多い。室生寺が宝物殿をつくってそこで対面できるようにしてくれたことは、お像の美しさをしっかり感じたい自分にはうれしいことだ。
本堂はかつて真っ赤な朱の色だったのだろう。
擦り切れた縁台を丁寧に修復している。こういう細部こそ、長い年月を受け継いでいくために重要なことにちがいない。
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室生寺は現代でもかなり不便な山奥に位置している。
旅館やお土産物屋が軒を連ねる岸から一本の太鼓橋が渡してあり、向こうとこちらではっきり世界が違うのだ。
赤い橋のたもとに「女人高野」の文字。
徳川綱吉の母・桂昌院が堂塔の寄進をしたことにより、江戸時代にも女性が入ることを許されてきた。
この石碑のすぐ横にある旅館は土門拳や五木寛が定宿にしていたそうな。
古い写真とまったく変わらない内外でした。
細い参道の一角であんこたっぷりの回転焼きを売っていた。