旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

奈良下見~室生寺

2021-02-26 09:04:00 | 国内

およそ千二百年もこの林の中に立っている。
1998年の台風では五十メートルの巨木が直撃して破損したが心柱はしっかりしていた。
高さが十六メートルと小ぶりであったことが年月に耐えることができた理由だろう。

「鎧坂」とよばれるごつごつした石段の上にすらっと優雅にみえてくる。

モノ価値の半分は置かれた環境なのだなと、あらためて感じる。


こちらは五重の塔のすぐ下に位置する本堂↑

その下に位置する、塔と同じく国宝指定された金堂↑内部には、同じく国宝の像がおさめられている。
※室生寺のHPよりごらんください
昨年2020年に開館した宝物殿に移動した十一面観音菩薩像は、宝物殿建設中に上野の国立美術館で開催された「大和四寺のみほとけ」展でお会いした。※こちらのHPからご覧ください間近で見たこの姿に驚かされたことが、奈良の旅を実現させようと動き出すきっかけにもなっている。美術館展示で見るような迫真を、お寺で出会うときには得られない環境であることが多い。室生寺が宝物殿をつくってそこで対面できるようにしてくれたことは、お像の美しさをしっかり感じたい自分にはうれしいことだ。

本堂はかつて真っ赤な朱の色だったのだろう。

擦り切れた縁台を丁寧に修復している。こういう細部こそ、長い年月を受け継いでいくために重要なことにちがいない。
**
室生寺は現代でもかなり不便な山奥に位置している。

旅館やお土産物屋が軒を連ねる岸から一本の太鼓橋が渡してあり、向こうとこちらではっきり世界が違うのだ。

赤い橋のたもとに「女人高野」の文字。
徳川綱吉の母・桂昌院が堂塔の寄進をしたことにより、江戸時代にも女性が入ることを許されてきた。

この石碑のすぐ横にある旅館は土門拳や五木寛が定宿にしていたそうな。
古い写真とまったく変わらない内外でした。

細い参道の一角であんこたっぷりの回転焼きを売っていた。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈良下見~岡寺

2021-02-25 14:27:33 | 国内
奈良時代の高僧・義淵(ぎえん)が竜を封じ込めたという池がある↓

中央の石の中に竜を閉じ込めて蓋をしたので、岡寺の本当の名前は「龍蓋寺」なのだ。

今も、この石を揺らすと雨が降るとされている。


観光ツアーがここを訪れる大きな理由は高さ五メートルの大仏が安置されているから。
※こちらお寺のHPからごらんください
のぞき窓のすぐちかくに巨大な右手があらわれ、間近から見上げる迫力にたじたじとなった。

2019年に東京上野の展覧会「奈良大和四寺のみほとけ」でおどろかされた義淵僧正の座像も岡寺のものときいていた。※こちらからその展示のHPをご覧いただけます・最初の方に義淵僧正の座像の写真があります
お寺を見学しているときには見られなかったが、調べてみると奈良国立博物館に所蔵されているが普段は公開されていないとのこと。2019年は得難い機会だったのだといまさらながら思った。

寺領は飛鳥を見下ろす斜面にひろがっている。

本堂から階段をのぼっていくと奥の院石窟がある。

そこから右へのぼっていくと、飛鳥を見下ろす高台に、竜を封じ込めた伝説の義淵僧正の墓があった↓

行基や良弁など高名な弟子をたくさんそだてた。

寺領はかつてはもっと広大だった。

すぐ前にある「治田神社」の場所がもとの本堂だったのだと推察されている。
↑がらんとしたこのスペースを発掘調査したところ、その証拠となる異物がたくさんみつかったそうな。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈良下見~阿部文珠院の古墳

2021-02-24 08:14:24 | 国内
陰陽師・安倍晴明の生誕地とされる阿部文珠院。

「赤いお守りだけ買っていく若い人が多くて・・・」と住職さんが言っていた。
※阿部文珠院ホームページより
飛鳥時代から奈良時代にかけて隆盛した阿部氏のルーツがここにある。

唐で没した阿倍仲麻呂もこのあたりの生まれとされる。

仲麻呂にささげられた浮御堂がある。

多くの観光客が訪れる目的は、国宝の「渡海文殊群像(とかいもんじゅぐんぞう)」。高さ七メートルの獅子に乗る文殊菩薩はひと目見たら忘れない。※こちらから寺院のHPの写真をごらんいただけます

最盛期には二十八の塔頭を擁する巨大な寺院群だったが、いまはここだけが残っている。
戦国時代に明治維新の廃仏毀釈・・・失われた寺院にあった仏像をはじめとする工芸品群はオリジナルの場所にあることの方がすくない。
しかし、なぜ、ここだけが残ったのか?

その疑問を得心させてくれたのがこれ↓

広大な境内の一角にある、高さ六メートルほどの古墳。

なんと、内部に入ることができる。

はいってびっくり!緻密な石組み

七世紀、古墳時代の末期のもので↑天井は十五メートルの一枚岩↑
長く権勢をふるうことになる阿部氏の祖ともいえる人物=阿部倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が埋葬された場所とされているのだ。
つまり、阿部氏はここからはじまり、何十もの塔頭を擁する寺院とその周辺に屋敷を構える豪族になっていった。
その後、千三百年を経て、かつてのような権力も財力も持たなくなった時、
屋敷や寺院はどんどん数を減らし、父祖のルーツであるこの古墳を擁するこの場所にまた戻ったのだろう。


奈良は見どころが分散しているので京都のように公共交通機関でまわるには時間がかかりすぎる。
既成の観光バス的視点だけではない、奈良《手造の旅》を催行させるために、しっかり時間をかけて歩きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シャンパンのカーヴを訪ねフジタ礼拝堂も見学する

2021-02-22 09:31:46 | フランス
2011年、シャンパンが大好きな方をお連れした。
毎食、いろんなシャンパンを解説付きで味わうことができ、自分の好みを少し理解することができた。

ティタンジェ
牡蠣や海鮮プレートにはもちろん

豚の巨大な骨付き肉をのせたシュークルート(=ドイツ語のザワークラフト)にじゃぶじゃぶかけて熱っする。

チーズ料理にももちろん


「良い酒は旅をしない」というのは本当。
その土地で飲んで「こんなにおいしかったのか」と目を開かせられたことはビールもワインもウィスキーも、数知れず。

アンリオ


F1の優勝者が開けるマム社のカーヴを見学する。
シャンパンは丈夫なガラス瓶が発明されてからの飲物。

↑こんな独特の角度に保存する棚がならんでいる。

首のあたりに澱を沈殿させる↑ライトを当てると溜まっているのが見えた。
これを凍らせてすばやく抜く行程がある。

マム社の社長が依頼して工場敷地内に建設させた小さな礼拝堂↑
↓ここにフジタが壁画を描いているのだ

最晩年

自らと妻の墓もここにある

**

エペルネ―村に、モエ・エ・シャンドンのカーヴと畑も見学に行った。

※ここを訪れた時の話をこちらに書いています
モエはあのドン・ペリニョンさんを継いでいる会社。

お墓もあります↑

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ランス大聖堂の前で「ラ・マシン」の大蜘蛛に出会う

2021-02-19 21:50:50 | フランス
2007、2011年フランスの旅より
フランス屈指のランス大聖堂の前で偶然出会った巨大蜘蛛↓

「ラ・マシン」というパフォーマンス集団が動かす様子わくわくさせられます。
★小松が撮影した四十秒ほどの動画、ご覧ください(^.^)

「ラ・マシン」はフランス西部の港町ナントを拠点としていて、大規模な展示とパフォーマンスを見ることができるそうな。一度訪れてみたいと思っているけれど、まだ果たせていない。

ランス大聖堂は第一次大戦で被害をうけたが修復された。

夏場のライトアップはすごい!これを見るためにランス宿泊の《手造の旅》をつくったほどに。

※こちらにライトアップの写真をたくさん載せました
ランスは歴代フランス国王が戴冠する場所だった。
※そのあたりの話はこちらに書きました
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする