旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

不思議の国アンドラ

2014-11-11 15:30:34 | アンドラ
カルカソンヌを出て、ピレネー山脈の谷にある小国アンドラを目指す。きのう遠くに見えていた雪山が近づいてきた

アンドラはフランスとスペインの国境の谷に、シャルルマーニュ(カール大帝)が803年においた辺境伯を起源とする。フランス側のフォア伯とスペイン側のウルジェル(これはカタロニア語発音、スペイン語ではウルヘル)司教が一年交代で統治してきた。フォア伯の城の近くをとおる
中世ヨーロッパには何百とあった小国の中で、現代まで生き延びている国はほんの数か国しかない。それぞれちがった条件がそれを可能にしただが、アンドラの場合にはこの「共同統治」が功を奏して、フランスにもスペインにも併合されなかったのだ。

ピレネーは標高三千メートルを超える峰が十以上ある。今日越えてゆくアンドラ領アンバリラ峠は二千四百メートルほど。国境を超えてすぐのパ・ド・ラ・カサはすでに標高二千メートル。この雪山に巨大なショッピング・タウンが突然出現した。見えてきたカラフルなビルは駐車場だった。

アンドラは近年まで「税金のない国」として知られていた。現在では4%の消費税がかけられるようになったが、それでも周辺ヨーロッパ諸国が20%を超えるのだから、充分に安い。

タバコはフランスで7ユーロのものが半額の3ユーロ半程度で買えるのだそうだ。もちろんブランド品も。そして酒、砂糖なども、多様な品々が免税になるというので、「スキーのついでに」「ハイキングのついでに」買いだしていく。こういうひとをたくさんみかける

 アンドラはEUに入っていないのでこういった「おきて破り」が出来る。だが、使われている通貨はユーロだという不思議。
フランス、スペインそれぞれの国境で、免税買い物の持ち込み量を厳しくチェックしている。品目ごとに持ち込める量が決まっていて、違反するとその場で超課税を払うか、でなければ、元の店まで返品に行かされるのだそうだ。

※我々のバスもスペイン領へ入る時にしっかりトランクをチェックされ、検査官がドライバーに「このスーツケースの中にタバコがいっぱいつまっていたりしないよね」と冗談めかして言った。

フランス語圏とスペイン語(実際にはカタロニア語)との境界線になっているアンバリラ峠で降りてみよう。標高は2400m。

ガソリンスタンド(もちろんガソリンも安い)の向こうまでがフランス語圏のアンドラ
こちら側がカタロニア語圏のアンドラ。

★ガイドさんのお話し
アンドラの農業はもともとタバコをつくっていたのだそうだ。ところがそれは「黒タバコ」と呼ばれる発酵させた葉をつかった強烈な匂いもので(フランスのタバコ「ゴロワーズ・カポラル」に代表されるようなもの)、アンドラでは子供も吸っていた。この状況をなんとかすべく、「タバコ以外の作物を栽培しよう」と運動したので、今はあまり見られない、そうな。
実際に現在のアンドラの産業は、免税を魅力とする貿易とスキーと温泉(温泉湧いてます)を主体とする観光になっている。

小松の素朴な疑問:フランスとスペインからたくさん免税品を買い求める人々が集まるのだから、それだけの品物が外国からアンドラに無税か低い税率で売られていなくては成り立たない。製品を提供する外国企業とはどのような契約がなされているのだろう?その企業を管轄する国はどのような特例で対処しているのだろう?


★★★アンドラのロマネスク教会をめぐる★★★
小松にとって、アンドラは買い物の国では、もちろんない。
今回このルートを走る事に決めた時、「ロマネスクの教会をいくつかでも見られたらよいなぁ」と思っていた。
現地の手配をしてくださる方を通じて、アンドラ唯一の日本語ガイドさんに連絡していただいていた。
そして、三つのロマネスクの聖堂を訪れることが出来、本当に幸いな事にそのひとつに入る事さえ出来た。

①サン・ジョアン・デ・カセレス教会

アンバリラ峠を越えてアンドラ・ラ・ヴェリリャへ行く半ば。ばんばん車の走る道路沿いに見えてくる。この教会を紹介する観光写真には道路は写されていないから、その立地が分かると少し興醒めではある。だが、もともとはこの道を行く人々が祈るのにちょうどよい場所だったのだろう。

構造の美しさはやはり自分の目で見ないとわからない。全体の構造は12世紀頃だが、外側に張り出した部分は15世紀に付け加えられたと解説されていた

12世紀からの壁に、細い石積みの扉のあと




②サン・ミケル・デ・エンゴラステル教会

アンドラ・ラ・ヴェリリャから南へ曲がりくねった道をあがってゆくと、美しい鐘楼が見えてくる。


17メートルの鐘楼に、珍しく顔の彫刻がほどこされている。

華美になどなりようのない、素朴な顔。それが刻んだ人の信仰心をあらわしているような。
実に美しい石積みの後陣↓


扉は閉まっていたけれど、分厚い壁に細く開けられた窓から、暗い石の床が少しみえた。後日、読んだ解説によると、内部には「全能のキリスト」などのフレスコ画があったそうだが、今はバルセロナのカタロニア美術館に移されてしまったようだ。

*そのまま道をのぼっていくと、エンゴラステル湖にでる。今はダムがつくられて人口湖になってしまったが、もともとあった湖なのだそうだ

坂道を降りて湖畔にたどりついたころ、ちらちら雪が舞い始めた


③サント・マルティ・デ・ラ・コルティナーダ教会
首都アンドラ・ラ・ヴェリリャから北へ延びる谷へトンネルを抜けてゆく。アンドラ唯一の日本人ガイドさんがこの教会のカギを持っている人を知っているという。小松がロマネスク好きなのを慮ってくださって、電話してカギを借りてきてくださった<(_ _)>

大きな古いカギは一見して長く使い続けられているのが分かる。この地方では鉄鉱石も産出し、17世紀ごろ製鉄業も行われていたそうだ。教会内部に設置されていたなにげない鉄格子を「これはアンドラでつくられた」とわざわざ説明があったほどに。重く古い、頑丈なこの鍵もこの地でつくられたのだろう。

教会は12世紀頃から、何百年も現役で使い続けられている。当然使いやすいように増改築もされている。この方向から見えるのは17~18世紀の新しい部分だ

最初の入口はセオリーとおり西側だったと思われるが、現在の入口は北側となっていた↓増築時に変更されたということか。

古いカギを差し込みガチャンとまわす

小さいカギも、新しい鍵穴に入れる。驚いたことに、中にはさらに電子式のセキュリティ装置があった。管理人の方からそのコード番号もきいていたので、無事に開錠。
内部は意外に広い

きれいに掃除されて、埃も積もっていない。村の人がいまでも使い続けている雰囲気が感じられる。この地方の伝統的な木彫が施された椅子には「1635」と刻まれていた

天井近くにあるこの装置、鐘を鳴らすための道具だとか

前出のサン・ミケル教会の鐘楼で見られたのと同じような顔がある。

そして、いちばんの収穫は、入口近くの、12世紀から部分の壁あったフレスコ画。多くの保存状態の良いフレスコ画は、剥がされてバルセロナのカタロニア美術館に持っていかれてしまっているから、これだけちゃんと残っているのは幸いだ。

これが12世紀ごろの絵!?こういう絵をかける人は、どの時代にもちゃんといたらしい。

****
ラ・コルティナーダ村からラ・マサダ村をとおり、アンドラ・ラ・ヴェリリャにむかうトンネル部分におもしろい橋がかけられている。
この橋、なんと建設途中で二度も崩落したのだそうだ。ポルトガル人の労働者が五人も亡くなり、アンドラでは大きな問題になっているそうな。

アンドラという国は人工8万人と言われるが、実際にアンドラ国籍なのは2万8千人ほどで、あとは外国人。お話しの彼女も四十年アンドラに住んでいるが国籍は日本で、ベルギー人のご主人との間のお子さんも日本国籍があるそうな。 
こんな話をしていたら、ドライバーのジョルジュさんが「ぼくもポルトガル人だよ」とぽつり。

****さいごに首都
アンドラ・ラ・ヴェリリャの旧市街を少し歩く。公用語は世界で唯一カタロニア語となっている。つまり、バルセロナと同じ文化圏であるということ。民族舞踊もバルセロナと同じ「サルダーナ」その像が路地にたっていた。

郵便制度はフランスとスペインの両方を利用できる不思議な国。
下の写真で左がフランスのポスト、右がスペインのポストである。


旧国会議事堂は1402年に地元の貴族の邸宅を買い上げて設置されたもの。

左右に張り出した丸いものは鳩小屋だそうな。もともとは向かって右にしかなかったのだけれど、バランスを考えて左側にも同じものを追加したのだそうだ。
国旗はフランスの色とスペインの色の両方折衷した雰囲気。そこに描かれた紋章はウルジェルの司教の冠と、フォア伯爵の牛。それにカタロニアを表す金の地に四本の赤い縦線。

よくご覧いただきたいのが牛の向き。下の古い紋章では牛は右を向いている。

「牛がぷいっと外を向いているのはよくないということで、1950年代に向きがかえられたんです」との説明に、一同爆笑。そんな簡単に変更できるんですか?

旧国会議事堂の一角に、アンドラの歴史を表す記念碑が置かれていた。

上半分が1278年にウルジェル司教とフォア伯が、「パレアトジェス」と呼ばれるアンドラの共同統治条約に調印した情景を表す。
下半分は1993年3月14日、ウルジェルの司教とフランス大統領ミッテランが、新しい共同統治に署名をしたところ。

1993年にこのはじめての憲法を制定することにより、アンドラはやっと正式な独立国と世界から承認されることになり、国際連合にも同年加盟したのであります。
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