旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

伊豆の黄金疳を摘む旅をつくりたい

2025-02-15 15:51:20 | 国内
青空と黄金柑!
黄金柑は小ぶりだが爽やかな甘さ。

★黄金柑(左)についてこちらに書きました
★寿太郎(右)も秀逸※こちらに書きました

2月12日11時、沼津駅からカーシェアを利用して40分ほど。
黄金柑の畑からこんなふうに富士山が…↓
見える予定だったが、今日は代わりに鳥のような雲が出ていた。

伊豆の急峻なみかん畑から見下ろす駿河湾。

多様な柑橘類が育っている。

グレープフルーツ、デコポン、寿太郎みかん、黄金柑。
**
この日朝、大阪高槻をでて8時には左手に雪をかぶった湖西の山並みを見ていた。

三島で新幹線を降り、一駅戻って沼津に10:20過ぎに到着。
途中下車で改札を出ようとしたら、三島⇒沼津は別途支払いが必要だった。

駅舎の観光案内所で調べてきた情報を確かめ、案内ができる人がいるのか訊ねる。
駅を出て一分のカーシェアを11時から利用。
そして、冒頭のみかん農家さん宅に到着した。
体験収穫のために残しておいてくださった黄金疳を収穫

どのようにしてつくられてきたのかお話くださった。

黄金柑も寿太郎も
柑橘類は接ぎ木で育てられるということからして知らなかった。

「摘果」で落とされた実がたくさんおちている。
素人目にはたくさん収穫できるのがよいと思ってしまうが、質の良い実のために数を減らすことが重要。

軽トラックで先導していだだき、さらに上の畑へ。

急な斜面に収穫されていない寿太郎みかん?
↓崖の上の建物は収穫した後寝かせてさらに甘くなるのを待つ倉庫。

働き手不足で収穫できない状況も多く発生しているそうな。

急な細道を先導する軽トラックをゆっくり追いかけて山の上に出た。

数年前からイチジクをはじめたが↑収穫しやすいように横に木を延ばしてある。
枝を選んで残す作業の跡がよくわかる。

↑防風林として槇の木は富士山を隠してしまうかも。

↑ハクビシンやイノシシなど獣が果実をねらう。


《手造の旅》でここから富士山とみかんの風景をお見せしたいなぁ。
しかし、現地へきてわかったのは、
普通乗用車でもここまで登るのは楽じゃないということ。
下から登ってもらうのはそこそこ距離がある。
天気の良い日ならお弁当を持って上がるのも楽しそうだが…
ちと考えます。
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近江長浜の魅力をもっと~古民家の宿

2025-01-06 07:31:24 | 国内
築150年の古民家宿。目の前に琵琶湖がうちよせる。
部屋の小さなまどから

「湖桑庵(こそうあん)」。
↓古い国鉄車両の客室もある。

《手造の旅》では使いにくいが、一度泊まってみたいかも。

**
12月21日朝十時過ぎ、伊吹山はうっすら雪をまとっていた。

無人の河毛駅で降りる↓

長浜ガイドの松山さんが迎えてくださった。
最初に「丸小舟の館」へ※2020年はじめて訪れた時のブログをごらんください


何度来ても発見がある。
↓船の中に乗っているマネキンのモデルはこの博物館がつくられた時の滋賀県知事國松氏で、現長浜市の出身だった。

**

すぐ目の前の老舗旅館でランチ

入ってすぐに巨大な孔雀

奥には日本庭園まであった。
昭和の冠婚葬祭には大賑わいだっただろう。
***
菅浦は落葉がまだまだきれいだった↓

紅葉も


昨年四月と同様にスリッパで石段を上った※その時のブログにリンクします

菅浦の集落専門のガイドさんに解説してもらいたいと思ってまだ果たせていない。


*****
冒頭写真の古民家「湖桑庵」を見学

↑一階部分はカフェになっている↑事前にお願いしておけばお弁当もある。

二階部分に百五十年前の柱がにょきにょきしている部屋が四つ。

ここの魅力は民家の雰囲気+その立地。

↑部屋からの眺め↑左にちょっと突き出しているあたりまで水位が低ければ歩いて行ける。
前出の国鉄時代の車両を使った部屋が表にひとつ。

↑東急車両?
******
6月27-29《手造の旅》で糸繰りを見学させていただく大音(おおおと)集落。賤ヶ岳のふもとにある。

すぐ近くに歴史ある伊香神社

こちらもしっかり案内していただきたいと思っております。
*******

木之本駅前の道の駅「おかん」でカブとカキモチを買った。
安くて!ほんとにおいしいカブでした(^^♪

********

すぐ近くの★江北図書館※こちら見どころをもう少し書きました

6月27-29の《手造の旅》でも、
図書館愛あふれる館長にご案内をおねがいします(^^)/


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近江長浜の魅力をもっと~江北図書館

2024-12-29 14:14:51 | 国内

江北図書館で「吾輩は猫である」初版本を間近に見せていただいた※右の版画はネコがビールを飲むラスト近くのシーン。
↓こういった希少本はこのガラス戸の向こうに保管されている。

希少図書だが予約すれば一般の人も閲覧することができる。
12/21館長が案内してくださった。

↑このエンクロサイペディア(ブリタニカ百科)の第九版は三面塗金↓
『Encyclopædia Britannica』第9版 
The Scholar's Edition(学究に愛された版)として名高い。
セント・アンドリュース大学教授T.S.ベインズやウィリアム・R.スミスが編集に携わる。
日本橋丸善で輸入販売が開始され、伊藤博文、尾崎行雄、徳富蘆花、犬養毅らが購入。
※上記のように解説されているブリタニカジャパンのヒストリーページにリンクします

↑江北図書館の現在の建物は昭和12年に建造された元「郡農会館」。

↑左上、法服を着た杉野文彌(1865-1932)が明治35年に開設した「杉野文庫」がもとになっている。
余呉湖の田舎で苦学し、自由に本を読めなかった自身の経験から、
故郷に私設の図書館を開いたのだった。
この時代は新しい日本文学の黎明期。
冒頭の「吾輩は猫である」は明治40年に刊行されている。

↑「夏目」のハンコが押してある↑

大河ドラマからみ「紫式部日記」の展示もあった↓

江戸時代の本から

わかりやすく解説してくださっている。


本をどう分類するかは難題。

↑「ネルソンとナポレオン」のとなりに「謡曲(能の言葉)評」、そのとなりに「法学通論」が並んでいる。

ご苦労が感じられます。
二階にあがってすぐに、古い木箱が目に留まった↓

「群書類従」は大著として名前をきいたことがあったが、塙保己一という人をちゃんと認識できた。
※こちらにもう少し書きました

↑二階天井の洒落たデザイン↑

↑この写真は江北図書館がこの建物に移ってくる前のものだと思われるが↑床は畳で、日本式に靴を脱いで上がる施設でありつづけているのがわかる。

片隅にあった↑回転書架は前出のエンクロサイペディア用のものだった↑

↑書籍カードはかつて図書館の必須だった↓

↑手書き文字が書かれた時のことを想像する。
↑ディッケンズの小説デビュー作「ピクウィック物語」ニューヨーク発刊

地方の小さな町で学ぼうとする人に、こういう本を手に取れる機会を提供していた場所なのだ。

久保寺館長↑2025年6月27-29《手造の旅》でまたお話いただけるのを楽しみにしています<(_ _)>






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「波の伊八」を知る~大山不動尊、行元寺、飯綱寺、+笠森観音、ホキ美術館、瑞洲亭

2024-12-23 14:02:59 | 国内
北斎にも影響を与えたと伝わる武志伊八郎信由は今、「波の伊八」と通称されている。

※こちらにも書きました
12月8日午後に訪れた大山不動尊は↓今年開山1300年を迎える古刹。

修験道、神道、天台宗、真言宗、変転はしたが近在の信仰を集め続けている。
1802年に建て替えた本堂の入り口に↓伊八が彫った二匹の龍↓

↑下に臥す脚に宝珠を握る「海の龍」↑波が大きな波頭をつくり上昇して雲に変わっている↑
↑左上の翼のある「空の龍」↑両方の周りに稲妻が見える↑
宗教宗派が変わっても、大山不動尊はずっと雨乞いの場所だった。
雷は科学的にも雲の中に溜まったマイナス電荷が地上のプラス電荷と接触して起きる放電現象。
伊八の龍は期せずしてそれを表しているようにさえ見える。

彫刻と同じ1802年に完成している本堂には↓より古い時代の厨子が見える↓

↑日光東照宮の彫刻に携わった彫り物大工が療養のために暖かい房総に滞在し、彫ったと伝わっている↑
↑たしかに東照宮の陽明門を思い出させる↑
厨子の縁台に↓伊八の写真集で見おぼえていた「俱利伽羅龍」がみえた↓

↑後ろに見える厨子の龍と呼応するようだ↑この場所のために彫られたのだろうか?
※間近に見せていただけるタイミングで俱利伽羅龍の足元に見事な波が彫られているのを教えていただいた。この波が見えなくなるような場所にもともと置かれていたとは思えなくなった…

↑外陣の巨大な絵馬など興味惹かれるモノはまだまだみられる…他日を期します。

翌日12月9日、冒頭写真の波の欄間がある行元寺を訪れた。

円仁については2015年に山形の立石寺(いわゆる「山寺」)を訪れた時にはじめて知った。
※この時のブログにリンクします
円仁が唐から持ち帰ったサンスクリット語⇔漢字の辞書を、2022年に東洋文庫で見た※リンクします
最澄の弟子で、最澄を超えた人物だったと思う。
円仁が東国で最初にひらいた寺なので「東頭山(とうずさん)」と称されている。

江戸時代以前の天正14年(1586)に建設され↑元禄時代に拡張された本堂は火災に遭っていない。

↑拡張の際に、幕府から派遣された御用宮彫師 高松又八郎邦教の彫った鮮やかな欄間彫刻がある。
現代では伊八の方が有名だが、当時は高松又八郎の方がずっと格上。
伊八は先人の技に学んでいただろう。
一方、北斎の兄弟弟子五楽院等随の鷹の杉戸絵もある。
※行元寺のHPにリンクします

「波の伊八」の最高傑作と言われる「牛若丸と天狗」がある飯綱寺へ。

「千葉虹色こまち」さんのページに写真たくさん紹介されています※リンクします
屋外で風雨にさらされている伊八の木彫もたくさんある↓


↑この裏側

どれも波が躍動している。


注目される作よりもその周辺を見ていくことで真価が感じられる。


伊八もさることながら、次の世代になる※大木茂八の木彫にも惹きつけられた↓

※こちらにも書きました



江戸時代に奉納されたたくさんの天狗たち。

境内のキンカンを味わうこともできた。

**

外房の波はオリンピックのサーフィン会場につかわれるほど。

釣ヶ埼海岸にもよった。

五十嵐カノアをはじめ日本チームのサイン入りボード↑

房総の蜂蜜買ってみました
***
笠森観音へ

日本唯一の四方係=岩山のてっぺんにお堂を建て四方すべてを柱で支えている。

後一条天皇の勅願で最澄が彫った十一面観音立像を収めるために平安時代に建てられたと伝承は語るが、
昭和35年の調査で天正(安土桃山時代)の墨書が見つかり、その頃の建築ではないかとされている。

昭和の解体修理以前はいったいどんなだったのだろう。

周囲の森が見晴らせる。
****

ホキ美術館は、日本人画家の超写実絵画を専門に集めている。
2010年に開館した時には周囲の住宅街はなかったとのこと※HPにリンクします

*****
ご希望の方と「瑞洲亭」で夕食。

旧スイス大使館を移築した。

格天井の応接室の個室でいただきました。

燻製の煙を閉じ込めた球をひらくと




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「ら・みらど~る」の夕暮れと朝

2024-12-19 22:57:24 | 国内
まさに「ら・みらどーる」=展望台


日暮れの早い12月。
午後三時過ぎ、外房鴨川のホテルに到着。

アンティークホテルをつくったオーナーさんのお話をきいて、

個性的な名前の部屋に荷物を置いて、
近くの展望台まで歩いた。
「魚見塚」と呼ばれる、かつて漁師たちが魚がやってくるのを見張っていた場所。

頂上に立つ「暁風」と題する女性像は、地元の彫刻家長谷川昴(はせがわこう)の作品。

調べてみると高村光雲の弟子で「東京湾観音」を制作した人だった※鴨川市のHPにリンクします

日没を見届けて

坂を下りる戻り道。ホテルの敷地にに入る時に冒頭写真の景色が見えた。

ダイニングに入る

↑カルパッチョ↑黒いのはクジラ↑海老もおいしい。千葉県の外房は近年、伊勢海老水揚げ日本一。

キンメダイ↑黒酢ソース

チキンのコンフィ

楽しい夜になりました
その夜、ホテル入り口前から星がとてもきれいだったそうな。

翌朝、大浴場


外房総に太陽がのぼる。

「ら・みらど~る」は南フランスかスペインのようなたたずまいなのに、実は日本的なおもてなし精神で運営されている。
ヨーロッパのプチホテルのような空間が

アンティークでいっぱいで

最初は誰でも「ヨーロッパみたいだ」と感じるのだけれど、時々日本的で良いなぁと思わせてくれる。
玄関で靴を脱いでスリッパですごすし、クローゼットには浴衣まで用意されていた。

朝食でびっくりしたのは↓このスープ

ひと口飲むと海老の出汁がくちいっぱいに(^^♪
ほんとうの美味しさは写真に写らない。
左上に映っているマチェドニア(いわゆる「フルーツポンチ」)の蜂蜜は房総の日本ミツバチのもの。
そのまま味わうととても濃厚。季節によっても味がちがうだろう。


12月の房総は青空の日が多い(^^♪


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