旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

「ら・みらど~る」の夕暮れと朝

2024-12-19 22:57:24 | 国内
まさに「ら・みらどーる」=展望台

日暮れの早い12月。
午後三時過ぎ、外房鴨川のホテルに到着。

アンティークホテルをつくったオーナーさんのお話をきいて、

個性的な名前の部屋に荷物を置いて、
近くの展望台まで歩いた。

日没を見届けてもどり

ダイニングに入る

↑カルパッチョ↑黒いのはクジラ↑海老もおいしい。千葉県の外房は近年、伊勢海老水揚げ日本一。

キンメダイ↑黒酢ソース

チキンのコンフィ

楽しい夜になりました
その夜、ホテル入り口前から星がとてもきれいだったそうな。

翌朝、大浴場


外房総に太陽がのぼる。

「ら・みらど~る」は南フランスかスペインのようなたたずまいなのに、実は日本的なおもてなし精神で運営されている。
ヨーロッパのプチホテルのような空間が

アンティークでいっぱいで

最初は誰でも「ヨーロッパみたいだ」と感じるのだけれど、時々日本的で良いなぁと思わせてくれる。
玄関で靴を脱いでスリッパですごすし、クローゼットには浴衣まで用意されていた。

朝食でびっくりしたのは↓このスープ

ひと口飲むと海老の出汁がくちいっぱいに(^^♪
ほんとうの美味しさは写真に写らない。
左上に映っているマチェドニア(いわゆる「フルーツポンチ」)の蜂蜜は房総の日本ミツバチのもの。
そのまま味わうととても濃厚。季節によっても味がちがうだろう。


12月の房総は青空の日が多い(^^♪


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岩谷観音堂、灯篭坂大師切通、「紅葉ロード」から外房へ

2024-12-19 09:42:24 | 国内
不動明王が入り口に立っている。

●岩谷観音堂は古代の古墳横穴を拡張してつくられた仏教寺院。

埼玉の「吉見百穴」と同じように6世紀から8世紀ごろの横穴墳墓を
鎌倉時代から明治時代に至るまで、仏教寺院として彫りこんでいった。

↑第1窟は↑本堂が覆いかぶさっている崖の中↓

↑閉められている扉の向こうには岩に彫り込まれた阿弥陀如来と観音菩薩、それに縄文時代の巨大な石の棒も祀られているのだそうだ…見てみたい。
この奥ですが…
第2窟は本堂横から回廊になった通路(冒頭写真がその入り口)
さらに上への階段も続く。

現在は14窟と数えられているが、周囲にはかつてお堂だっただろう穴がたくさん見られる。
江戸から明治にかけての賑わいが感じられる。寄進者の地名や講の名前が刻まれ、番号がふってある。

↑拙い千手観音像↑顔が削られたのは廃仏毀釈の時?
↑川から見上げた崖に位置しており、上総湊港から湊川を数百メートル入っただけ、海からも近い。

周囲には14窟よりももっと、見どころが埋もれていそう。

**車で少し移動

●灯篭坂大師切通

今回の旅で最も体験していただきたかった場所※9月に小松が訪れたブログにリンクします

↑9月の写真より↑この隧道はいちばんうえの四角くみえる部分を明治期に歩行者用通路として貫通させ、その後車も通れる道にするために下まで広げた↑

↑切通しを抜けて左の階段を上がったところに↑この灯篭坂大師がある↓

切通の上部だけが開いていた明治時代まで人々はこの道階段を上っていたにちがいない。

↑お堂まで上がると海が見える↑
↓灯篭坂大師からさらに上がる石段が今もある↓最初の切通しができる以前に使われていた道だ。こちも石の壁を掘り抜いてつくられた道だったのがわかる。

↓かつての主要道路↓

小さな城があったという峠を越えて続く↑
↓今は、貫通した国道がかつての旧道の下を通っている


内房総の海の向こうに

富士山が見える。
***午後、房総半島内陸部を通って外房へ向かう。

182号線は「紅葉ロード」と呼ばれている。

房総半島南部は12月一週目でもまだ紅葉の時期だ。

富津市のワゴンカーが軽食スタンドを出していた。



晩秋の午後


****
鴨川市に入り、カステラ工房「ルーアシェイア」に寄った。

「千葉でなぜカステラ?」と小松も思ったが、
それにはちゃんと理由がある※HPにリンクします
以前試食させてもらってとてもおいしかった。


夕暮れ前に鴨川市の高台にある「ら・みらどーる」に到着。



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トベラ実る金谷街歩きと鋸山

2024-12-15 17:09:42 | 国内
房総石の壁に南国風な実が赤く割れている。
つい先月、五島列島の福江島のさらに離島・嵯峨島で割れる前の実を見た↓※11/21五島列島のブログにリンクします

今頃↑嵯峨島の実も赤く割れているのかもしれない。
※調べてみるとトベラという名前。ラテン語名もPittsporum tobira。日本語からつけられた?

富津岬から金谷の街にある鋸山美術館に到着。

※11月に下見しておいてよかった

中庭でお弁当をいただきます↑「そてつ農園」の人気お弁当
※「そてつ農園」のHPにリンクします

↑右下のが「鰺飯おにぎり」(^-^)
個人的には焼き鳥が気に入りました(^^♪
鋸山美術館は現代アートもちらほら。

↑こちらは現代アートじゃなくて鋸山から切り出した石を下すために使っていた滑車↓

↑山頂の博物館の解説版↑下の方法に使われていた↑「今」と書かれているが切り出しは1985年に終わっている。

↑これは何?意図的置かれているが解説はなかった。
金谷の街は昭和な商店がいくつもある。

グルメ番組でもとりあげられたのだそうだ。

鋸山ロープウェイ、今回は「たくさん歩ける組」と「ちょっと歩いたらロープウェイでもどる組」に分けた。

標高三百メートルちょっととは思えない絶景へ。

↑人がこの崖を削り出した↑鋸山の北面だけが切り出されたのは南側に古刹・日本寺があったから。
採石がはじまるはるか前、奈良の大仏と同じころに開山されたとされている。
到着してむかったのは「百尺観音」。手掘りの跡が残る壁を抜けていくと…

高さ30mの観音像が彫り込まれている。
ここまで来るのがやっとやっとという方は、小松とロープウェイで戻り、バスで「大仏」下の駐車場へ。
健脚組は鋸山専門ガイドさんと歩きましょう(^-^)
歩いてきます(^-^)
・・・
小松はロープウェイでバスに戻る組といっしょ

12月の陽は早くも夕暮れている。

バスで大仏下の駐車場に先回り。

駐車場から大仏への途中、良い感じの紅葉。

奈良の大仏より大きい・日本一の大仏を見上げていると、
歩く組がガイドさんと到着した。16時半に日本寺の境内を出た。

全員で山を下り、バスは海岸沿いの道を北上。

日が暮れる前に「いとや」に到着。

地元の人気店。

江戸前オイスターもあった。
人気アイドルグループがカレンダー撮影をしたのだそうな。
我々の宿泊は君津駅前




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富津~砲台と古墳

2024-12-13 09:38:18 | 国内
富津岬の向こうに富士山が見えた。

↑岬の先に丸い二つの人工島=第一、第二海堡が見えている。
第一は立ち入れないが、第二は近年観光訪問もできるようになった。
対岸にある第三は船の安全のために取り壊された↓

google mapで見ると富津岬がくちばしのように突き出し↑その先の海の中に二つの海堡が見える↑

東京湾の入り口を護るため人工島がこんなにあったのだ。
12/7《手造の旅》南房総は岬の砲台跡を富津市の方に案内していただくところからはじまった。

第一海保と同時期の明治15年から建設がはじまった。

当時盛んだった鋸山からの採石で切り出してきた石が使われている。

レンガでできた部屋は弾薬庫だったと推察されている。

上りきると広場にでた。

今は公園だが、もとは東京湾に侵入する敵を迎え撃つ砲台。

銃座がのこされている。

今は松林で覆われているが、砲台が築かれた当時に樹木など植えられていない。


掘割を渡るちょっとおもしろいデザインの橋。

渡って、林の中の道を入るとすぐにコンクリートの壁が立っていた。

壁の真ん中に覗き穴がある。

ここから銃を発射するのだろうけれど、戦闘用には思えない。

100mほどいったところに別の大きなコンクリート壕があった。

解説してもらってはじめてわかった。

先ほどの場所から撃った銃弾は↑この場所に置かれた鉄板?に向けられていたのである。
どれほどの威力があるかを測定する場所だったのだ。
富津岬が軍事拠点だったことをはっきり理解できた。
バスに乗って古墳に向かう。

このエリアは内裏塚古墳群と呼ばれ↑消滅したものもふくめ47の古墳が表記されている↑
南関東最大の古墳集積地帯なのだそうだ。
今日、訪れるのは上の地図の南4kmに位置する弁天山古墳↓

↑登ってみると海が近いことがわかる↓

つまり、海からもよく見えていた・海から見えることを想定して建設された巨大古墳だ。
昭和二年の小学校建設工事で石室が見つかり、昭和四年に国指定の史跡に認定された。

墳丘の後円側は鉄道敷設のために削り取られているが石室を見学できる↓奥の三角屋根が昭和五十年代に設置された石室を護るための施設。

↓建物の外側からの写真↓

竪穴式の墳墓で↑埋葬の後に蓋をした天井の大石が見えている↓

突起の部分に縄をかけて降ろして蓋をした?関東ではこういう突起はここしか見つかっていない。
12月7日は中にも入れていただきましたがそちらの写真は掲載不可とのこと。
まだまだ発掘途上なのです。



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嵯峨島~離島のさらに②港周辺

2024-12-11 07:44:17 | 国内
11/21 午後3時 嵯峨島の外海に面した北西側千畳敷からの帰路、火山「男岳」の山頂を見上げる。

↑山頂へ登っていく道は先週Nさんたちがボランティアで草刈りをしたのだそうだ。

福江島に面した東側の港に戻る



アコウの巨樹もみておかなくちゃ。



教会への坂を上る

きちんと手入れされた石垣

実質五十人程度しか住人がいなくなった島にも、整備された道と教会がある。

1918年(大正五年)の建物を大切に使い続けている

細部までよく手入れされている


正面のステンドグラス、いちばん下が隠れているのはなぜ?

外へ出て裏へまわって見ると…

あとから建てた家の屋根がふさいでいた。

島に一つだけの自動販売機の前をとおり、港へ戻る


「オーモンデー」というかわった念仏踊り?の写真を見せてくださった。

後継者がいなくて2023年は中止されたと新聞に載っていた
※長崎新聞のページにリンクします


午後四時のフェリーで福江島・貝津港へもどる。
空港まで40分ほど。

この日、長崎への便は欠航したけれど、福岡便は飛びました。


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