旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

レフから村での歓待、ラルナカのラザロ教会を見てから空港へ

2015-11-28 09:06:43 | キプロス

キプロス視察最終日の午後は、レフカラ村へ。2009年世界無形遺産に指定されたレフカラレースは、伝承では1480年ごろにダ・ヴィンチがファマグスタ要塞建設のアドバイスにキプロスにやってきた時に、お土産に買って帰ったとか? キプロス女王カタリーナ・コルナロが故郷ヴェネチアへの手土産にしたとか。

「レフコ」とは、白いという意味なのだそうで、民家の壁に白い石を使っていたからだとか。レフカラ上の村と下の村を俯瞰すると、「そうかもしれない」と思えるギリシャの島によく見られるスタイルとイタリアの山間部の村を足したような味わいに見えた。標高は600メートルほど。約1000人ほどが暮らしている。

「日本に村をPRしてくれる旅行団がやってくる」との広報で、市長のサヴァスさんはじめ村をあげて迎えてくれた。テレビもやってきて、我々が市庁舎へ入るところを映している

式典のあと、レース展示場を訪れる。 この手のモノに知識の足りない小松だが、たしかにすばらしいレースに思えた⇒ 銀細工も有名だそうで、これはいわば香炉⇒銀自体はこの島ではとれない。

中心になる「聖十字架教会」ここの建設には1341年ルジニャン家のヒュー三世が資金を出したと伝わる。

★教会の裏手から街並みを見ている時、モスクのミナレットが目についた

「この村にはイスラム教徒もいるのですか?」と訊ねてみると、「1974年までは仲よく住んでいたんだ。最近まで一人いたけど亡くなって、もうイスラム教徒はいなくなったよ。」とのこと。誰も使わなくなってもしかし、モスクはちゃんと手入れしてある雰囲気が伝わってきた。

キプロスは北のトルコ系、南のギリシャ系と分かれているが、住んでいる人々の感覚はのトルコ国民やギリシャ国民と同じではない。民族と宗教を超えて「キプロス人」という自覚をもっているの伝わってきた。これは、今回の実際に訪れてみて、はじめて知った事実である。

キプロス島の人々は、ヨーロッパや中東で起きている宗教や民族の争いとは一線を画したところで生きてきた。

この半世紀ほどは英米ギリシャとトルコによって、地理的に分断されてしまったが、それほど遠くない日に、ふたたび「キプロス人」としてひとつに統合できるのではないだろうか。 レフカラ村の人々はその日を期して、モスクもちゃんと手入れしているのではないだろうか。そんな風に思えてくるのです。

町をあるくと、伝統のお菓子の試食 また、あ!あの実をむいている。先日デザートで出してもらったのは、これを砂糖漬けにしていたのか↴

手が黄色くなっちゃうんですね

町の人と会食がはじまる 市長も加わっての会食、地元のおいしい料理がずらり目をひいたのが、TAVASというお米の煮込み料理。米と玉ねぎ、トマトにズッキーニ、ミント、クミン、最後にうえにポテトをしっかりのせて、この丸い器ごと焼き蒸す⇒お米好きの小松だけでなく、日本人全般に合う味だと思う。

 小松の隣に座ったのは、市長の三男ヨルゴスくんだった。ロンドンの学校で勉強して七年前にキプロスに戻り、今はニコシアの銀行で働いているという。

「キプロス金融危機の時たいへんだったでしょう?」ときいてみると、「あれはとんでもない措置だった」と、クールながらも政府批判。預金の3%を強制徴収なんてとんでもないですよね。

レフカラ村を離れいよいよ空港のあるラルナカへ向かう。

***

空港のあるラルナカにもキプロスに来たら是非訪問したい場所がある。新約聖書に出てくるラザロの埋葬地になった教会。キリストが死後三日のラザロを復活させたが、その後ラザロがキプロスへやってきたというのであります。この教会の地下からその棺がみつかり「ラザロ、三日の死」と刻まれていたのだそうな⇒

夕方のミサが行われていた教会、今度来るときにはゆっくり見学したいです。

すぐちかくに美しいビーチがある。今回ロンドンから来てくれたスタッフの一人は奥さんがキプロス人。子供たち連れて毎年ここに滞在していたのだと、懐かしそうに話す。「このアイスクリーム屋の彼女は、うちの子供達がこぉんなに小さな時から知ってるんだ」⇒

美しい夕景をみながら、ぎゅっと詰まったキプロス視察を締めくくる。 ぞろろに海岸を歩くと、なんだか南フランス・ニースのプロムナード・ザングレに似た風を感じていた。

 

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キプロス文字、ヒロキティア遺跡、火力発電所と軍の基地、ハルミチーズをつくる農家

2015-11-28 08:37:47 | キプロス

朝、ヒロキティア遺跡へ行く途中、「キプロス文字」について話していただいた。キプロスでは学校でもこのアルファベットについて習うのだそうだ⇒興味深いのはキプロス文字がギリシャ文字よりも古いもので、ギリシャ文字がなかった時代のギリシャ語を表記しているということ。 類似が指摘されるのは、クレタ島でアーサー・エヴァンスが20世紀初頭に発見した⇒ファイストスの石版ファイストスの石版に描かれているのは線文字A、線文字B、そしてよりも古い時代の神聖文字である。神聖文字はは完全には解読されていないが、確かにこのキプロス文字に似ている。 

クレタ島で何度もこれら三種の文字についての話は聞いていたが、やっと「その先」の話に出合えた気がする。クレタ再訪の時(いつ?)にもう少しおいかけてみたい。

**

石器時代の遺跡ヒロキティアへ。紀元前七千年とか言われてしまうと、想像もつかない世界だが、人間というのはその時代でも集落をつくって生活していた。日本では縄文時代あたりだと思うと竪穴式住居の地中海版と思えてきた。こちらはその復元版⇒ 住居の内部に人を埋葬していたと考えられているのだそうで、「胸に石を置いて起き上がらないまじないにしていた」とのこと。屈葬で発見されたものを復元してあった⇒ こちらが住居の発掘地⇒ 山の斜面に沿って城壁のようなものが居住地を囲んでいたようだ。壁というのはは頑丈なのでこうしてよく残っている⇒ 屋根をかけてあるというのは、この程度であっても「保存しなくちゃ」という意識がある大事な場所。そこを見ている時、地中に水道管のようなものが見えた。「え?この時代にこんなのを地中に通していたの?」と思った。ガイドさんによると、「それは現代のものでしょ」とのこと。発掘したときに見つかって復元したのか、ただ単に遺跡保護のために水抜きに通したものなのか、よくわかりません(笑)

★火力発電所が海沿いに見える。このとなりには軍の施設があり、2011年の7月にとんでもな事件が起こった・・・別に書きます

***山の中に少し入ってヤギを買っている農家を訪れる。

ここでハルミチーズをつくるのを見せてくださった行程としてはイタリアでモッツァレラをつくるのと同じ 豆腐みたい⇒ しっかり石を載せて水分を抜いて⇒ カットして ハーブと塩をたっぷり入れるのがこちら流。

ここで真空パックしてもらったものと、スーパーで買ったもの、両方を帰国後に焼いて食べてみたが、共にかなり塩辛かった。ワインと一緒に食するとはいえ、日本でそのまま食べるのには塩分が強すぎる印象である。

 

 

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アラシアホテルとアマソス遺跡

2015-11-27 17:49:37 | キプロス

キプロスの南岸、リゾートホテルが並ぶリマソルエリア。 海岸に面したロケーションのよい大きなホテルをたくさん見た後で、市街地にある個人経営の小さなホテルを訪れた。なにげない雰囲気なのだが、地元手配会社さんイチオシときかされている。

←見かけはこのとおり、機能的できれいな小さめのホテルというだけ。だが、このホテル見学・昼食は、視察旅行の屈指に印象にのこるものになった。ゆったり広めのロビー ようこそ!とむかえてくれたオーナーさん自ら施設を案内してくれる。このスィートルームにはポール・マッカートニーも泊ったんだとか⇒

そして、お楽しみのダイニングへ キプロス名物のじゃがいもがこんなスティックになって登場 野菜にかかっていたドレッシングはなんとハチミツベース!バルサミコとレモンでさっぱりしあげ ハルミチーズはやっぱり焼くのがおいしい⇒ 一口サイズに野菜をサンドしてくれていておしやれ⇒ ドルマ(詰め物・巻物)はオニオン、トマト、穀物類を香辛料と混ぜたものをぎっしり詰めてボイルする⇒ ああ、焼いたきのこ!⇒ ラムチョップ⇒ ひき肉と玉ねぎにジャガイモを擦ったものをあわせたケフテデス(だんご)⇒

食後にはアンティークなギリシャコーヒーマシンの実演をしてくださった。この機械はもともとは炭を入れて使われていたのだが、今はガス式に改造したのだそうだ。今はこんなものどこにも売っていない⇒ コーヒーを砂糖を入れて熱い砂で煮出す。簡単なようでいて、作る人によって味が違うのだそうで、オーナー氏がやろうとすると、奥様から「あなたがやるよりシェフにやってもらったほうがおいしいわよ」と、指導が入っていた(笑)

ギリシャコーヒーというのは、出来上がってから砂糖を入れるのではない。あらかじめ砂糖をどのぐらい入れるか決めてオーダーする。「リコス」が砂糖なし、「メトリオ」は砂糖少し、「スケトス」が砂糖多め。聞き取りがまちがっていたらごめんなさい。

アンティークなピアノも置いてあって、なんでもベートーベンが弾いていたものと同じ型で、シリアルナンバーが五番ちがうだけなのだそうだ⇒

****

日暮れが近づいてきたが、キプロス屈指の重要遺跡●アマサスを訪れる伝説のエオリアス王の息子アマサスによって興されたとされる場所。紀元前11世紀ごろからのアフロディテの神殿があった。 パフォスのアフロディテ信仰から分かれてきた礼拝所と思われる。

ギリシャ神話野中で、クノッソス宮殿からアテネへの帰途においてけぼりにされたアリアドネも、ここに祀られているのだそうだ。多神教、なんでもアリです。

紀元前7世紀にはアッシリアの支配下、紀元前6世紀にはエジプトの支配下となるが、いずれの時代・いずれの支配者がやってきても、ここでは多民族が多種多様な神を信仰しつつ、一緒にくらしていたと考えられている。4世紀にキリスト教徒時代になっても、神域が教会となって使用されていた。 が、7世紀にイスラム教・ウマイヤ朝により破壊されてしまったのだった。丘の上にはかつてアクロポリスがあり、神殿の基礎が残されているそうだ。今日は登る時間がなくて残念。

繁栄した町には大きな港もあった。それが、今は海に沈んでいる。次の写真は現地のガイドブックに載せられいた空撮。確かに海の中に港が水没しているのがわかる↴

この遺跡の存在は古くから知られていたので、フランスは1780年(フランス革命前)から発掘をはじめていた。アクロポリスから見つかった巨大なツボは、現在ルーブルに収蔵されているとのお話。ううん、しかし、どこにあるのか、覚えておりません。今度ルーブルへ行ったら探してみうよう。1865年にオスマントルコから買い取られてルーブルに持ちされれる前の巨大ツボの図。直径3.19mもあるのだそうだ↴

同じものはもうひとつあり、そのレプリカが道路近くに展示されていた

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アポロの神域、クリオン遺跡、コロッシ城、リマソル城

2015-11-27 16:30:37 | キプロス

滞在したピッソーリ湾からすぐ東にはイギリス軍の広大なエピスコピ基地がある。

今日午前中に訪れる遺跡は、この地図で黄色に塗られている部分(=基地)の中にある。

敷地内を走っていると、ゆったりした敷地にクリケット場やポロのグランドなどが見えてきて、イギリスらしい施設がたくさんある。HAPPY VALLEYと呼ばれているそうな⇒もう一か所東にある基地(※我々が23日到着日に通ったところ)と合わせて、キプロス国土の3%がイギリス軍基地になっているのだときいた。

また、地図で「ソルトレイク」と書かれているのは本当に塩の湖で、ここにアフリカからの渡り鳥・フラミンゴが滞在するのだそうだ。

●アポロ・ヒラテスの神域

キプロス島で最も重要なアポロ神殿だったと伝えられる。紀元前一世紀の歴史家ストラボンも「クリオンの町の西にある」と記述されている。現在復元されているのはローマ時代に大幅改造された神域だが、青銅器時代からアルカイック期にさかのぼる発掘品も発見されている。歴史が何層にも重なったアポロの神域なのだ奥に復元された神殿の入口の柱がおもしろいかたちをしている。「ナヴァティア様式」と説明された⇒ナヴァティアというと西アジアの民族の名前。ヨルダンあたりの影響ということだろうか。

***再びバスに乗って移動、半島の先が見えてくる。 あのあたり全部、イギリス軍の基地であります 

●クリオン遺跡

 海を見下ろす丘の上にある都市遺跡。発掘された発掘された重要な邸宅にはこんな風に屋根がかけられていた。

復元されたモノではあるがギリシャ劇場もあるつまり、それだけ多くの人々が暮らしていた場所だったということ。テラコッタの水道管がみられるのでガイドさんにきいてみると、七キロ先の水源から飲み水を引いてきていたのだそうだ。 モザイクの美しい床がある邸宅のあとなど、先ほど見てきたアポロ神域とは違う、生活感の感じられる遺跡になっている この丘は春先には花が美しいのだそうで、「三月ごろにハイキングもいいですね」と、現地のエフゲニアさんの提案。花が好きな日本の方にはきっと楽しめることでしょう。

●コロッシ は、一転、中世の騎士団の城である。

ルジニャンケのヒュー一世から13世紀に聖ヨハネ騎士団に下賜され、その後騎士団が所有した。現在見られるものは1454年に騎士団のルイ・ド・マニャックによって改装されたかたち。

実戦向きに窓がほどんどない、厚い石壁の砦である。内部にはフレスコ画の断片も残る 壁の紋章はそのルイ・ド・マニャックのもの⇒

この近辺には今でもワイン畑があり、ここで「コマンダリア・ワイン」=司令官のワイン、がつくられるのだそうだ

***イギリス軍基地エリアを出て、東のリマソルへ移動。リマソルの海岸にはリゾートホテルがたくさんある。

市街地の中に埋もれてしまったような●リマソル城を訪れる。今は中世博物館となっている。

さっきのコロッシ城よりもこちらのほうが往時の雰囲気が感じられる 発掘された人骨⇒首だけでなく足首も手首も切られていた。 残虐さはしかし、イスラム教側の戦士だけがもっていたものではない。  屋上かつてここは見張り台だったのだろう。

商店街のど真ん中にこういう城があることが不思議に感じられる。

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コロンビア・ビーチリゾート

2015-11-26 21:00:34 | キプロス

キプロス南岸に位置するピッソーリは隠れたリゾートだ。二つの丘の間、海に向かってゆったりとつくられているのが我々が二泊したコロンビア・ビーチリゾート。

11/26パフォスから戻ってきた時にはもう暗くなっていた。中庭のプールに面してヴィラのような建物が並ぶというスタイルここだけ見るとバリ島のヌサドゥアあたりにありそうな雰囲気。海の方へいく途中にギリシャ正教の礼拝堂があるここは新しくつくられたもので、中はモダンでカラフルなフレスコ画で飾られていた。「サイクリングも楽しめます」というのでどんなサイクリングなのかちょっと訪ねてみる。自転車の倉庫にはずらり!むむ、これは本格的だ。応対してくれたそこそこ年配の男性も、昔はオリンピック選手だったとか。近辺のサイクルロード地図を見せてくれたが、年配の方々にはちとしんどいかもしれない。それよりは海に向かって高台の続く岬へ、サンドイッチつくってもらってハイキングとか楽しそうです。次の写真は、高台の部屋から見たその岬⇒

※この景色の見える部屋はホテルの本館から少し離れた高台に位置している

**

さぁ、夕食!

 

海鮮のメゼであります。焼きタコ 白身魚オリーブとトマト味 絶品コロカシ(じゃがいも)とオニオン ケフテデス キノコと野菜の煮物健康的 定番のザンジキとタラモなどのソース

デザートにだしてもらったこの黒い実はキプロス独特、ええっとあれです(笑)名前がでてこない※後日レフカラ村で皮をむいているのに出会いました↓

 

***

翌朝 離れなのでこんなカートでスーツケースをとりにきてくれました

もう少しゆっくり時間がほしいホテルであります。

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