旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

バワの暮らした「ナンバー・イレブン」

2018-01-03 12:45:42 | スリランカ
ジェフリー・バワが設計した「ライトハウス」ホテルから出発し、19時過ぎの直行便で帰国便にのる一日。
※「ナンバー・イレブン」への訪問記はこちらにも載せています


「ライトハウス」は地元の人にも人気。今日も結婚式が行われる↓

バスの待つエントランスで、結婚式のお客を迎える太鼓が鳴り響く↓


高速道路をつかって一路北上。首都スリ・ジャヤヴァルダナプーラ・コッテ近くの出口で降り↓

人口の湖越しにジェフリー・バワ設計の国会議事堂を見る↓

※昨年国会議事堂を訪問した時の日記をこちらに載せています

↓仏教系放送局の前をとおる↓

↓ハスの花の形をした中国援助の会議場↓


●独立記念堂がみえてきた↓

キャンディで退位させられた最後の王、彼の署名した建物と同じにつくってある
※こちらからごらんください

☆装飾にはブッダ生涯だけでなく、そこへ至る魂が経験してきたたくさんの別の生涯の話も刻んである。
ひとつひとつ知りたいけれど、時間も知識も足りない。
↓この自分の首を持つ人物の話は?↓

別に書きます

昼食は、元バワの事務所であった「ギャラリー・カフェ」メニューはいつも変わらないが、変わらなく美味しい。バワの志向したエアコンの必要ない空間が心地よい↓


ここにもライトハウスでみかけた「マルタヴァンの壺」が↓


***
今回のコロンボの観光では、バワが住んだ「ナンバー・イレブン」」の見学を入れた。
※毎年同じ町を訪れても少しずつ違った観光内容にしている。《手造の旅》に、まったく同じものはありません。

バワは、元事務所「ギャラリーカフェ」(さっき我々がランチを食べた)との間を徒歩で行き来していたようである。
大都会の一角に残る、植民地時代のおちついた住宅地区↓

この一角にある四軒長屋のひとつにバワがすみはじめたのは三十代の終わりごろ↓

イギリスで建築の勉強をして資格をとり、スリランカへ戻って二年後↓イギリスで乗っていたロールス・ロイスも持って帰ってきた↓

狭い空間なので見学は予約制。一回に二十人程度しか入れない。まずはビデオで概略説明↓

その後、英語ガイドさんが案内してくれる↓
下の写真は入り口近くから家の奥へ続く直線の廊下。これがもともとは長屋をつなぐ路地であった↓

奥に間接光がふんだんに入ってくる。五つある「光の井戸」と呼ばれる小さな吹き抜けの他にも、↓こんな天井窓があけられていたりするのだ↓この羽をひろげたフクロウは「カンダラマ」ホテルで巨大に飾られていたのと同じラキ・セナナヤケの作品ですね↓






もともとは平屋なのだが、改築して三階にテラスをつくった、そこへ上ってゆく白い階段↓まるでギリシャの修道院のようだ↓

屋上テラスは小ぢんまりとして飾り気がない↓

バーカウンターは用意されていて、ここでどのような時間が感じさせてくれる↓


見下ろすと、となりに昔ながらの平屋の長屋が見えた。これも、バワが改築を請け負ったものなのだそうだ↓


寝室やリビングは撮影禁止なので全体の雰囲気を伝えるのがむずかしいが、「カンダラマ」「ライトハウス」といったバワの代表建築に二泊ずつした我々には見学する価値がある場所である。

*****
バワの手がけた湖の上の寺院に寄ったが、はじめて訪れた時のシンプルな構造にどんどん追加されていてびっくり。湖を見下ろす巨大なビルが建設されているのにもびっくり↓

スリランカ、これからもっともっと変わってゆくことでしょう。

最後にジャヤヴァルダナセンターへ寄ってから空港へ向かった。同じようなコースで毎年訪れているスリランカだが、まだまだ新しい視点を得ることができる厚みがある。

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ライトハウスでフットマッサージ初体験~午後三時からゴール旧市街へ

2018-01-02 12:36:02 | スリランカ
ライトハウスホテルの朝

目の前の岩場を散歩していた方が、近所の住民?に手招きされていってみるとウミガメが来ているのに出会ったという。「エサをあげてるからくるんだ」と言われたような気がするとのこと。ウミガメも餌付けできるんですか?小松は朝食で忙しくて出会っておりませんが↓

今日は午後三時までホテルで自由。
せっかくだから皆さんにSPAでマッサージの予約をお勧めした。
前回の方々に好評だったのです。
小松も今回は11:30にフットマッサージだけおねがいした↓
別棟があって、こんなバワ的な感じの空間↓

個室になっている↓

フットマッサージは、台湾の若石のものに出会ってから、いちど講習会へいってその後自己流で続けていた。
なので、少々痛いぐらいはどんと来い、と思っていたが・・・
あれ?ぜんぜん痛くありません。
そもそも考え方が違うマッサージなのだとだんだん理解していった。
血流が促進される感じはとても感じられ、トイレにいきたくなる。
三十分はあっという間で、一時間お願いしてちょうどよかった。

日本でもよくマッサージに行かれるという方に感想を聞くと「リンパを流す」というものなのだそうだ。
いろいろあるのですね。

SPAのすぐそとはプール

南国の鳥さんもひょこひょこやってくる↓


バワのもともとの建築は↓下の写真の右側部分まで。回廊でつないで左側を増築した↓


左の別館へおりてくる階段あたりには、いつもリスがかけまわっている↓



***
午後三時にライトハウス・ホテルを出発。ゴールの旧市街へ向かう。
「フォート」と呼ばれる城壁地区への入口に金色のニワトリ像がたっている↓

※この町の名前の由来に関してはこちらに書きました

↓入江になったところで地引網をやっていた↓

以前おなじような風景を夕陽をバックに見たっけ↓
※こちらにyoutube動画を載せております

今日はあまりとれていなかったようだが、すぐそばの魚市場は盛況↓


魚市場以外のマーケットが少し離れたところにある↓

↓この陶器の丸い入れ物は?ヨーグルトを売っております↓


****
旧市街「フォート」の入口にあるかつての倉庫が博物館になっている↓

日本のグループはほとんど入らないが、小松としては是非見ていただきたい場所だ。
博物館は二つに分かれているが、特にこの「海洋博物館」はゴールがどのような場所なのかを簡潔に理解させてくれる↓
★中国、明の時代にやってきた鄭和の建てた三か国語で書かれた碑文の話こちらに書きました
やたらたくさん壺があるなぁ、と誰もが思うだろう。交易船の品々を入れていたのだ。これだけでも時代や場所を特定できる。たくさん見ているうちにだんだんおもしろくなってくる↓


*****
オランダ、イギリス時代に強化された城壁部分↓時計塔はもちろんイギリス統治時代になってから




午後五時ちかくなり、暑さが和らぎすごしやすく光が美しい時間がやってくる。

こういう時間にこそ街歩きが楽しい↓この通りはかつてインド系の仕立て屋・生地屋が軒を連ねていたのだそうな↓


↑今回城壁の中は上の写真に写っているような三輪タクシーを分乗して見学した。
大型バスの侵入が禁止されるようになったのだそうだ。

ここ数年、この建物にあるレストラン「フォート・プリンタース」で夕食にしている↓


メニューは前回と変わっておりません、こちらからご覧ください。
前出の「海洋博物館」についても書いております

今回、ワインがお好きな方が、「以前飲んだことがあっておいしかった」というニュージーランドのワインを選んでくださった。
あ、これ、とても好みでした(^.^)↓


夕食を終えて、暗くなった旧市街を歩き、城壁すぐ外に待っているバスに乗ってライトハウス・ホテルにもどった。
ホテルの前で●サガリバナをみつけた
これは、スリランカではじめてその名前を覚えた花だった↓
夜にだけ咲く、大ぶりのとても特徴ある花である↓



イタリアのシチリアでのことなのですが・・・
サガリバナとケッパーについてこちらに書きました

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元旦のキャンディからゴールのライトハウスへ

2018-01-01 20:12:39 | スリランカ

キャンディのリージェンシーホテルホテルで2018年を迎えた

元旦は宮参りの人が多いのはスリランカも同じ。湖沿いが特に混んできたとおもったら、この先にある寺で皆が「交通安全祈願」をするからだという。ここか↓

我々のドライバー氏も、アシスタントに小銭をもたせて、通り過ぎる数秒にスピードを落としてお祈りとお賽銭をあげていた↓


↑道路沿いの壁、柱のところにちょっとだけ黒く見えているのがお賽銭箱入り口だった↑

ペラデニア植物園⇒前回の写真日記もこちらにて

↑上記からとべる以前の日記でもちょっと言及した、日本語でも「ワニス」となまった塗料VARNISHがとれるカウリ松の木↓

小松はこの日皆さんに「ニカワ」の原料だと記憶違いな説明をしてしまった。「ワニス」と「ニカワ」は全然別のモノです、たいへん失礼いたしました。
カウリ松は調べてみるとセコイアの巨木とならぶほどの長寿の木なのだそうだ。
⇒※セコイアの巨木の写真日記はこちらからご覧ください
この木は、オーストラリアのクイーンズランド州から英国人に持ち込まれた日から百五十年は経っているだろう
カリフォルニアのセコイアの巨木を見た時にも思ったが、樹木の中にながれる生命時間というのは人間とはまったく別の時間軸だ。
それをまのあたりにする時、畏敬を覚えずにはいられない。

・ろうそくの木
その名前のとおり蝋燭みたいな実がなっている↓

・巨大なドリアンの木↓

↓これは、つつじみたいに花の根元の蜜を吸うんだとか↓


この植物園には世界の著名人が訪れた際に植樹した木がたくさんある↓
↓これは1976年にルーマニアの社会党党首が植樹したと書かれていた・シナモンの木↓

よく思うのだが、なんの木を植樹するのかは本人が決めるのだろうか?
シナモンの香り、しました↓



***
布地屋さんでサリーの試着をさせてもらったり

そのすぐ下の木工細工屋さんをのぞいたり↓これってココナツの殻の細工もの?



キャンディは紅茶の集散地。これまで買って帰られた方に好評だったし、小松もおいしいとおもう紅茶↓


★カシューナッツの村を通る時に立ち寄る店↓

※はじめてカシューナッツがどのようなものなのか理解できた気がする

●このスナックの名前はRitzのパロディ?↓

スパイスの香りがしてなかなかおいしかった↑

****
●バンダラナイケの墓↓

⇒※ここにもう少し書きました

日本の援助で建設されたハイウェイに乗る。
サービスエリアは日本の雰囲気がする↓いつもはがらがらな高速だが、元日の今日は車も人も多かった↓といっても、渋滞なんぞは考えられませんが。


*****
ライトハウス・ホテルに到着した頃、ちょうど夜になった。
道路に面した入口からこの階段を登ると↓別世界である














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スパイスガーデンからキャンディへ

2017-12-31 20:38:56 | スリランカ
シギリアを出てランチ、午後スパイス・ガーデンを経由してキャンディへ至る。
スパイスではないが、このジャックフルーツは時々見かける。まだちゃんと食べたことないなぁ

スパイスガーデンは毎回訪れて毎回専門ガイドさんの解説を拝聴しているのだが、なかなか覚えきれていなくていつも新鮮(笑)
同じこと書いちゃうかもしれませんが
●ウコン


●ヴァニラは、以前テレビ番組でマダガスカルでの収穫を見たことがあった↓

収穫しただけではあの甘い香りはなく、さやえんどうの細長いのみたいなのをさやごと発酵・乾燥をなんども行う。
とても手間のかかる作物なのだそうだ。世界中から買い付けが殺到して値段がどんどん高くなっているそうな。
●カカオ


●クローブがフランス語語源だということは、以前調べていてはじめて知った↓
※こちらに書きました
●シナモンは樹皮をはがしてまるめる↓


●カルダモンは生姜の種類だがこちらは種↓

●ナツメグとMECE(メース)は同じ種が原料だが、後者は種の周りの赤い部分↓



他にもいろいろ説明してもらって、さてそれをどんなふうに薬剤として役立てているのかのお話をきく↓

アーユルヴェーダのマッサージに使うオイルを実際にぬってくれたり
あたまのてっぺんのツボに塗って、新陳代謝を促進するというこれ⇒ちょっとためしてみようかな。けっこう高いんですが、自分で使ってみないとなにも言えませんから。

****
古都キャンディにはいってゆく↓

中心にあるのは、「ブッダの犬歯」を保管する仏歯寺↓ここはもともとキャンディ王朝王宮に隣接していた↓政教一致の王国だったのである。

今日は大晦日で満月でもあるので仏教旗が飾られていた↓

入場券、最近できた自動販売機↓


お供えする蓮の花を売っている↓

それをかっさらって?食べる猿↓


五時から「キャンディアンダンス」を見学し↓


今日はホテルに入る前に、夜のプジャ(礼拝)を見学しよう。明日の元日にはもっとすごい数の人がやってくるだろうから。日本の初もうでと同じとのこと
大晦日も人は多い↓特に今日は満月だからか?↓




「仏歯」が収められている厨司が開くときに少しでも近くでお参りしたい人の行列は下の写真左の人々↓
我々のような観光客は行列をよけてどんどん進む↓

人々は皆白い服を着ている。スリランカでは白が礼服の色で、葬式の色といえば黑ではなく白である。

仏歯寺の敷地内に、かつて王宮があった。ブッダの歯をもっていることでスリランカの王である証になっていたのだ。
王宮の建物は、現在ではほとんどなくなっている。英国統治時代にイギリス風の建築にとってかわられた。
残された数少ないものの一つがこれ↓この屋根の下でスリランカ最後の王が退位書類に署名した場所なのである↓


屋根の上、雲間から満月が↓


この仏歯がおさめられた木造建築は17世紀ごろからのものと推察されている。1990年代、内戦時のテロで爆薬を満載したトラックが寺につっこんだが、ここまでは届かなかった。下は「仏歯寺」入り口↓雲の向こうから満月が見え隠れしている↓



スリランカの法律で、満月の日にはアルコール販売禁止。今晩は大晦日のパーティだが、それでも22時以降はアルコール販売は禁止。
ホテルにチェックインして、年越しガラパーティの会場へはいった↓
めを丸くさせる装飾↓













我々は食べたら引きあげたけれど、夜中中パーティは続いたもよう↓

零時過ぎに花火があがっていた


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大晦日にシギリア・ロックに登る

2017-12-31 10:25:33 | スリランカ

「地元の人もたくさん来るから混みます」ということで、9時過ぎに到着したシギリア・ロックのふもと。登り口まではまだ行列していなかった↓

この風景を見て「とても登れません」と言う方も多いのだが、実際に登りはじめてみると「思ったより楽でした」との感想をよくきく。個人差あるとおもいますが。

百八十メートルほどの岩山の横に穿たれた登山道に連なる人々が蟻のように見える↓

↑画面左で上方に登ってたどり着いている、横長場所に、有名な「シギリア・レディ」のフレスコ画がある↓
※今は撮影禁止になってしまったが、その前にはみんなばしばし撮影していた↓




こういったフレスコ画はここだけではない。全部で五百ほど発見されている。下から見ていると、このフレスコのある場所から左方向にもたくさんそれらしき場所があるのがわかる↓

こんな場所に描かれたという事にも驚くが、これを是が非でも見てやろうという観光施設もすごい。

さぁ、この岩の間から登っていこう↓

ここをすぎて登り階段がキツクなってきたころに、行列がうごかなくなった。ほっとして休憩。お猿も休憩↓


横移動の場所に入る⇒
前方に見える明るい茶色の壁が「ミラー・ウォール」↑

↓ここから「ミラー・ウォール」入る


壁には9世紀ごろからの詩がたくさん刻まれている。
↓こんな様子で左側に近寄らせないようにしてあるのだが↓

小松がはじめて訪れた時にはこんな柵はなかった。

「ミラー・ウォール」の外側にコワい回廊がつくられているのは、かつて観光客はここを通行させていたのかしらん?↓





かつて巨大なライオンのかたちをしていたという王宮の入口。今では爪だけが残されている↓


その間からのぼってゆくと、頂上はもうすぐ↓


頂上にはたった八年間だけだが王宮があった。人が住むためには水が必要。大きな貯水槽もある↓




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