旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

中通島 有川から頭が島へ

2024-11-29 11:55:00 | 国内
「世界遺産」登録を記念して2018年に発行された頭ヶ島教会の切手には、掃除をする女性が描かれている。

彼女・頭島サナさんの家は教会の目の前で、三十年以上教会の前の道を掃除しておられた。2015年のドキュメンタリー番組当時、彼女の家を含む七戸だけが集落を守っていたそうだ。※番組のことが書かれたブログにリンクします
三十年も掃除を続けられていた姿は信仰そのものに思える。
サナさんは番組と同じ年に亡くなられた。
**

11月20日AOKAを出て有川へ向かうと↓「鯨見山」が見えてきた↓

解説版によると、山の上の「山見小屋」から鯨が来たことを知らせていた。
「一番多く捕れた年は、元禄11年(1698年)の83.5頭」とあった。
※なぜ「.5頭」なのだろう?
一週間に一頭か二頭も鯨が捕れていたのか。

丘の下の神社は鯨のあごの骨が鳥居になっている。
かつては髭など他の部位も飾られていたのだが風雨で朽ちてしまい、あごの骨だけはコーティングして保存したとのこと。

江戸から昭和まで三百年も続いた捕鯨の歴史がある。
※2020年有川のフェリーターミナルに巨大な鯨の骨が飾ってありました

↑近くに土俵↑有川出身の横綱にちなんだ「佐田の山杯」が行われていたのだそうだ↑
佐田の山は=出羽の海理事長で、舞の海の師匠※舞の海との写真にリンクします


複雑な入り江をくねくね走る。

崎浦は昭和三十年代まで「五島石」の採石がおこなわれていた。
長崎県の景観保護地区になっている※リンクします

石塀はその名残。

頭が島の空港開設にあわせて1981年に建設された赤い橋を渡って頭ヶ島に入る。
※2018年空港まで行った時のブログにリンクします、石油備蓄基地の話も書いています

尾根から↑ロクロ島に護られた入り江の集落が見下ろせる↓

↑頭が島教会の赤い屋根が見えた。

頭が島はもともと伝染病患者が隔離される場所だったので地元の人々が近寄らなかった。
だからこそ「隠れ切支丹」には好都合だった。

冒頭の教会に到着

立派な駐車場と事務所も整備された。

頭が島のジオラマ

山ばかりで耕作地など見えない。

この教会は鉄川与助が29歳の時最初に手掛けた石造りの教会。
石材の扱いに慣れていなくて、てはじめに教会の前にある司教館を建てたのだそうだ。

↑こちらの方が教会より前にあったのか。

石は入り江を護るようにある「ロクロ島」から切りだしていた。
「ロクロ」とは胴体のこと。
伝説では仏像のアタマが見つかったのが「頭が島」で、胴体が見つかったのが「ロクロ島」。

ステンドグラスを入れる経済的余裕はなかった。
***
再び赤い橋を渡り中通島へもどる。

坂本龍馬の記念碑がある。

仲間の乗った船が嵐に遭って沈没したのがこの近く。

ただ沈没したのではなく、複雑な経緯があるようだがまた別の機会に。

****

土井の浦へ行く途中に立ち寄る。

百年以上前の教会だが内部は最近塗り替えられていた。

前回訪れた時、内装の椿は真っ赤に塗ってあったが、今回は薄いピンクに変わっていた。

*****

土井の浦への途中にいくつも小さなキリスト教徒の集落がある。
それらはほとんどがカトリックだが、桐の集落だけは「カクレ」を引き継いでいるとドライバーさんが教えてくれた。

江戸時代に弾圧され潜伏していた切支丹たちは、明治になって再び出会ったカトリックとは似て非なる宗教になっていた。
小説「五島崩れ」の中で描かれているように、礼拝の日時や形式を「間違えた」まま何世代も引き継いだ。フランスからやってきた司祭が「それは間違いです」と否定しても、すんなり受け入れることはできなかった。父祖を「間違った」礼拝で見送り・祀っていたとは思いたくなかった。

カトリック教会は、「隠れ切支丹」時代のモノは焼き捨ててから復帰せよと命じてきた。
代々大切に引き継いできたモノを否定させるやりかたに納得できない人々は、今も父祖からの「カクレ」を継承している。

土井の浦港からチャーター船。
四年ぶりにHさんが迎えてくださった。





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江袋教会からAOKAホテルへ

2024-11-27 23:34:38 | 国内
小値賀島から横断幕に見送られ

中通島の津和崎港にもどった。
※2017年に訪れた時のブログに小値賀島と野崎島と中通島の位置がわかる地図も載せてあります<

漁師さんの待合室で迎えの車を待っていると、

↑こんな張り紙が目に付いた。

↑中通島の細く北へ延びる半島を南下する↓夕陽の見える西側と夕陽が当たる東側、両方の景色が楽しめる。

この廃バスはアニメ「蒼の彼方のフォーリズム」の「聖地」めぐりで訪れる人もいるのだそうな※「聖地マップ」にリンクします
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途中に上記リンクの2017年に訪れた江袋教会に寄った。

この教会は2007年に火災に遭った。
建て替える方が安価な状態だったが、信徒たちの「できる限りもとのように戻したい」という強い希望があった。
三年後、建て替える十倍近い?(ドライバーさんにきいた話です)2億円をかけて現在みられる教会ができあがった。

↑なるほど焼け残った材を可能な限り組み込んである。
内部は見られなかったが、焼け焦げた太い梁も再利用しているのをドライバーさんがおしえてくださった

2017年に訪れた朝、急な階段を上って祭壇に花を飾りに来られた方と話したことがあった。暮らしやすい土地でなくても、先人の想いを継いでおられる人がある。



鐘楼は当時のままだろうか。

さらに南下する。

暗くなりはじめたころ青砂ヶ浦教会前に止まった。
正面入り口の左右、女性の入り口 男性の入り口と、使い分けられているそうな。
**

宿泊するホテルAOKAが見えてきた。

山形の有名レストランが協力した宿

楽しませてくれます。
が、料理の解説がもう少し詳しく聞きたかったなぁ。

中通島の教会がひとつひとつ描かれていた。

さっき見た江袋教会はすぐわかった。

ロビーに置かれた図書は、ホテルの魅力のひとつ。明治初期に久賀島で起きたキリスト教徒大弾圧をえがいた「五島崩れ」は、書店でなかなか手に取ることができない。

福江島でガイドをしてくださる永冶さんの「五島事典」もあった。




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小値賀島に行くわけ

2024-11-26 17:51:35 | 国内
ベベンコビッチさんの生歌を聴くことができるのが、
小値賀島を訪れるひとつの動機になっている。

2017年にはじめてお会いした※ブログにリンクします最初の二回はおこがましくも共演させてもらった。
長崎・五島をテーマにした多様なオリジナル曲のなかでも、遣唐使船を題材にした「四つ船」をいつもリクエストする。
※前回2020年11月、コロナ禍まっただなかで訪れた時の「四つ船」にリンクします

今回はベベンコさんが新しく開店させた「笛吹横丁」にて。

ベベンコさんのつくる長崎チャンポンも目的('◇')ゞ

昭和レトロな内装は

入ってびっくり

**

小値賀港に面してこのお店「笛吹横丁」と「おと屋」のある集落は「笛吹」という。
なぜこの名前なのか、来る度に訊ねるのだが誰も知らない。

長崎チャンポンのランチとミニライブを終えて、
「小値賀民俗資料館」に向かった↑昔はこの石垣下まで海だった。
海へ降りる坂だったのか。

海に面してすぐ小田家の屋敷があった↑
※2017年はじめて訪れた時のブログにリンクします
※2017年下見の時にOKをいただいて載せたブログにリンクします↓「牛の塔」についても書いています
●「牛の塔」は知るべき小値賀の歴史↓

●赤浜海岸

火山活動によるのだが、ネットの写真は色を修正しすぎに思える。

●地の神島神社

野崎島との海峡を挟んで「王位石」に向かう鳥居

航海の安全を祈りつつ通っていった遣唐使船があったかもしれない。

かんころ餅をつくっていた。

国の天然記念物に指定されている「ポットホール」は小さな祠に祀られている。

とりだされた後に入れられた丸い石が↓あの岩の間にあるのだけれど、今日はとてもいけません。



小値賀には古墳もたくさんある。それも小値賀島を五島列島の旅に必ず入れてきた理由なのだけれど…
※2017年に考古学者のTさんに案内していただいた時のブログにリンクします
こういう場所は理解できるように案内してくださる方があればこそ。
Tさんは病気をされて、今は案内できる状態ではないのだそうだ。

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四年ぶりの野崎島は廃墟化がすすんでいた

2024-11-25 06:56:35 | 国内
家も石塀も崩れてしまっていた。

人が住まない村はこうして廃墟になってゆくのか。
↓2018年の同じ家

※2018年訪問時のブログにリンクします
鹿たちはいよいよ我が物顔

村の水場↓

「動物がここに落ちるとまず助かりません」
最初に訪れた2017年、大きな鹿が死んでいたのを思い出した。

樹木に飲み込まれてゆく家が多い中、

元神主さんの立派な家だけは手入れされていた。
小さな島に似つかわしくないお屋敷は、江戸時代の平戸の家を移築してきたものなのだそうだ。

床下が高いのはなぜ?




「小値賀サバンナ」にあがると

びゅーびゅー風が吹きわたる↑向こうはもう平戸島。
行政区としては北松浦郡小値賀町で、上五島とはちがう。
四年前の同じ11月、すごく暑かった。
※その日のブログにリンクします

丘を越えて二十分ほどあるく。

野首教会がみえてきた。

小さな島だがこちらはキリスト教徒の集落だったのだ。

台風で何度も瓦が飛ばされ、何度も修復されてきた。
教会の少し先にダムがあって↓そこまで登ると小値賀島が見える↓

↑平たい小値賀島は耕作地も多く人も多く住んでいるが水が足りない。野崎島は山があって水が溜まる。それを送水管で送っている。

野崎島で地上に近くに葉がある植物はすべて食べるに適さないもの。
鹿が食べないほどに。

高台の道に砂浜からの風が吹きあがってきた。目と鼻を押さえて通り過ぎる。
今日ははじめ野首港にチャーター船をまわせる予定だったが、風が強くて無理だと判断。
もう一度丘をこえて野崎港にもどり乗船。

小値賀島へ向かう。

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マルゲリータ小串の朝、津和崎港から野崎島へ渡る

2024-11-24 06:13:48 | 国内
06:30、五島列島の夜明けは東京よりずっと遅い。図書コーナーの窓。ロビーはまだ暗い。

朝食は和洋選べる。

朝食の後、ロビーに朝陽が満ちていた。

上階奥のテラスから朝陽を楽しむ。

それほど大きくない館内をひとまわりしてくると、

ロビーの色は一変していた。
今日は朝8時出発。
大きめの荷物は二泊目のAOKAに直接運んでもらう。

中通島の尾根をぐねぐね北上していくと、右に朝陽。

トンネルがなかった時には山の上の旧道を通っていたのか。

江袋教会の屋根。
※2017年に訪れた時のブログにリンクします



津和崎港に到着。今日は好洋丸ではなく新しい好洋ライナー号。

船長はなじみのNさんの息子さんだった(^^)

出航してすぐに野崎島の舩森集落跡がみえてきた。

波が船底を打つどーんどーんという音が聞こえる。

野崎島上陸。

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