はじめてナイジェリア人と話すので予習をしていると、首都のアブジャは計画都市で1970年代に丹下健三が設計したとあった。
「え?そうなんですか」と驚くナイジェリア人。
かたことの英語対話でも、マンジ君が優秀で勤勉なことはわかる。
高等教育をうけて日本語AETの資格をとって日本の学校で働くほどなのだから。
「機能別にゾーンに分けられていて道路も広いし使いやすいですよ」
住んでいるからといって、その町・その国に詳しいわけではない。
日本人もそうですよね。
ナイジェリアは日本の二倍半の国土に、日本の二倍強の人が住む。
アフリカ最大の産油国。
アフリカ最大の経済力を持つ。
北部はイスラム教徒が多く、南部はキリスト教徒が多い。
二百以上の部族。
マンジ君によると三百以上の言語がある。
「日本にきて一つの言語とひとつの文化なのには驚きました」
15世紀にポルトガル人がやってきたが、本格的西欧化は19世紀後半からの百年に及ぶイギリス支配。
1960年に独立。
1999年までは軍事独裁政権。何度もクーデターが起き(外務省によると七回)、三度の民主化の試み(マンジ君いわく)があったが、「いつも政治家は自分勝手」(マンジ君曰く)。
海岸部のラゴスが最大都市だが過密都市。
北部イスラム教徒エリアと南部キリスト教徒エリアの間になる、標高三百メートル超の中央台地に首都を移転することになった。
気候の良いアブジャが選ばれた。
その都市計画コンペを丹下健三が勝ち取ったのだった。
最近のナイジェリアがニュースで報道される多くは、
北部で過激派が村を襲撃したとか
南部の石油利権問題だとか
ううむ、この世界からやってきたマンジ君に、日本はどんなふうに見えたか。
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「スシは食べたけれど生の魚ははじめてです」
↓「どうやって食べるのかな?」
「醤油とワサビ、あ!そんなにつけたらダメだよ」
次の瞬間、ワサビにやられて鼻をおさえたマンジ君だった。