「島宿御縁」からは、坂の下に漁港が見える。穏やかに晴れた朝↓
ここにはたくさん猫ちゃんが住みついている。こんなところで暮らす猫ちゃんはシアワセだろうなぁ↓
⇒※こちらにネコちゃんと遊べる「島宿御縁」の話、もう少し載せました
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今日は最初に小値賀島の高台、「愛宕山園地」へ
バスが止まったところから苔むした階段をのぼる。それほど人がやってこない場所になっているようだ↓
石積みに見える物見台は標高89m↓
魚見かと思ったら、はじめから観光用の展望台なのだそうだ↓
設置された陶板↓
あちらはきのう訪れた野崎島か↓
近くに見える港↓
少し下にお稲荷さんがあった。この展望台は最初に建設した時に頂上が陥没して、「お稲荷さんより高くしたせいだ」と噂されたのだそうな。
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長壽寺は、平戸を本拠地とした松浦家がかつて本拠にしていた屋敷跡に建てられたと伝わる臨済宗の寺↓
廃仏毀釈でのダメージはあったが、それでも一見の価値がある
→※こちらに公式ページがあります
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「建武の新田」は、なんと14世紀から同じカタチで存在しているといわれる。
小値賀島はかつて西島と東島に分かれており、浅瀬が隔てていた。鎌倉時代末に埋め立て事業がはじまり、建武元年1334年に完成したのでこの名前で呼ばれている↓
14世紀の埋め立てでたくさんの牛が犠牲になったとされ、「牛の塔」と呼ばれっる供養塔もある。
⇒※こちら下見の時の日記に写真を載せてあります
●神の埼遺跡は、もともと海に突き出した岬だった場所。きのう博物館で見たヒスイの首飾りはここでみつかった。
三十基近い弥生時代の石棺があり、海に削られる前の岬にはもっとたくさんあったのではないかと推察されている↓
●地の神島(ちのこうしま)神社
海に向かう鳥居の先には、きのう船の上から見た野崎島の「王位石(おえいし)」がある「沖の神島(おきのこうしま)神社」がある↓
遣唐使時代からの二つの神社は西暦704年に分社したと伝わる。どちらがもともとあったのか議論があるようだが、塚原さんは「沖の神島」が先とのご意見。小松もそう感じます。あの「王位石」のパワーこそが信仰のルーツではないかと思うのです。
「地の神島神社」は、かつてもっとたくさんの建物があった。お寺でもあった時代に経が納められていた建物がこの石組みの上にあったそうである↓
●神方(かみかた)古墳~塚原さんとでなければなかなか連れてきてもらえそうにない、五島列島に二つだけ残る(両方が小値賀にある)古墳のうちのひとつ↓この看板は去年やっと設置された
放棄された民家を裏にまわっていくと、かつては地下にあった石室がむきだしになっている↓
奈良の石舞台を思い出したが、それより古い七世紀はじめのもの。朝、最初に訪れた「神の埼」遺跡の時代より後になる。
今回の旅、最後の食事は「藤松」さんへ。ここも小値賀の名家の家だった建物↓
古民家再生で快適で魅力ある場所になりました↓
入口で、ベベンコビッチさんが待っていてくださいました。五島の言葉でオリジナルの歌を聴かせてくださる方。いや、純粋な日本人(笑)
プロで活動していたこともある方にもうしわけありませんが、小松もちょこっとベースで参加させていただきました
お料理は島の魅力を多様に味あわせてくれます(^.^)
食事が終わって、海にひらけた門へ↓
巨大な梁がむき出しの屋根裏スペースにはアレックス・カーの豪快な書↓
「ここでゆっくりしたいわねぇ」と言われましたが、そろそろ船の時間です↓
港の待合室↓
ベベンコさんが自分のCDを持ってきてくれました
船が来るのに合わせて、みんなで集合写真とりましょう↓
乗船、え!紙テープ?港に売ってるんです。こういうの、いちどやってみたかった(^.^)
皆様、ありがとうございました!
旅とは、つまり人に出会うことなんだと実感する旅でした。
佐世保から予約しておいたタクシーで長崎空港、羽田へ✈