旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

リヨン コンフュルエンス地区とプレスキル地区

2018-04-30 17:17:17 | フランス
下の町に降りてお昼を軽く

歩いてソーヌ川を渡りプレスキル地区に入る。ベルクール広場↓

プレスキル地区は二つの川に挟まれた半島。ローマ時代は兵団の駐屯地だったエリアで、市民地区となったのは17世紀はじめにこの広場をつくったアンリ四世王の時代から。
中央にはルイ14世の騎馬像がある↓

王の像はフランス革命期に壊されたので復元だが、下の川の女神はルイ14世時代のオリジナル↑

広場から地下鉄にのる↓


乗換。地上を走るトラムへ↓このトラムは絹の町リヨンらしく蚕のかたちをしているのだそうだ↓


★コンフィュルエンス地区とはつまり川が合流する地区にあるからこの名前になった↓
下の地図で↓細いソーヌと太いローヌが合流しているのがわかる↓

海の無いリヨンではこの地区を水辺を楽しんでもらえる場所にしようと川の水を引き込んだエリアをつくった↓


かつては港と倉庫と工場のうすよごれた治安の悪いエリアだったのだが、近年の再開発でがらりとちがった雰囲気になったのだそうだ↓

びっくりする設計のビル↓

↓カラフルな緑は、ユーロニュース↓




だが、古い橋も残している↓


かつての荷揚げクレーンも↓むこうに見えるのは砂糖工場だった場所

新しい螺旋階段がつけられて若者が集まるクラブになっていた↓


****
再びトラムにのってプレスキル地区の中心へもどる↓


リヨンには他では手に入らないチョコレート店もある↓


テロー広場までやってきた

フルヴィエールの丘から見えていたオペラ座前↓

↑下半分が1830年のまま、上は1999年のもの。
「自由の女神」で有名なバルトルディ作の巨大な噴水↓


広場に面した★「リヨン美術館」は月曜日でも開館している↓
※こちらに今回見た絵画関係を少し書きました。みどころたくさんの美術館です


一時間ほどの美術館見学で、本日のリヨン市内見学終了。
旧市街のホテルまでは歩いても帰れる距離。

盛りだくさんの一日、リヨン魅力がしっかり理解できた(^.^)
今回の旅は最終日もリヨンに戻ってくるのが楽しみです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リヨン フルヴィエールの丘は「リュミエール(光の祭典)」の起源

2018-04-30 13:13:13 | フランス
ローヌ川とソーヌ川が流れるリヨンの町全体を見晴らすフルヴィエールの丘

ここに聳えるフルヴィエール大聖堂は19世紀プロイセンとの戦争に敗れた後の1872年に建設がはじまり1896年完成した。パリのモンマルトルの丘に建つサクレクール聖堂と同時期のもの↓

もっと以前からこの丘に立ち、リヨンを見守ってきたのは金色のマリア様↓これは教会とは別の礼拝堂の上に位置している↓

1852年のこの像の奉納が、12月のリヨンで有名な「リュミエール(光の祭典)」の起源になっている

★丘のキリスト教史的流れ
AD177年 ローマ五賢帝のひとりマルクス・アウレリウスの元でのキリスト教徒弾圧。リヨン最初の司教ポシヌスも殉教する。
1992年 下の旧市街にある聖ヨハネ教会と同時にマリアとトマス・ベケットのための礼拝堂がつくられる
1586年 宗教戦争により破壊される
1638年 伝染病の蔓延を鎮めるための宗教行列を行い、ご利益あり。
1643年 周辺の街に伝染病、宗教行列を行い冠と菓子を奉納する。
    ※この時のお菓子が「クッション・ドゥ・リヨン」の起源?
1832年 再び伝染病の危機、大司教は市民に祈りをよびかけ伝染を回避。
    オルセルの聖母の絵が奉納される
1852年 現在のマリア像が建造され、9月8日に献堂予定だったが洪水にみまわれて12月8日に延期
    12月8日 大雨で献堂のための花火が出来なくなり、代わりに全市民が窓辺にろうそくを置いて町を照らす。
    ※これが現在でも行われている「リュミエール(光の祭典)」の起源になった
  一度、この祭りに合わせてリヨンを訪れてみたい(^.^)
*****
下の町からケーブルカーを利用。「リヨン・カード」はとっても便利↓

フルヴィエールに直行するケーブルは現在工事中、左の路線にのる↓

百年前からここにはケーブルカーがあった

サン・ジュストから公共バスに乗る


十分ほどでバジリカ・フルヴィエールに到着

※カテドラル(司教座)はあくまで下の旧市街にあるサン・ジャン(聖ヨハネ)大聖堂なのです

内部は巨大なモザイク画で飾られている↓緑と金色が基調になっているのは、奉納された緑のクッションと金貨にちなんでいるのだろう↓


↓前出の最初の司教ポシヌスも登場する↓


地下聖堂には世界各地の奇跡のマリア像を復元している↓メキシコ「グアダルーペの聖母」もあった↓

地下聖堂の天井はまだ未装飾のまま


教会の横に立つ電波塔はエッフェル塔に似ている↓

建設当初は「エッフェル塔を超える予定」だったそうな

テラスから冒頭の景色が見える↓

↓緑の線二本は、そこにローヌ川(向こう)とソーヌ川(手前)が流れているから↓

↑モダンな丸い屋根はオペラ座↑

↓近く、右下にカテドラル(司教座)のサン・ジャン大聖堂。遠く新市街に高層ビルが見える↓あのあたりに「ポール・ボキューズ市場」がある↓

午後は新市街へ行ってみよう

***
歩いてサン・ジュスト駅に降りる途中に広大なローマの古代劇場が出現する↓

リヨンという名前はローマ人の名付けた「ルグドヌム」が変化したもの↓博物館もその名前がついている↓

この博物館はいつかゆっくり見る機会をつくりたい(いつ?)
1975年に建設された現代の博物館は半分土の中に埋まった目立たない形に設計されている。

土に埋まっていた遺跡は二十世紀前半になってから掘り出された↓オリジナルの石畳↓


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リヨン旧市街地区を歩く~聖ジャン大聖堂、ギニョール

2018-04-30 12:12:12 | フランス
リヨン伝統の人形劇「ギニョール」の人形↓

ギニョールというのは主人公の名前、上のどの人物だと思います?

右から二番目の偉そうな帽子をかぶっているのは敵役。いちばん右のしらっとした普通の人物がギニョール。
リヨンの人なら知らぬ人はいない↓下の図では中央↓

↓シェフに扮したギニョール↓


この劇を考案したのは産業革命期の元織物職人★ローラン・ムルゲ。彼の住んだ家が今も残っている↓

ムルゲはジャカード織機の発明により機械化された工場で職を失ってしまった。
↓リヨン空港にあった絹織物の歴史を説明するパネルに自動織機の発明者ジャカードさんが載っておりました↓


失業したムルゲは仕方なく行商人になったが、その時に客寄せに使った人形劇がギニョールのもとになったのかと理解した。抜歯士として仕事をする時に、お客をリラックスさせるためというのはちょっと説得力に欠けるように思う。
※ネット辞典の項目をこちらから
お上や大資本を風刺する「ギニョール劇」はフランス革命期の貧しい民衆に人気となりリヨンにはそのための劇場もできたのだった。

現在でも上演されるようだが、文楽の伝統を持つ日本人にウケるかは分からない。言葉を理解できないと難しいですしね。

***
リヨンの伝統料理を食べさせる店を「ブション」と呼び、その認定を受けた店が掲げる楕円形の看板にも、このギニョール劇の登場人物が描かれている↓

夜はこちらでいただきました↓
リヨン風ソーセージはパンの中にうめこまれている
クネルは魚のすり身をかまぼこのように形成してイモで包んでオーブンで焼いていある


****
近くの「ミニチュア博物館」のウィンドーにこんな不思議な「日本」が飾られていた↓


*****
初期キリスト教の遺構が残る聖ジャン大聖堂前に到着

カエサルにはじまるガリア支配の拠点だったリヨン、キリスト教弾圧も後のキリスト教化も早くすすんだ

なんと四世紀の聖十字架教会に属する六角形の洗礼堂が見られる↓

現在建っている教会は1192年に後陣からつくられはじめた、少しロマネスクの雰囲気を残したゴシック↓

ファサード部分はフランスの典型的なゴシックスタイル↓

フランス革命でほとんどの彫刻は失われてしまったままだが、どういうわけか楽器を弾く天使たちだけは残されているようだ↓


内部にある今でも動いている15世紀の天文仕掛け時計↓

↑時間になるとマリアの右にあるドアが開いて天使ガブリエルが受胎告知しに登場する。上段の神様の元から下段のマリアの元へ魂が下される
※youtubeに動画がありました。降りてくる魂がなんだかユーモラス

1600年にブルボン王朝の始祖、アンリ四世がマリー・ド・メディシスと結婚式を挙げたのもこの教会↓記念プレートがある

この礼拝堂の床は一部17世紀のオリジナルだそうだ↓

見事なデザインのステンドグラス↓現代作家の作と言っても通る、モダンなデザインです


教会入口に出てフルビエールの丘を見上げる↓

あの教会が建てられたのは19世紀なのだが、ずっと昔からあったような姿に見える↓


さあ、ケーブルカーであの丘に上がろう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リヨン旧市街地区を歩く~サン・ポール教会、トラボール、リヨン名菓二つ

2018-04-30 10:10:10 | フランス
フランスの朝食はおいしいパンがいちばん大事すっかり晴れたのでホテルすぐ裏の旧市街へ散歩に出た。
サン・ポール駅はローカル線の始発↓改札は無いがこんな「ピッ」っとする機械はある↓

ホームから見える塔がサン・ポール教会↓

※九世紀のロマネスクの身廊に十五世紀のゴシックの側廊が付け加えられている↓現地案内版にはそれだけの解説だったが、上の塔の写真を見なおしてみると、入り口部分の下部はロマネスク、その上にゴシックの中部、そして19世紀あたりだろうと思われる尖塔が乗せられている↑

朝九時からガイドさんと歩いた時にあらためてロマネスクの交差部キャップを見上げた↓

彫刻たちは少しゴシック風に洗練されている↓

ここは中に入れる時間は限られている様子、またの機会に。

九時からは日本語ガイドさんと共に再び歩き出す

趣ある扉はいつからのものだろう

旧市街の街並みは14から15世紀にかたちづくられた↓

パリよりもずっとイタリアに近かったので早くからルネサンス文化が入ってきた。
パッと見ではわからないが、「トラボール」と呼ばれる建物を貫く回廊が隠された15世紀からのビル↓

ドアをあけて入っていくと・・・

中庭に螺旋階段が残されている↓


こういった建物は外側からは見えないがたくさんあって、観光協会にはいっているところは自由に入っていける。
下は「ロング・トラボール」と呼ばれる錬鉄手摺がついたもの↓

ガイドブックにも写真が載る有名な「ローズ・タワー」↓ここだけは垂れ幕が建物に出してある↓

入場料は(いまのところは?)とらないけれど、組合に加盟していないのでいつ〆られてしまうか分からない。住んでいる人にとってはいつもがやがや観光客が入ってくる中にははありがたくはないのでしょうねぇ↓「静かにしてね」という立札

トラボールの中庭から見上げる「赤い塔」↓


建物内部につくられた細い回廊は、商家が大事な絹織物商品を濡れずに移動させられるように便利だったから、だそうだ。
リヨンは絹原料を使って織物をつくり・売っていたが、十六世紀はじめにフランソワ一世によって原料となる蚕から産業を育てる決定をしたのだそうだ。

だが、現在の蚕はかつてと同じようにすべて輸入品となった。輸入先は南米なのだが。

したがって絹の町リヨンでも「蚕って何?」という子供たちも多いので、街角にこうして実物を展示してあった↓


リヨンの名物菓子は蚕の繭をイメージして作られたのだと聞いて納得した↓※こちらに書きました


***こちらもリヨン名物だが・・・赤いメロンパン?↓

※こちらにもっと書きました

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リヨン到着

2018-04-29 13:05:36 | フランス
フランス第二の都市リヨンと周辺のロマネスクの小都市をめぐる旅へ出発
往路はKLMを利用。近頃はこんなふうに荷物を預けます オランダの航空会社らしいカップのデザインがガイドブックに映った

アムステルダム乗継は一時間なかったが急ぎに急いで間に合った。荷物が急いで乗り継いでくれるか心配。

フランスは国土の八割が耕作地だというのが視覚的に理解できる↓この光る水たまりは何?


二本の川が合流するリヨンは少し雨模様↓見えているのはローヌ川とソーヌ川かしらん


リヨン空港に着陸!
連結してつくられた国鉄駅が鳥が羽を広げたように見える↓


スーツケース、一つだけアムステルダムに積み残された模様・・・※これについてはこちらに書きました

外に出ると思ったより雨風が強い。駅へ連結しているブリッジからさっきの印象的な駅舎が間近に見えてきた。
スペインはヴァレンシア出身のカラトラバという建築家のデザイン。彼の作品はこれまでもけっこう注目して訪れてきた※ヴァレンシアの代表作の写真をこちらに載せております

旧市街、ソーヌ川に面したホテルに到着したのは午後八時半過ぎ。雨は降っているがすぐ裏の旧市街をちょっとだけ散歩に出よう↓

明日は晴れますように


サンドイッチをホットサンドにしてもらって おやすみなさい




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする