旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

キャリコのゴーストタウンを経由してLAへ。50*sダイナーにも寄って。

2022-09-21 11:07:05 | アメリカ西部
1881年に銀鉱脈が発見され、十数年の間だけ嵐のように栄えたキャリコ。
見捨てられていたゴーストタウンは、1951年に整備されて観光地になっている。

ラスヴェガスから15号線を西に二時間ほど。
山の斜面に「CALICO」の文字が見えるゴーストタウン・ロードに入ると、巨大な工夫の看板が見えてくる。

かつてはこのあたりまでも市域がひろがっていた。

今は中心部の一角だけを、いわばテーマパークとして復元してある。
なんせホンモノのシルバー・ラッシュの街。
一時は十数キロもあった資材線路が観光用に復元されている。




1883年に町の東五キロほどの場所でボラックス(ホウ酸塩~磁器やガラス繊維を形成するのに必要な原材料)が発見され、1884年に二つ目の銀鉱脈が見つかり、あっという間に二千五百人が住む街となる。郵便局や学校も開設され、キャリコ・プリントという印刷会社が新聞も発行するようになった↑解説版の写真はそのころのものではないかしらん。

この頃、ルーシー・ベルという十歳の女の子が一家で移住してきた。

テネシー出身の父とヴァージニア出身の母はカリフォルニアで出会い、よりよい生活を夢見て新興のキャリコを選んだのである。

↑この写真に写っている三人姉妹と兄の六人家族。
1892年、18歳のルーシーはジョン・レーンと結婚しグローサリーストアを開店した。

↑この白黒写真がその店。
十年ほど店は繁盛したが、1890年代後半に銀の価格が暴落し(1オンス1.31$⇒0.63$)、キャリコは急速にさびれていった。
ルーシー・ベル・レーンは1899年にキャリコを離れた。

キャリコはボラックスの採掘も終わった1907年には正式に「町」ではなくなった。

鉱山会社は起死回生のために1917年にシアン工場を開設した。
四十歳になっていたルーシーと夫はキャリコにもどり、再びこの家に住んだ。

↑この写真はそのころのものか↑夫ジョンは1934年に亡くなった。
翌1935年にはシアン工場も閉鎖され、キャリコはいよいよ人の住まない場所になっていったが、ルーシーはここを離れなかった。

ルーシーより十五歳年下のウォルター・ノッツという少年は叔父がキャリコの保安官をしていた。子供の頃よく訪れ、学生時代には銀の採掘も手伝ったことがあった。
長じてボイゼンベリーで財をなしたノッツは「ノッツ・ベリーファーム」という、西部開拓時代のテーマパークを開設。
1951年、キャリコの街も買い取って修復と復元をはじめた。
子供の頃にあそんだ町を復活させようと思ったのである。

五軒しか残っていなかった建物にずっと住み続けていたルーシーはびっくりしただろう。
けれど、きっと喜んだだろう。
放棄されていた家々はひとつひとつ復元され、観光客がやってくるようになった。
ルーシーはいつのまにか「歴史の語り部」になってしまった。

彼女は1967年に93歳で亡くなった。
が、
今もルーシーを見かけた噂がある。

夕方からのゴースト・ツアーでかつてルーシーが住んでいた家(この写真の家)を訪れると
彼女が気に入っていたロッキングチェアが揺れる。
物音がする。
人気のなくなったストリートを歩く彼女は、葬られた時にまとっていた黒いレースのドレスを着ているのだそうだ。
キャリコはホンモノのゴースト・タウンになったのかもしれない。


***
メインルートの15号線近くに1950年代スタイルのカフェ・ダイナーがある。

「ペギー・スー」というとロックンロールファンはバディ・ホリーの曲を思い出すけれど、現オーナーの名前からとっているそう。

ジュークボックスのカタチをした入口を入ると、

その時代に生まれていなかった小松でも「懐かしの」と言いたくなるようなモノにあふれている。




レストランセクションへの入口に↓

映画で出てくるようなカウンターがある。
もともとの店は1954年にカウンター9席と3つのブース席ではじまったそうだ。
建物自体は1947年に元オーナーの自宅として建てられていた。

店が繁盛してダイニングルームを増築した。
ウェイトレスさんは今も

お店に合わせた制服。

注文したステーキも付け合わせのポテトも、予想をはるかにこえて美味しい。うーむ、これならまた来たい。

落ち着いてホームページを読んでみると、1954年にオープンしたもともとの店は1970年代に閉店していた。
現オーナーが1981年にはじめて訪れた時にはからっぽでなんの50`s装飾もなかった。
買い取って1987年に再オープンする際に彼らのコレクションを中心にディスプレイしたのだそうだ。

↑それにしても徹底している

トイレも

こんなです(^^)
ラスヴェガスとLAの間をドライブするなら、ワンストップする場所としてオススメできます。

ホッパーのパロディもその時代らしい
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ユタ、アリゾナ、ネヴァダへ。ラスベガスで「LOVE」を観る

2022-09-20 20:43:24 | アメリカ西部
シルク・ド・ソレイユの「LOVE」は、ジョージ・マーティンがこのショーのためにミックスしなおしたビートルズの音楽が主役。ここでしか出会えない。

モニュメント・ヴァレーの壮大な日の出を楽しんでから出発。

ここまで天気に恵まれ過ぎていた。

ガソリンの値段は州により地域により大きく違う。先住民エリアにいる間に入れておく方がよい。

二日前に宿泊したアリゾナ北部のペイジまでもどる。

パウエル湖の水はあいかわらず少ない。
いちどこの湖の奥まで行く企画を実現させたいと思いつつ果たせていない。船上で一週間という旅を退屈しないで過ごせる内容にできるかがカギだ。

まっすぐ西へ向かう道はない↑南北に蛇行しながらユタとアリゾナを出入りする。

単調だが日本人の目には飽きない景色が続く。

ハリケーンの街でランチ。

中華にした。
以前よく訪れていた店はもうなくなっていて↑はじめての「パンダガーデン」
日本風お弁当もあるというので注文したら
ううむ、わるくないですが。量はじゅうぶん(^^;
フォーチュンクッキーが最後に。




メスキートでネヴァダ州に入った。
離婚が簡単にできる、個人にも企業にも寛容な税制、先住民区だけの優先ビジネス、さらに核実験場まである、アメリカでももっとも自由な州。だからここにラスベガスができた。

↑トランプ・タワーはどこでも金ぴか。

今晩のショー「LOVE」の上演されているミラージュ↑
今回のホテルは「パリス」にした。
巨大ホテルはチェックインも時間がかかるし部屋に行くにもたいへんだから、利便性・経済性を考えればモーテルでもよかった。だが、今回はじめてラスベガスに滞在される方もある。ならばやっぱり、ラスベガス「らしい」ホテルに泊まりたいですよね(^^)

部屋からエッフェル塔やべラジオホテルが見える。
でも、ラスベガスのホテルの部屋はどこもごくシンプル。
部屋にいるよりはカジノでお過ごしください、ということ(^^)

パリス・ホテルの一階カジノは天井が空のようになっていて、まるでパリの街角のようだ。

↓有名な「フラミンゴ」のネオン↓今となっては小さいが、ストリップ通りを代表するネオンであり続けている。

↓「ミラージュ」のロビーに入り、奥のショーシアターをめざす


↑この写真内のQRコードから↑ショーの様子が見ていただけます。
ビートルズの四人が視覚的にどーんと出ることはないけれど、シルク・ド・ソレイユの演技と一体になった、他では見られない内容。
円形の劇場もこのショーのためにつくられているのだから。

約一時間半のショー※「ミラージュ」のHPにリンクします

***
終演後、フレモント・ストリートを訪れた

もともとラスベガスの駅前でこちらの方が中心だったのだが、シーザーズなどがストリップ通りにできてさびれていた。
それを救ったのが商店街の天井を画面にした一時間ごとの無料ショー
今日はしかし、ずっと映像と音が流れ続けています。

23時ごろパリスに帰着。明日はLAにもどる。



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モニュメント・ヴァレーの夜明け‗朝陽に染まる雨

2022-09-20 08:31:32 | アメリカ西部
朝陽が遠い雨を赤く染める。こんな時間は十五分も続かなかった。

THE VIEWでなければ体験できない夜明け。
**
前夜、ブラックウォーター家でのBBQから戻って就寝。

ぴかぴかに星が出ていた。

夜中に目覚めると雲の向こうに月。

夜明け前の太陽が地平線の下にある。

地平線の下からモニュメントにたれこめる雲を赤く染めはじめる。

太陽が姿を現し、それは金色に変わり、

雨がやってくるのが見えた。
無料の朝食が開く時間だ。以前は有料バッフェに長蛇の列ができていたのだが、コロナ禍のせいか無料朝食に代わっていた。じゅうぶんのメニュー。拍子抜けするほど空いている。

みんな部屋からこの絶景を楽しんでいるのだろう。

せっかくだからテラスに出てみよう。

すると、冒頭の写真のように雨がやってくるのがわかった。

はっきり見えた「雨脚」はどんどん近づいてきて、屋内に逃げ込む。

やがてダイニングの窓をたたくと、五分ほどでまた去っていった。

空は青くなり、ダイニングに朝陽が満ちてくる。
隣接するお土産屋さんに行くと、

まるではめ込んだパネルのように、横長のモニュメントが並んでいた。
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モニュメント・ヴァレーをナバホ族のウィリーさんの案内で

2022-09-19 14:05:12 | 国内
この巨大さ!

モニュメント・ヴァレーの観光はナバホ族のガイドさんの案内でないと入れないエリアが多い。この「Ear of the Wind」もそのひとつ。
**
モニュメント・ヴァレー入口のカイエンタにあるバーガーキングでストップ。

ここのオーナーはナバホ族の人で裏に伝統的な家=ホーガンを再現してある↓

女性と子供たちが住む大きめのホーガンと、成人男性が住む小さなホーガンとがある。

さらに、交易に使われていたという小屋

ここには日本軍の遺留品がたくさん保管してあった驚く。NO PHOTO。
それは、実はここのオーナーだったキング・マイクが沖縄戦を戦った時に持ち帰ったものだった。

※「ナバホ(ナヴァホ)コードトーカー」についてこちらに詳しく書きました
**
バーガーキングのあるカイエンタを出て、いよいよモニュメント・ヴァレーが近づく。

途方もないスケールで屹立する岩。

今日は青空にひときわ映える。

ここからユタ州にはいる。
夏の間、アリゾナはサマータイムを使わず、ユタだけサマータイム。
なのでここで時計は一時間変わる、先住民居住区では州と関係なくサマータイムを採用している。
あぁ、ややこしい。
我々のiPhoneもバージョンによってばらばらの時間表示になった。
約束の時間、どちらの時間でなのかを確認することが大切ですね。

ここから国立公園エリア↑
先住民居住区ではマスク着用を求めている↑
入場料の支払いは現金不可!クレジットカードのみなんです

今日宿泊するTHE VIEWホテルのロビー。
モニュメント・ヴァレーの価値を一晩で感じたいなら、ぜったいにここの宿泊しかない(と、小松は思う)。
***
午後二時にブラックウォーター家ジープツアー、スタート

一般車でも入って行けるのだが、実際このオフロードではたいへんなことになるだろう。

おなじみ絶景がひろがる。

「ジョン・フォードポイント」↑木場姿のジョン・ウェインが立っていたところでポーズ

****

2007年に90歳を超えたスージーさんが住んでいたホーガンを訪れると、そのひ孫娘さんがおられた。

↑この絵葉書で子供なのが彼女のおばあちゃん。

※こちらにもう少し書きました2008年のスージーさんの動画もみていただけます

↑ビッグ・ホーガンはまるで先住民の横顔のよう↑

↑すぐとなりの岩が巨大な熊だという。しばらく見ていると、右を向いた・鼻の尖った熊がみえてきます(^^)↑

先週大雨が降ったそうな

今は青空だけれど、天気は一変するのです。

↑雨の後はいつもにもまして色鮮やかな砂漠の花々



↑四百年は経っていると説明された岩絵。
人間の描写力って変わらないのですね。


★この日、夕食はブラックウォーター家を訪問してBBQをたのしんだ。こちらに載せました(^^)

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「ホースシューベンド」は有料観光地になった

2022-09-18 15:50:41 | アメリカ西部
グランドキャニオンの上流。コロラド川が馬蹄(ホースシュー)のカタチにベンドした(曲がった)大絶景。
2022年は駐車場には料金所ができて10ドルを徴収されるようになっていた。
※料金所の写真、驚きすぎて撮り忘れました(笑)

下は2016年の様子↓

この時でもだいぶん車が多いとおもった。

下は小松がはじめて訪れた2007年

↑駐車している車は我々だけ。道路からの看板もなかったから、知っている人しか来られない場所だったのである。
2007年には舗装などしていないこんな道で↓

砂地に足をとられながら丘を越えて、柵などない断崖にたどりつき↓

おそるおそる断崖をのぞきこんだものだ。



↓同じ場所、2016年の混雑

人が増えていろんなコトが起きたのだろうか…

今年2022年に訪れてみると↓

整地され、こんな柵が設置されていた!

景色は変わらないとはいえ、コワさはなくなる


しかし、スリルを求めるのは人の自然

自己責任でも、こういうところへ行きたくなるのです(^^)

↑写真をお撮りするのも、腰が引けますなぁ(笑)


この場所へ至る道も整備され

歩きやすい、丘は越えない平坦な道が用意されている。

車椅子の人も楽に訪れることができるようになったのだ(^^)


本日最後にグレンキャニオン・ダムのビジターセンターへご案内

ここの窓から豪快なダムとダム湖が望める。
また、このダムによってできたパウエル湖のジオラマもよくてきている。

↑このダムは一番下にちょこっとだけ見える↑この先にこんな複雑なカタチをした人造湖があることが伝わったかしらん。

**

ダムから近い高台のホテルにチェックイン

夕食はいつもの中華でと思ったら!日曜日で閉まっていた。

どうしたもんか考えた末に、となりのウェスタン風ファミレスにはいったら

予想以上に内部が広くて、なんと

ステージまであるではないか(^^)
しばらくするとアメリカのバスツアーがステージ前の席を埋めて、

すぐに演奏がはじまった♪
「ルート66」や「カントリー・ロード」など知っている曲も多々あり
予期せぬ楽しい夕食となった。

メニューはどれもアメリカン・サイズでした(^^)

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