次にサンフランシスコに来たら、是非見ておきたいと思っていた場所があった。
それはオペラ・ハウス。戦後日本が独立を回復し、国際社会に復帰したサンフランシスコ条約が締結された場所だから。
二十年近く前になんどもサンフランシスコへは来ていたが、その時この建物を見学したことはない。一般的な観光で訪れる場所ではないのである。
この立派なクーポラのある建物は市庁舎。
オペラハウスは道路を挟んで向かいに位置している。
内部はどうなっているのだろう?何か記念するようなプレートでもないのかしらん、そう思って立派なロビーを覗いていると・・・
係員がきてくれた。「今、上演中だから静かに。こっちに記念プレートがあるから。」と入れてくれるた。
ゆっくり読むのはあとにして、とりあえず写真だけ撮らせてもらった。係員が言うには「隣の建物にはもっと見るべきものがあるよ。調印式はあっちでやったんだ。」とのこと、それじゃ、行ってみよう。
外に出てみると、オペラハウスの壁にはこんな風に刻んであった↓
隣の建物は、今日はひっそりしている。ロビーを覗くと、ひとりだけ警備の人が居た。来訪の理由を告げると、こちらもなんと、見ず知らずの我々を中へいれてくれたのだった↓
そこには、先ほどと同じ内容のプレートが掲げられて、調印式の様子が描かれた絵があった・・・でも・・・このシーンは??
絵についての解説があった↓
日本人にとっては、「戦後にサンフランシスコで調印された条約」というのは、1952年に日本が独立を回復したもの」を指すのだけれど、これは、どうやらちがうらしい・・
解説版の要旨を意訳。
「1945年4月25日から6月26日にかけて、ここサンフランシスコ・ウォー・メモリアル・オペラ・ハウスにて、多くの連合国と国々の会議が行われた。6月25日に参加五十カ国により、国際連合憲章が調印されたことを記念して、このプレートを設置する」
そうか、これは、第二次大戦後に「国際連合」をつくるべく、連合国五か国(アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中華民国)が主催した会議の記念画だった。
画かれた人物は、トルーマン大統領のほかもアメリカ合衆国の重鎮ばかり。アメリカ主導で行われたものだったのが良く理解できる。
それにしても、ベルリンが陥落しドイツが完全降伏したのは1945年の5月5日、日本は8月15日だから、それよりもずっと以前から、この国際連合構想というのがアメリカによって考えられていた、ということ。
留守番をしていた係員は、この絵を見せてくれたあと、親切にも会議が行われた劇場内部へも我々を入れてくれた。
***
しかし、我々日本人が記憶しておきたい1951年の方のサンフランシスコ講和会議(※条約は1952年発効し、日本は独立を回復した)につては、どこにもそれを記憶する記念プレートは見つからなかった。