旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

19世紀に修復された古代の牡鹿像

2012-07-29 12:03:50 | イタリア
ローマ市内にかつてはあったテベレ河岸のぶどう畑から1822年頃に発見された古代の牡鹿像。2012年7月、バチカン美術館の入口近くにピックアップ展示されていた。以下は添えられていた説明文より。
バラバラで欠けたパーツもたくさんあったこの牡鹿は、当時の習慣によって法王庁のおかかえ彫刻家によって完全な形に修復された。
左の前後両足、耳と鼻面、尻尾が19世紀の修復で補われた部分である。目も昔はガラスか大理石で本物のように見せられていた筈である。全体は大理石で出来ているが、角はブロンズ製でネジで止められている。

胴体に残る四角い跡から、となりにアルテミスかディオニソスが居た(乗っていた?)のかもしれない。この鹿はカエサルのHORTI TRANS TIBERIMに飾られていたと推察されたが、そうであればこの種の大理石のものとしては最古の例。現在は小アジア(現トルコ)紀元後一世紀のものとされている。

★バチカン美術館は歴代の法王が整備したたくさんのコレクションを呑み込んで現代のようなとてつもない収蔵品になっている。これらひとつひとつの価値をしっかり考証してゆくのは容易なことではないだろう。超有名作品だけではなくこういう「ちょっと横に置いてあった」所蔵品に対しても、ちゃんと研究している人がある。だから我々観光客もこうして時折その成果を知ることが出来る。
研究者は、無尽蔵にあるにちがいないこういった宝の山を前にして、きっと喜びのため息を日々ついているのだと想像する。
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ミラノで突然のストに遭う

2012-07-26 01:04:55 | イタリア
青空ミラノ。朝、大聖堂正面は逆光となる。
ガレリアを通って真ん中の四つの紋章の一つ、トリノの牛の急所は磨り減って凹んでいる。ここにかかとをおいてクルッと回ると良いことがあると、誰が言ったんでしょうね?
スフォルチェスコ城の一室「アッセの間」は、その壁と天井にレオナルドとその弟子が描いた森のフレスコ画がある。レオナルド自身が手がけたと言われているのはこの壁の根っこのあたり。壁に貼り渡してあった板が外され修復がはじまっていた。今回は何が発見されるのでしょう。この城の一番の見ものはミケランジェロの最後のピエタ像死の数日前までノミを入れていたそうだ。★今回初めて聞いた話。この像は同じ大理石から彫られた、同じく未完の胸像がある、というのである。数年前に石の鑑定からそれが同じ石であった事が判明し、特別展示でこのピエタ像の横に展示されていたのだそうだ。その像、見てみたいですね。

最後の晩餐への入場

午後の自由時間にブランド街の元個人邸宅「ポルディ・ペッツォーリ美術館」へ。

今晩は自由食なので希望の方と夕食をアレンジ。そのために一緒にホテルに戻る方々とバスにのった。ちゃんとバス券を買って、この写真右下の様に車内の時間打刻機械にいれていたのだが…★検札の人が回ってきた時、我々12人のうちお二人が無賃乗車だと言われてしまった!「え?ちゃんと入れてましたよ」と言っても、切符に時間を打刻された跡がない。どうやら表裏反対に入れてしまったので機械が反応していなかったのに気づかなかったということだ。
不可抗力でお許しを・‥いや、ダメでした。一人26ユーロの罰金取られました。

再び、バスに乗っていたが・・・どうもホテルの方へ向かってない。確かめてみると、あれあれ夏休みで路線が変更になっている。気付いて地下鉄に乗り換えることにした。
この階段を下りて改札へ行こうとすると、駅員の人が向こうからみんなを追い出しながらやってくる。「ショーペロ~、フィニッシュ~」ええ!ストライキですか。

そうなのだ、こちらは突然こういうことが起きる。駅を追い出されて、近くのタバコ屋さんで道を聞く。
中国人の店員さんは同じアジア人の我々に、とても親切に中央駅へいくバスを教えてくれた「82番のバスでも、動いているか分からないわ」。

ううん、困った。十人以上のメンバーを率いてストにあって、ホテルから3キロのところで立ち往生、というこの事態。

車の多く走る道へ向けて歩いていると、ぽつんとタクシーが止まっていた。話してみると、とてもよい運転手さん、12人のうちいちばん歩くのがたいへんな四人にこれでホテルへ戻ってもらうことにした。※十分ほどでさっと到着し料金7ユーロほどだったそうです。

残る小松を含む八人は大通りへ。ストライキで間引き路線運転をしているので、たくさん人がバス停に集まっている。この中のどの路線が我々のホテル近くへ行くのか、確認しなくては。路線版をみていたら、あ、あれは82番!ちょうどやってきたのです。
ほっとして乗り込み、窓から道を確認して見ていると、だんだんと見覚えのある場所になってきた。建物の間から我々の滞在しているホテルがみえたので、下車。
ホテルにもどったのは、夕食へ出発する三十分まえであった。ほんとは二時間は前にもどって、シャワーしてゆっくりしてもらえる予定だったのですが・・・まぁ、間に合ってよかったです。

夕食は何度か行ったことのあるレストランへ、近くに住む方から予約をいれてもらった。やはりこういうルートで頼むほうが、レストランはよくやってくれるのです。
前菜に野菜のグリル盛り合わせ第一の皿はパスタ、ラビオリ、リゾット三種盛り合わせメインにはサカナと共にやっぱりお肉をおねがいしました!
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ヴェネチアからヴェローナ経由ミラノへ

2012-07-25 13:45:48 | イタリア
観光客でいっぱいになってしまう前のサン・マルコ広場を歩こう。サン・マルコ広場近くのホテルに泊まればこその楽みだから。

午前中、ガイドさんと共にドゥカーレ宮殿へ入場。ステンドグラスの光が美しい。
お約束のヴェネチアン・グラスの実演
ゴンドラにももちろん乗りましょう。歌い手がいれば尚楽し。
大運河とリアルト橋
昼食のあと、ヴェローナを目指す。途中、白ワインで有名なソアヴェ地区を通る。廃城となっているソアヴェ城が見える。
ヴェローナは近辺の食料品の集散地、ロジスティックの町でもある。そこの休憩はいろんな食材を売っているお店にて。トリュフを漬け込んだオリーブオイル、好きです。
ヴェローナの街で一番有名なのは「ジュリエットの家」だろう。世界中からきた恋人たちが残していった落書きでいっぱい。塗り直してもすぐにいっぱいになるそうな。アメリカ映画「ジュリエットからの手紙」に出てくるジュリエットクラブはほんとにある。でも、あんなお話はないでしょうね。あの映画はアメリカ人や日本人が夢見るイタリアのロマンチックなお話。イタリアでは公開されなかったそうな?
街のセール看板もおしゃれ
ブラ広場(ドイツ語で「広い」をあらわすブライトからきているそうだ)には、古代の円形闘技場・アレーナが今もその巨大な姿を見せている。

ミラノへ着いたのはすでに19時半すぎ。先にレストランへ行く。ちょっとこじゃれた「パンとワイン」という名前のレストラン、団体予約にしてはとてもおいしいきのこのフェテチーネを出してくれた。
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サン・マリノ、ラヴェンナからヴェネチアへ

2012-07-24 12:17:33 | イタリア
フィレンツェを朝早く出て(この旅は07:30ホテル出発多いです)、アペニン山脈を超えてパダーニャ平原のボローニャ近くのサービスエリアでトイレストップ。その後アドリア海から20キロのところにある三つの頂きがあるティターノ山を根城にした独立国サン・マリノを訪れる。
遠くからその三つの頂きが見えてくる。
イタリアとの国境はこの歩道橋のような表示だけ「古き自由の国へようこそ」と書かれている。
ぐんぐん山を登ると眼下にアドリア海が見えてきた。
駐車場は旧市街の城壁のすぐ外。サン・フランチェスコ門から入る。
坂を少し登ると市長舎いや国の建物だから政庁舎の宮殿があるテラスに出る。ここにはサン・マリノを現す女神が建てられている。

ここから少しだけ坂を登ると三つの頂のうち一番古くからの城塞と言われるグァイタの塔まで行くことができる。
※サン・マリノについては下記にもう少し詳しく書きましたのでご覧ください↓
http://www.tour.ne.jp/blog/komatsusin/56794/
**
一時間半程度の滞在の後、アドリア海沿いを北上しラヴェンナへ。ここで遅めの昼食。ローカルガイドさんと市内を歩き始める。ガイドさんにお願いしていつもは入らないこの教会へもちょっと入る時間をとった。
ここの正面祭壇下にはおもしろいものが見られるから。真っ暗な穴を覗いてもらって…はじめライトが点かずに心配したが、ようやく見えた
これこそがもともとの教会の床だ。ラヴェンナは5世紀はじめホノリウス帝によって西ローマ帝国の首都となり、その後キリスト教の教会もたくさん建てられていった。湿地帯のような地面はだんだんと沈下して、モザイクもろとも水没したのだ。

ダンテの墓がある。フィレンツェ人ダンテは故郷の内紛を逃れて放浪している時、ラヴェンナにて客死した。現代イタリア語の元になったという「神曲」の著者は、国中から敬意を払われている。入口には元祖桂冠詩人としてのローリエ

ラヴェンナで一番の観光名所はサン・ヴィターレ教会とそこに隣接するガッラ・プラチディア廟。それぞれ6世紀5世紀という時代のすばらしいモザイクが残っている。サン・ヴィターレはとても大きなドーム
ホノリウス帝の妹ガッラ・プラチディアの廟は小さなロマネスクの礼拝堂。この絨毯のような模様と同じものがエジプトのコプト教会の修造物に見られる。

***
ラヴェンナを出てさらに北上。キオッジャをすぎて、美しきヴェネチアへ到着。夕陽の大運河、リアルト橋

サン・マルコ広場すぐそばのホテルだったので、夜皆さんと歩きにいった。すると、こんなLEDライトのついたおもちゃを売っていた。パチンコの要領で夜空に打ち上げるとくるくると回転しながら美しく落ちてくる。いつも思うのだけれど、こういうおもちゃを工夫するのは誰なんでしょうね?
最初はひとつ2ユーロ、そのうち1ユーロになり、そのうち12個で10ユーロになりました(笑)
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フィレンツェからキャンティの里へ

2012-07-23 16:51:29 | イタリア
フィレンツェ連泊の中日。午前中市内観光。大聖堂の中にある時計は日の出をⅠとしてはじまり、今の時計と逆周りに針一本で動いていく。中世には都市毎に時間の数え方が違うのもある事だったのだそうだ。
周囲四隅の顔はパオロ・ウッチェロによる15世紀のフレスコ画。遠近法に系統していたという彼の作風は元祖キュビズムと形容されたりする。
※今回の観光中、ウフィッツィ美術館でこのウッチェロ作の「サン・ロマーノの戦い」が修復を終えて再展示されていた。以前はなんとなくくすんだ色合いだったのが、見違えるような色になっている。展示され方も、以前の太陽光の部屋でのボケた雰囲気ではなく、暗闇にスポットライトという、この手の中世絵画にはより好ましい環境になっていた。
このままの展示でいてくれれば良いのだけれど、次回はさてどのような展示に変わっているのでしょうか…おねがいしますよ、ウフィツィ美術館さん。

午後から希望の方をキャンティワインの酒蔵見学へお連れする。フィレンツェからシエナ方向へ三十分ほど走ると、もう元祖キャンティワインの里。
この見学はオプションではなく追加料金なし。内容も行くに値するとおもうのだが、フィレンツェ半日だけの自由行動だとお買いものに走ったりする人も多く、今回四名だけの参加。
ヴェッキオ・マッジョという歴史ある酒蔵は、ワイン畑の中の小高い丘にある。はじめに熟成中のワイン樽の部屋。
キャンティ・クラシコというのはこの限定された地域でとれたサンジョベーゼ種のぶどうを80%以上使用している事が条件となっている。キャンティ・クラシコの証はこの黒い鶏マーク。
酒蔵の上にあるレストラン兼小規模なペンション。中央の塔はそのルーツを9世紀に持っているそうな。
かのレオナルド・ダ・ヴィンチもモナ・リサを描いていた時期に二カ月間逗留したとされる。
丘のうえから小さな村と畑が見渡せる。ここはフィレンツェのライバル都市シエナとの国境だったのでその見張り場所だった。
少し下へバスで降り、試飲をさせてくれる。一緒に出されたハムやチーズがとてもおいしい。
今日はご種類。アペリティフになるロゼ、キャンティ・クラシコ、スーパートスカンと言われるサンジョベーゼ種の割合を減らしたもの。それに上のヴィラに隣接した礼拝堂に葬られているかつてのここの所有者アゴスティーノ・ペトリの名を冠したキャンティ。

午後五時過ぎにフィレンツェのホテルへ帰着。
夜は自由食なので、せっかくだからおいしく食べに行こうじゃありませんか。何度か行った店の定番メニュー「ズッキーニサラダ」は、トリュフ風味のオリーブオイルとパルメザンチーズ、それに松の実が少々乗っている。おいしいキノコのグリルとパスタ季節の野菜をフライにしたものは揚げすぎていなくて野菜の風味が新鮮。


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