ローマ市内にかつてはあったテベレ河岸のぶどう畑から1822年頃に発見された古代の牡鹿像。2012年7月、バチカン美術館の入口近くにピックアップ展示されていた。以下は添えられていた説明文より。
バラバラで欠けたパーツもたくさんあったこの牡鹿は、当時の習慣によって法王庁のおかかえ彫刻家によって完全な形に修復された。
左の前後両足、耳と鼻面、尻尾が19世紀の修復で補われた部分である。目も昔はガラスか大理石で本物のように見せられていた筈である。全体は大理石で出来ているが、角はブロンズ製でネジで止められている。
胴体に残る四角い跡から、となりにアルテミスかディオニソスが居た(乗っていた?)のかもしれない。この鹿はカエサルのHORTI TRANS TIBERIMに飾られていたと推察されたが、そうであればこの種の大理石のものとしては最古の例。現在は小アジア(現トルコ)紀元後一世紀のものとされている。
★バチカン美術館は歴代の法王が整備したたくさんのコレクションを呑み込んで現代のようなとてつもない収蔵品になっている。これらひとつひとつの価値をしっかり考証してゆくのは容易なことではないだろう。超有名作品だけではなくこういう「ちょっと横に置いてあった」所蔵品に対しても、ちゃんと研究している人がある。だから我々観光客もこうして時折その成果を知ることが出来る。
研究者は、無尽蔵にあるにちがいないこういった宝の山を前にして、きっと喜びのため息を日々ついているのだと想像する。
バラバラで欠けたパーツもたくさんあったこの牡鹿は、当時の習慣によって法王庁のおかかえ彫刻家によって完全な形に修復された。
左の前後両足、耳と鼻面、尻尾が19世紀の修復で補われた部分である。目も昔はガラスか大理石で本物のように見せられていた筈である。全体は大理石で出来ているが、角はブロンズ製でネジで止められている。
胴体に残る四角い跡から、となりにアルテミスかディオニソスが居た(乗っていた?)のかもしれない。この鹿はカエサルのHORTI TRANS TIBERIMに飾られていたと推察されたが、そうであればこの種の大理石のものとしては最古の例。現在は小アジア(現トルコ)紀元後一世紀のものとされている。
★バチカン美術館は歴代の法王が整備したたくさんのコレクションを呑み込んで現代のようなとてつもない収蔵品になっている。これらひとつひとつの価値をしっかり考証してゆくのは容易なことではないだろう。超有名作品だけではなくこういう「ちょっと横に置いてあった」所蔵品に対しても、ちゃんと研究している人がある。だから我々観光客もこうして時折その成果を知ることが出来る。
研究者は、無尽蔵にあるにちがいないこういった宝の山を前にして、きっと喜びのため息を日々ついているのだと想像する。