旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

日本一大きな「大仏」~鋸山下見

2024-11-16 10:02:35 | 国内
台座から合わせると31mを超える。※奈良の大仏は19m弱。

日本寺のHPに「天明三年(1783年)に大野甚五郎英令が27人の門弟とともに岩山を3年かけて彫刻したものが原型です。その後昭和41年に4カ年にわたって修復されました。」と解説されているが、意外な話をきいた。
「江戸時代の大仏は幕府の許可を得ていなかったので取り壊されたんです」
**
鋸山ロープウェイを降りて「百尺観音」まで行き、「地獄覗き」まで上がった。

ここから冒頭の大仏までは、かなり距離がある。

階段もかなり長いし、降りるばかりではない。
12/7の本番では二つのルートを選べたほうが良い。歩くのが苦手な人への別ルートを考えよう。
↓日本寺HPからの絵地図↓山頂エリアの「百尺観音」と「ラピュタの壁」を見学したら再びロープウェイで下におり、

↑大仏下の無料駐車場まではバスに乗り、少し上って大仏前で歩いてくる組と合流というのはどうだろう。
いちばん歩く「羅漢エリア」をパスすることができる。

それが、可能かどうかを知るためにも、今日の下見はできるだけ多くを歩かなくては。

鋸山の南側は日本寺の広大な境内になっていて羅漢がいっぱい。

千五百体以上あるそうな。

今は石ころにしかみえなくなったモノもあるから、江戸時代の羅漢ワールドはすごい規模だったにちがいない。

↑文化四年(ひのとう 丁卯)1789年の観光地図を見せてくださった↑
これは高雅愚伝という僧が江戸からの参拝客を増やすべくつくったモノ↑
江戸の人々に「羅漢のスポンサーになりませんか」という宣伝をして、自分たちが出資した石造に会いにくる参拝誘致をしたのだった。

↑こちらは「二天門」左右に仁王像

石の羅漢を刻んでくれる大野英令をトップとする石工集団を雇った※「東京湾観光情報局」のページの解説にリンクします

石造群が鋸山の石ではなく、伊豆から運ばれたもっと硬い石だったというのもおもしろい。

大野英令は寛政10年(1798年)年に48歳で没。墓は羅漢群の中にあった↓

↑冒頭の大仏を自ら壊すことになってから十年ほど経つ。
心残りだっただろうなぁ。
昭和に修復された現代の像を見せてあげたい。

・・・続く
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