旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

コペンハーゲンを運河クルーズ船から見ると

2018-09-16 16:16:16 | デンマーク

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昼食後はクルーズボートへ

運河から見るコペンハーゲンは全く違う姿なのです(^.^)
さっき見たオペラハウスも海上から↓

人魚姫の像の背中↓

↓1700年代のクレーンはコペンハーゲン港のシンボル↓

↓高さ85メートルの煙突があるごみ焼却場↓

↓世界最大の海運会社マースクラインの本社↓

低い方の建物はかつての税関↓今はレストラン

↓「ブラック・ダイアモンド」と呼ばれる1999年の王立図書館↓


↓さっき訪れた王宮に、さっきはなかった旗がひるがえっている↓

「中に王冠が描かれている旗なので、親族のどなたかが戻られたのですね」と、ガイドさん↓


↓2015年建造の「建築デザインセンター」が入った建物↓



港から運河に入っていくと、頭を打ちそうになる低い橋をくぐってゆく↓

いや、これは立ち上がってぼおっと風景を見ていると命にかかわりまする

曲がる時に船体をこすった↓

手を出していたら怪我します

運河は道であると同時に町を分断している。
近年歩行者のための新しい橋がかけられている↓

↓こちらはここ二年ほどで出来た、ニューハウンの先に出来た港をまたいで移動できる歩行者の橋↓どれもデザインが美しい


↓クリスチャン四世が創立したビール工場の建物↓

↓スウェーデンやイギリスとの戦いのための大砲小屋だった建物群↓ナポレオン戦争当時にはイギリス軍によって破壊されたそうだ

中は現在おしゃれなオフィスになっている

デザインの美しい住居群↓

↓こちらは「チーズケーキ」とよばれる官舎↓


空港到着してすぐに見えた「救世主教会」の個性的な塔の全体像が一瞬だけみえた↓


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船を降りて三十分だけストロイエ通りで自由時間がとれた。
↓コペンハーゲン市の創始者といわれる12世紀のアブサロン大司教像↓


ロイヤル・コペンハーゲンで「フローラ・ダニカ」を間近に見ていただきたいと思ったら、今日は休日で16時でちょうど閉店!
ちかくのデパートの地下にあるデンマークでおなじみの食料品店へ↓


さらにちょっと気になった元教会の建物へ↓

★これについてはこちらに書きました

17時ごろに中心部からは少し離れたホテルへチェックイン


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市民マラソンの日、コペンハーゲンを観光

2018-09-16 15:11:02 | デンマーク
ヘルシンキ空港への道は朝霧

空港のチェックイン、スカンジナビア航空はどこもぜーんぶ自分でやるのです↓

空港の待合エリアでフィンランドのキノコ「カンタレッリ」↓

ケースの蓋には「ポルチーニ」↓


フィンランドの現地国名SUOMIは湖沼地帯をあらわすときいたことがある


一時間半ほどのフライト。スウェーデンとの国境をなすズンド海峡の向こうにコペンハーゲンがみえてきた↓

風力発電で電力の40%をまかなっている国である

到着して市内観光。空港から近くに見える「救世主教会」↓

↓旧証券取引所の塔は三匹の龍が尻尾を巻き合わせた独特のデザイン↓


コペンハーゲンは17世紀のアムステルダムをモデルにして街作りがすすめられたときいて納得する。
人工の港であるニューハウンの風景↓
ここで最も古い1681年建物が下の写真で左側の青色の建物↓アムステルダムのスタイルとよく似ている↓

↓17世紀後半のデンマーク海軍大将ニルス・ユール(銅像の人物)は、二十代にアムステルダムで造船技術を学んでいた↓

「黄金の世紀」にあったオランダから人材を招いてオランダ人街をつくっていたのだった。
17世紀のオランダから影響を受けていた点は、江戸初期の日本と同じか。

***
現在の王宮であるアマリエン・ボー宮殿の四つの建物が面した広場へ↓

こちらは18世紀後半に元の王宮が火事にあって移り住んで以来の場所。
↓皇太子一家が住む棟↓

旗があがっていないからご不在ですね

正午の衛兵交代を待つ


同じ広場で結婚式の写真を撮っているアジアの方も

王宮から湾をはさんだところに建設されたオペラハウス↓
↓2004年にデンマークが誇る海運会社マースクラインが出資してコペンハーゲン市に寄贈したのだそうな↓


★市民マラソンで交通規制がひかれております


バスはいろいろルートを考えながらまわり、市庁舎近くで下車

ストロイエ通りにある昼食レストランへ↓

デンマーク定番の黒パンのオープンサンド↓









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コペンハーゲン観光

2018-05-28 17:17:17 | デンマーク
朝の驟雨、しばらく車の中で待っていると止んだ。人魚姫像のところはいつもにぎわっている↓

デンマークの国造り神話「ゲフィオンの噴水」のところも↓

アンデルセンも好きだったニューハウン↓「新しい港」




小松がお願いして連れて行ってもらったのは市場↓シーズンのアスパラ、白も緑も両方↓
左の赤いのは「牛の心臓」という名前のトマト↓

↓サーモンはノルウェーから↓今回は買ってかえりませんでした(^.^)

↓この蜂蜜はコペンハーゲンの四つの別の地区からのもの↓


ドイツに占領されていた時代にも国内にとどまり、コペンハーゲン市内を毎日馬で巡回して市民を勇気づけたというクリスチャン十世王↓

※この時期の勇気あるデンマーク国王の逸話がこちらのページに書かれています
第二次大戦にドイツに占領された王国はデンマークだけではない。ノルウェー、オランダ、ベルギー、有事の際にこそ振る舞いが問われるのだ。

正午の衛兵交代へ。王室が日々の礼拝をおこなう「大理石教会」↓


広場で衛兵がやってくるのをまっていると、警官がガイドさんに話しかけてきた何か問題でも?と思ったらこんな紙を手渡す↓
↑中国語で書かれた「スリに注意」という紙でした↑

車でストロイエ通りの中心にあるロイヤル・コペンハーゲン前へ↓レンガの建物がそれ

ロイヤル・コペンハーゲンの代表作といえばこのフローラ・ダニカ↓写真ではなく本物の色の素晴らしさをみてほしかった↓

ロイヤル・コペンハーゲンの現在のシリーズはずいぶんアジアを意識している↓そもそも「小鉢」というのが一般的でないヨーロッパ。このボールは朝のシリアルに使うぐらい?↓日本で使うにはちょっと大きめだが…煮物ですかね↓

花瓶に「KINTSUGI」と説明してあった↓
↑いかにも「わざと割って金継しました」という感じ

17世紀のラウンド・タワーもちょっとご紹介して↓

近くのバッフェで遅いランチをしてホテルに戻る。

***
夕方、開園百七十五周年を迎えるチボリ公園へ↓


百七十五周年記念パレード、ディズニーランドのようなのを期待してはいけませんでした(^.^)↓

この公園は小さい敷地を十二分に活用して魅力いっぱいにつくられている↓

野鳥もたくさん、遊具もいろいろ
19時半からは園内のコンサートホールにて市民楽団↓入園料+50クローネ(約千円)で自由席

今日の演目はワーグナー、プロコフィエフ、バルトーク
定期的に行われるこのコンサートはチボリの年間パスを持っていれば追加料金なし。
「いつもきている地元の」といった年齢層高めの方々がいっぱい。
市民楽団なので演奏者の知り合いも多かったようだ。
どんな高名な遊園地でも・観光地でも、地元に住む人々に愛されている場所でなければ魅力は持続しない。


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クロンボー城、グルントゥビー教会、ロスキレ大聖堂

2018-05-27 10:46:17 | デンマーク
表題の三か所を見学してコペンハーゲンへ向かう一日。大きすぎない国土のデンマークだから可能な行程

オーデンセのあるフュン島からコペンハーゲンのあるシェラン島へ渡る橋↓

クロンボー城まで二時間少しで到着

海を挟んでスウェーデンが見える位置にある。かつては海峡の向こうもデンマーク領だった↓

※クロンボー城内部を見学した時の日記はこちら

ここでガイドさんと二国のEU加盟時期の話なった。
調べてみると二国のEU加盟は二十二年も離れていた。
★二国のEU加盟時期
デンマークは1973年。スウェーデンは1995年。

それは地理的理由による。地理と歴史は表裏一体である。
九州程の国土のデンマークはドイツと陸続きで経済的結びつきが強すぎる。
スェーデンは日本の1.2倍の国土を持ちヨーロッパ屈指の鉄資源を有し、それによって第二次大戦にも中立を守り得た。
言語も似ているし政治的・経済的な政策も似ている印象の北欧の兄弟国ではあるが、EUとの向き合い方は違えざるを得なかったのだ。
通貨統合においては両国民共にユーロ導入に傾きかけていた政府を国民投票という民意で否決。自国通貨の維持を決めた。
昨今のユーロ情勢をみると、正しい道であったようにみえる。

クロンボー城は監獄になっていた。その時期の名残がある↓

トイレにあった梁の木材はそのころからのものだろう

世界遺産になってから、より人を集めようとして、旧ドックをつかって海洋博物館を建設した↓

ゆっくり見学する機会がほしいです。

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グルントゥビー教会、まずは少し離れてみた方がよい↓

※昨年訪れた時に堅信礼をやっていた時の写真はこちらから
周辺の住宅区も同時期に合わせて設計されたのでよく調和している↓

ランチに入ったカフェの内部も↓

完成したのは1940年、つまりドイツに占領された時期だったのか。

内部


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ロスキレ大聖堂はデンマーク王家の菩提寺

10世紀に木製の教会だったものから改築に増築を重ね、現在の聖堂の古い部分は十二世紀後半・日本の平安時代末期にさかのぼる。

現マルグレーテ二世女王も自身が選んだアーティストによるガラスの棺に葬られることになっている↓写真だとサイズがわかりにくいがこれは三十センチほどのミニチュアモデル↓

葬られる予定の「聖ビルギッタ礼拝堂」↓

1412年に亡くなったマルグレーテ一世女王は北欧三国をまとめたカルマル連合の要とされる。彼女は聖ビルギッタを信仰した。マルグレーテは1353年生まれ、ビルギッタは1373年に没。マルグレーテが若いころにビルギッタに会っていたかもしれない。

現女王マルグレーテ二世の夫でフランス人のプリンス・フレデリックは今年2018年の二月に没したが、女王と共にここに葬られることは拒否したのだった↓
※CNNの日本語ニュースページ

大聖堂の中心にあるのは15世紀のマルグレーテ一世女王の棺↓

この棺は1423年に製作されたものと伝わるが、18世紀に装飾を外され1862年から1912年までに修復された(大聖堂の解説書)とある。
15世紀前半の彫刻にしてはえらく現代的に感じられるのだが、どこまで「修復」されたのだろうか。

この聖堂にはまだまだ見所がたくさんある。ゆっくり読み解いていくタイミングがありますように。

****コペンハーゲンへ向かう


夕食はホテル近くのベトナム料理へ予想した何倍もの大きさのライスペーパー春巻きエビにパクチーたっぷりでした。






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オレロップ体操アカデミー訪問2018

2018-05-26 19:19:19 | デンマーク
昨年に続き、今年もデンマーク国民学校・体育をメインとするオレロップを訪問
※2017年の様子はこちらからごらんください
その前に、オレロップの教会へ↓

1920年にここを創立したニルス・ブックの墓に立ち寄る↓ピカソより一才若い1880年生まれ↓

堂内でオルガンの音が↓メンテナンスをしながら弾いておられた

↓となりにクラシックな集会場↓昨夜はここで四十年前の卒業生が前夜祭をしたそうだ↓

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オレロップ体操アカデミー到着↓

学生たちと同じランチをたのしむ↓

現校長のウッフェさんがあいさつにきてくれた↓卒業生の田中さん(左)と共に、我々をゲストとして迎えてくださった方↓

けっしてゆたかでない学校の財政だが、彼のアイデアでスポンサーがついて活動の幅がひろがっているそうだ

現役生のエキジビションがはじまった↓

今日はとても天気が良いので屋外で↓

昨年体育館でやっていた時よりものびのびして感じられる↓

実は、現在体育館が大拡張の工事をしているということで。晴れて本当によかったです。
エキジビションの最初と最後にはかならずデンマーク国旗が先導する↓

こういうタイミングでデンマーク人は自然と立ち上がって敬意をあらわす


ティーブレイクの後、エリートチームの発表がはじまる↓
こちらはより創作的な内容↓ちゃんとメッセージがある↓
今回は「BOX」↓ということで↓

オープニングに分かりやすい英語でテーマが語られた↓
「BOX、人はしらずしらずのうちに箱に入れられている。性別、人種、年齢、学校…」
「ある時にはそこに選ばれ、他者を排除し・排除され、世界を分断する」
「そこから解き放ち、人そのものを見つめる世界にしていこう」
ただの体操を教える学校ではないのだ



18:45まだまだ真昼間。プールで飛び込み大会がこの日の最後のエキジビション↓















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