旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ライデンを歩く

2017-10-11 14:37:43 | ベネルクス

画家レンブラントは1606年にこのライデンで生まれた。路地を入ると生誕地とされるところにある新しい建物にプレートがかかっていた↓

そこから見える風車は、レンブラントの両親の持っていた風車を1990年代に復元したもの↓

小さな広場には、少年のレンブラント?

イーゼルの上にある絵は自画像なのか、レンブラントの母なのか?
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[Sand stone gate)は、かつて「自警団門」とよばれていた場所↓

レンブラントの描いた自警団は、17世紀から18世紀には多くの町で組織されていた。
スペインからの独立直後には、治安を守る国家的組織が未発達で、市民が自ら武装していたのだろう。
その場にあった解説によると、「1795年に自警団はその軍隊的な性格を失った」とある。ちょうどフランス革命でナポレオンの軍隊が占領した時期にあたる。

ちかくにあるライデン大学が管理する建物は、かつて貧窮院だった

小さな橋を渡ると、フリースラントの旗を出したパン屋さんが角にあった↓

フリースラントはオランダの北部。独自の言語と習慣を今もとどめている「オランダの中の異国」だという。今日の午後はそのフリースラントの首都レーワルデンへ行くので、ちょっと気になって立ち寄った。

どれも甘いパンや焼き菓子(いくつか買って食べました)。しかし、「これがフリースラントの!」というような感じはひとつもなくすぎる(笑)

↑お店の前の運河をはさんでたつ家。よくあるのだけれど、オランダらしく、つい撮ってしまう。
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●ラッペンブルフ通りは13世紀後半に掘られた運河がある。

オランダの黄金時代17世紀には裕福な人々が屋敷をかまえた。今でもその名残は感じられる↓風景はあまりかわっていないようだ

スペインからの独立を実質的に果たし、プロテスタント国としてカトリック的な宗教観に縛られない国となったオランダでは、当時の先進的な学問の本が出版されていた。イタリアでは「地動説」で宗教裁判にかけられたガリレオの、他国なら御禁制の本も、ライデン大学は印刷した。
ガリレオの地動説に影響を受けたフランス人哲学者デカルトは、1640年にこの通りの23番地に住んでいた※現地の解説版より
人間の存在理由を、神ではなく自分自身であると規定したデカルトでも、オランダならば宗教界からの弾圧を受けずに住むことができたのである。

19世紀になって、このラッペンブルフ通りに住んだ日本ゆかりの人物がシーボルト。日本を追放された三十代はじめの彼が住んだ家が、今は記念館になっている。★シーボルトハウスには、彼が持ち帰った大量の品々の一部が今でも収蔵されている↓医師であった彼はアジアの医療である鍼灸に興味をもち、人体模型とともにその知識を持ち帰った↓

同時期に出島の商館長が作成していた辞書↓

ただの「犬の剥製」に見えるけれど、博物館の日本語解説を聴くと、シーボルトと、愛犬「さくら」の関係が見えてきた↓
※こちらに書きました


記念館ではちょうど古い地図に描かれた日本の展覧会をやっていた↓

シーボルトは日本の地図を持ち出そうとしていたことで追放になった。

****★ライデン大学の植物園と日本庭園
オランダで最初に創設された、王家の方々も通った名門。

ヨーロッパでは大学は特定のキャンパスではなく町中の様々な建物を利用している場合が多い。ライデンもその典型。市民も、我々のような旅人でも、ひろく利用することができる。植物園の一角へ↓

シーボルトが日本から持ち帰って植えた木々が、今でも枝をひろげている↓


小さな日本庭園にある記念胸像↓

なぜか菅原道真の↓


日本関係だけでなく、歴史的な植物研究についての解説がされている。16世紀にミツバチの研究をした学者の功績を再現したコーナーに、昔ながらの養蜂が再現されていた↓


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ライデンには1608年にイギリスから移住してきた清教徒の一団が住んだ。彼らは十年ほどは宗教的に自由なオランダで暮らしたけれど、外国人の移民たちには厳しい環境だったのだろう。1920年にはいったん自国に戻り、プリマスから新天地アメリカを目指したのだった。その記念プレートが置かれている↓

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この13世紀からの四角い塔(左の六角形の部分は15世紀)のあるたてものでは裁判が行われ、前庭では窓から判事の見守る中、公開処刑が行われていた↓

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レンブラントが十歳から十四歳まで通ったラテン学校があった建物↓

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市庁舎↓

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運河の上にかかる橋↓

その屋根裏には小麦が貯蔵されていた↓

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●要塞
スペインからの独立戦争中の1574年、半年にわたって包囲されたライデンの住民がたてこもったという円形の要塞が丘の上にある↓


内部には深い井戸が掘られていて籠城を可能にした↓


ついに堤防を決壊させて、包囲していたスペイン軍を追い払うという市民にも打撃をあたえないでは済まない方法をとった。
オランダ総督となる沈黙候ウィレムは、その行為をたたえて褒美を与えることにした。
ライデン市民は、オランダで最初の大学の設立を要請し、ここからライデンの発展がはじまったのだった。

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ブルージュでおいしく

2014-05-07 05:18:21 | ベネルクス
アントワープを出発し、朝10時半にはブルージュ旧市街のホテルへ到着。徒歩観光スタートベギン修道士会の庭
マルクト広場

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夕食は自由だったので、紹介してもらったレストランを試してみることにする。ご希望の方と共に、しっかりいただきましょう。まずはこの時期の定番白アスパラ
前菜に
●エビのトマトソースコリアンダー風味コリアンダーが苦手な人でも無理なく食べられる。絶品のトマト味、ばかにできません。
●エスカルゴとアスパラを入れたグリーンソースこのソースも、いわゆるエスカルゴでよくある味とは違う。パンにつけてぜんぶいただきました。
●ベジタリアン・ディッシュは、アスパラとアーティチョークと半熟卵のソース。あっさりして日本人好み。
●ラム肉二人からしか注文出来ない。それだけがっつり量がある。羊臭さがおいしいと感じさせる。
●タラとアスパラのリゾット米好きですから外せません。

満足いたしました(^^)
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クレラー・ミュラーからアントワープへ

2014-05-06 04:32:40 | ベネルクス
アムステルダムからクレラー・ミュラー美術館への道。アメルスフォールトという街は日本のソーラーパネル会社も協力して、全市で屋根にパネルを取り付けてソーラー実験をした街なのだそうだオランダ人でも知らないような話。今はどうなっているのだろう、一度見てみたい。

クレラー・ミュラー入口個人ではなかなか訪れるのが難しい美術館。ゴッホの「夜のカフェ」はここにあります。ゴッホ作品の入手年表が新しく壁に展示されていた
でも、作品というよりも、この環境こそがクレラー・ミュラーの価値

昼食も公園内のこんな建物にて

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午後三時にはベルギーのアントワープへ到着。ステーン城と、伝説の悪い大男の図 これは肉屋のギルド会館現在楽器博物館だそうな。一度見てみたい。

マルクとから見る大聖堂の鐘楼

逆には市庁舎。その前にある、大男の手を切り取って投げるローマ兵士ブラボーの図

大聖堂の前には「ネロとパトラッシュ」へのこんな言葉を刻んだベンチが…トヨタ自動車の協力により設置されている 大聖堂内部はルーベンスの作品が四つある。いつも見ているものだが、やはり「十字架降下」の抑えた表現が好ましい
ルーベンスはイタリアへ二度行っているが、ローマで見た先人の影響をいろいなところにちりばめているように見えるのは、気のせいだろうか?たとえば、この絵で「汚れた足の裏」を画いているのは、カラヴァッジォの「ロレートの聖母」に描かれた農夫の足の裏に似ていないか?

自由時間にスーパーを見学していると、目に入ったのは白アスパラ

明日、ブルージュの自由夕食で巡り合えると良いのですが。


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オランダ、ベルギー チューリップは終わっても

2014-05-05 03:36:15 | ベネルクス
2014年のチューリップ畑は、5月のはじめにはもう刈り取られてしまっていた。昨年は開花が遅くて困っていたのに、季節というのはわからない。

しかし、キューケンホフ公園はいついってもすばらい花園を演出してくれている


園の外の道だって、花はなくても訪れる価値がある

晴れた日の運河クルーズ水の上の街・アムステルダムは美しいおや?香港にあるような中華レストランが出現していた
そのままダイヤモンド工場へ。近年インド勢力の台頭が目立つそうだが、ユダヤ資本の伝統も健在

***
国立美術館の見学は、この時期どうしても混雑する。大部屋の突き当りにはレンブラントの「夜警」そこへ入るすぐ右横に、はじめてみるこんな作品が飾られていたストックホルムから出張してきていたこの作品について、こちらに書きました。

同じ大部屋の一角に、フェルメールがこんな風に展示されているこれはあまり上手な展示ではない。同行したガイドさんたちも同じように感じていた。
グループが集中するのが分かっているのだから、四点を並べて一つの壁にかけるのでは混雑しすぎる。
さらに、小松としてはこのサイズの絵はもう少し小さな部屋にかけてある方が良いと思う。以前、美術館が修復中だった時代の方が、フェルメールの展示は良かったと思えるのだが・・・。
★花の時期をはずしたオランダの美術館を楽しめる《手造の旅》を企画してみたいです

ゴッホの絵も三点展示してあった。その中のパリ時代の一点お金を払って注文してもらったにもかかわらず、結局は無料で差し上げてしまった一品。兄のこのやり方を、弟のテオが手紙で母親に愚痴っていたそうな。

ゴッホが影響を受けていたジャポニズム展示がすぐちかくにある日本にあってもおもしろすぎるデザインです。

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アムステルダムに二泊した後、5月6日にアントワープへ移動

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ブリュッセルの夜景

2011-12-16 14:17:20 | ベネルクス
ブリュッセル連泊の中日。午前中はブルージュへ。雨は一時小降りになっていたが、お昼ごろには「きょうは本気で降ります」という雰囲気になってきた。

午後三時過ぎにブリュッセルに戻り、グランプラスで解散。以前はここにクリスマス市の出店がならんでいたのだが、今年はサンタ・カタリナ広場に移動して大規模に開催されていた。
巨大な怪獣が口をあけて横たわり、近づくと「がぉ~ぐぉ~」と声までする。中にはいるのはやめておきました。
食べ物屋から各種お土産まで各種あるが、特に小松の目に留まったのがこの指人形。
※この指人形屋さんとのやりとりは、べつの「こま通信」日記に書きます。

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グラン・プラスへもどり、かんたんに夕食。旧知のガイドさんのお勧めにて生のラメーをいただきます。
定番だがムール貝の白ワイン蒸も、ちゃんと大粒でおいしかった。レンズが曇ってしまった

***
世界遺産の広場グラン・プラスのクリスマスのライトアップは、小松の知るかぎり他のどこの町よりもスペクタクル
全体で15分はあるだろうか、ただ光りを当てたのではなく、古今の名曲が大音響でスピーカーから流れ、それにあわせて各種映像が周辺360度に投影されていく。歴史的なギルドハウス群があるからこそ出来る趣向で、まさにグラン・プラスならでわ。
12月16日は16:30から22:00までずっとノンストップ。夕食を終えて20:00に出てきた頃に、雨は雪に変わっていた。雪片がライトに美しく照らされて落ちてくる。雪の夜空高くサーチライトが照らし上げられていく。

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