朝六時二十五分羽田発で鹿児島に到着。
昨年《手造の旅》屋久島で二度乗った便だ。鹿児島空港からは離島へ飛ぶ小さな飛行機がたくさんある。
車で桜島を目指す。
目に留まってかっちった↓
皮がとても厚いけれど、なんともフレッシュな味わい(^.^)
↓これですね。関東ではあまり出回らない「ワサーポメロ」の旬はちょうど今頃だったのか、こういうのも出会い。
この先「サワーポメロ」という言葉に出会うたびに、今日の桜島を思い出すにちがいない。
通り過ぎてしまえば出会えなかった。ちょっと止まることのできるゆったりした日程は大事なのです。
今回、歴史になどたいした興味のない二人娘をつれてきた。コースもそれなりに工夫しなくちゃ。博物館や美術館や神社仏閣めぐりをしても「なんかどこもいっしょ」とか言われてしまう。
↓桜島のど迫力はきっと印象に残るだろう。
大正時代の噴火で陸続きになった東側から島に入る。周辺の土地がいかにも溶岩道路になってきた。
前を走っていた観光バスが入った「有村溶岩展望所」に止まってみたが、今日は山頂が雲の中。
さらに近いという「湯平展望台」は山頂まで3㎞の近さ。写真に撮れなくてもかなり迫力が感じられる↓やっぱり身体で感じるものは大きい↓
さらに身体で感じられる「桜島溶岩なぎさ公園&足湯」へ行く↓
→※こんな風に見えてほしかったけれど、与えられた状況を楽しむのが旅です(^.^)
ビジターセンターで売っていた巨大な桜島大根の漬物↓
世界一の大きさにになる、そしておいしい桜島大根は、やはり火山の恵み
おいしかった(^.^)
桜島がどのような火山なのか、わかりやすく解説してくれている↓
↓そうかぁ、噴火しているのがあたりまえ、なんですね↓
●足湯を自分で掘ることもできる↓この島はどこでも掘ったら温泉が出るのでしょうか↓
**
お昼ごはんも桜島にて↓こういう手書きの宣伝に弱いのが観光客(笑)↓
や~っぱり、あたりでした(^.^)↓
***
桜島フェリーは実質二十分もないのだけれど、船内においしいものがいろいろあるのだと、ネットの評判を読む。
うどんを食べる時間はなかったけれど、甘い匂いにさそわれて・・・ここで売っていた「紅はるか」
安くはなかったけれど、食べてみると・・・おおお、大感激↓
「大きい方かってくればよかった」(笑)
以前、高知の方にいただいた干しイモと同じぐらい甘い。干さなくてもこんなに甘いとは。
※「紅はるか」また食べたい(^.^)
****
鹿児島市側に渡って、薩摩藩が江戸時代のうちに建設した「尚古集成館」へ向かう。ここは当時日本最先端の工場群だったと言ってよい↓
↑この建物は今は展示室になっているが、もともと工場のひとつだったのだ。
↓こちらは工業群の要である製鉄反射炉↓巨大な煙突がこの上にたちあがっていたわけだ↓
↓上から見たところ↓
これが工場群のなかで遺されている最大のものだから、往時を知るためには想像力が欠かせない・
・・・三十年前に国内添乗ではじめてやってきた小松は、ちゃんと理解しておりませんでした。
この工場群をつくらせた島津斉彬は神様になった↓鹿児島市内にある「照国神社」がそれ↓
ここには斉彬公の巨大銅像があった↓作者は朝倉文夫、日暮里にある旧アトリエの美術館に行ったことがあった。早稲田の大隈重信像の作者だと言えばぴんっとくるかもしれない。
功績を記念した展示館↓
現在の「日の丸」はもともと薩摩藩のもので、「これを全日本の船舶の印にしてはどうだろう」と提案したもの。
同時期に幕府が写真下のような「中黒」↓を提案していたことをはじめて知った↓※写真の中、右側です
水戸斉昭などによって幕府案は却下され、黒船来航の翌年から「日の丸」が日本の国章となった。
「日の丸」でよかった。あぶないところだった。
*****
西郷さん最期の地、城山までのぼったが、桜島はこんなかんじだった↓
鹿児島駅前で車を返してホテルのシャトルバスで少し離れた全室から桜島が見えるというホテルへ到着。
桜島はやっぱり隠れておられる↓
このホテルのバッフェ夕食は、かなり気に入った↓
明日は晴れますかしらん
昨年《手造の旅》屋久島で二度乗った便だ。鹿児島空港からは離島へ飛ぶ小さな飛行機がたくさんある。
車で桜島を目指す。
目に留まってかっちった↓
皮がとても厚いけれど、なんともフレッシュな味わい(^.^)
↓これですね。関東ではあまり出回らない「ワサーポメロ」の旬はちょうど今頃だったのか、こういうのも出会い。
この先「サワーポメロ」という言葉に出会うたびに、今日の桜島を思い出すにちがいない。
通り過ぎてしまえば出会えなかった。ちょっと止まることのできるゆったりした日程は大事なのです。
今回、歴史になどたいした興味のない二人娘をつれてきた。コースもそれなりに工夫しなくちゃ。博物館や美術館や神社仏閣めぐりをしても「なんかどこもいっしょ」とか言われてしまう。
↓桜島のど迫力はきっと印象に残るだろう。
大正時代の噴火で陸続きになった東側から島に入る。周辺の土地がいかにも溶岩道路になってきた。
前を走っていた観光バスが入った「有村溶岩展望所」に止まってみたが、今日は山頂が雲の中。
さらに近いという「湯平展望台」は山頂まで3㎞の近さ。写真に撮れなくてもかなり迫力が感じられる↓やっぱり身体で感じるものは大きい↓
さらに身体で感じられる「桜島溶岩なぎさ公園&足湯」へ行く↓
→※こんな風に見えてほしかったけれど、与えられた状況を楽しむのが旅です(^.^)
ビジターセンターで売っていた巨大な桜島大根の漬物↓
世界一の大きさにになる、そしておいしい桜島大根は、やはり火山の恵み
おいしかった(^.^)
桜島がどのような火山なのか、わかりやすく解説してくれている↓
↓そうかぁ、噴火しているのがあたりまえ、なんですね↓
●足湯を自分で掘ることもできる↓この島はどこでも掘ったら温泉が出るのでしょうか↓
**
お昼ごはんも桜島にて↓こういう手書きの宣伝に弱いのが観光客(笑)↓
や~っぱり、あたりでした(^.^)↓
***
桜島フェリーは実質二十分もないのだけれど、船内においしいものがいろいろあるのだと、ネットの評判を読む。
うどんを食べる時間はなかったけれど、甘い匂いにさそわれて・・・ここで売っていた「紅はるか」
安くはなかったけれど、食べてみると・・・おおお、大感激↓
「大きい方かってくればよかった」(笑)
以前、高知の方にいただいた干しイモと同じぐらい甘い。干さなくてもこんなに甘いとは。
※「紅はるか」また食べたい(^.^)
****
鹿児島市側に渡って、薩摩藩が江戸時代のうちに建設した「尚古集成館」へ向かう。ここは当時日本最先端の工場群だったと言ってよい↓
↑この建物は今は展示室になっているが、もともと工場のひとつだったのだ。
↓こちらは工業群の要である製鉄反射炉↓巨大な煙突がこの上にたちあがっていたわけだ↓
↓上から見たところ↓
これが工場群のなかで遺されている最大のものだから、往時を知るためには想像力が欠かせない・
・・・三十年前に国内添乗ではじめてやってきた小松は、ちゃんと理解しておりませんでした。
この工場群をつくらせた島津斉彬は神様になった↓鹿児島市内にある「照国神社」がそれ↓
ここには斉彬公の巨大銅像があった↓作者は朝倉文夫、日暮里にある旧アトリエの美術館に行ったことがあった。早稲田の大隈重信像の作者だと言えばぴんっとくるかもしれない。
功績を記念した展示館↓
現在の「日の丸」はもともと薩摩藩のもので、「これを全日本の船舶の印にしてはどうだろう」と提案したもの。
同時期に幕府が写真下のような「中黒」↓を提案していたことをはじめて知った↓※写真の中、右側です
水戸斉昭などによって幕府案は却下され、黒船来航の翌年から「日の丸」が日本の国章となった。
「日の丸」でよかった。あぶないところだった。
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西郷さん最期の地、城山までのぼったが、桜島はこんなかんじだった↓
鹿児島駅前で車を返してホテルのシャトルバスで少し離れた全室から桜島が見えるというホテルへ到着。
桜島はやっぱり隠れておられる↓
このホテルのバッフェ夕食は、かなり気に入った↓
明日は晴れますかしらん