《手造の旅》バルト三国、第六日目。タリン滞在の日。
秋ですねぇ。
*
今年一月の砕氷船企画で来た時と比べると、観光客が多くてびっくり。でも、夏場はこんなもんじゃないそうだから、シーズンを少しはずした10月に訪れてほんとによかった。
秋の高い空に、のっぽのヘルマンの塔
13世紀のデンマーク支配以来、この塔にその旗を立てた者がタリンの支配者であることを示す。
今日のガイドさんは、学生時代の1991年の独立以前、ここにソ連の旗が掲揚されていたを覚えていると話した。上の城塞トームペアを囲む城壁。
下の街へと下る
秋ですねぇ
ニコライ教会の塔
★「聖カタリナのギルド」とは
現代の、手に技術を持つ女性たちのための場所である
自分の技術によって自立している魅力的な女性たちの堂々としたポートレートがずらりと並んでいる。
今日は日曜日なので、入口の帽子屋さんだけが営業していた↑
タリンの城壁には「セーターの壁」と呼ばれる一角がある↑
自分で編んだニット類をにこにこ顏で売っている彼女たちも、自立したギルドの職人のようではないか。
***
お昼ご飯、小松が突然決めてこの店に
エストニア料理というよりもエストニアの食材を上手に使った店。
●エストニアの山羊チーズと野菜をつかったサラダ
●羊のロースト
野菜と共に上品な味わいで
●サーレマー島の白身魚
最高!
こちらにもう少し解説しました。
●こちらも白身魚、リバー・トラウトをバターでフライしてある
****
★★マジパン作り実習
午後から、エストニアの老舗チョコレート屋さんKalev(カレフ)の二階にてマジパン作り
場所は城壁のすぐ外、かつて工場があったと思われる一角の新しい開発地区だった
材料は粉砂糖とアーモンドの粉。ほぼ等量を混ぜ合わせてごく少量の水でこねる。それを手でおだんごのように形成してゆく。色は専用の食紅が用意されている。黒と白の色はない。どちらかというと鮮やかな色は出にくいので、そこを工夫してどう仕上げるか。また、水が多すぎるとやわらかくなりすぎて形が崩れてゆく、崩れても成り立つようにつくるというのも方法かもしれない。ガイドさん作の「とぐろをまくへび」はだいじょうぶですね。
小松の作品とそのモデルをここに載せました(笑)
出来上がったら乾くまでしばらくコーヒータイム、チョコレートはもちろん食べ放題中にマジパンの入ったもの、けっこうおいしかったです。
★ちょっと歴史★
マジパンはこちらで「マーチーパーン」と発音する。17世紀に薬としてドイツから入ってきて、伝統的に市庁舎の薬局で売られていた。金持ちのための品だったのである。
伝説によると、マルトという市議会議員のために今の様に甘くしてつくられたのでこの名前になったのだという。
KALEVの元になっている会社は、1921年にKarlとKollaのWELLNER兄弟が創立したKAWE。彼らはエストニアのお菓子産業の75%を傘下にするほど繁栄した。しかしソ連時代1948年にいくつかの店と統合して(させられて?)、「人名はいけない」という政府からの命令によって現在の名前の国営企業となった。
1991年の再独立後、ふたたびエストニアを代表する優良企業となり、原料のミルクやそれを産する不動産にまで拡大。2003年にタリンにあった工場は郊外に移転しているが、エストニアを代表する企業のひとつである。
※WiKiによると、2010年、資本はノルウェーの食品グループNordic Abbaに売られたとあった
*****
さて、夕食。タリンで食べてみたいとおもっていた「にんにく」の専門店があったのだが、ようやく皆さんが「行ってもいいよ」と言ってくださったのに、席がとれず断念…。かわりに見つけて入った「MAGUNUNA」という名前のアラブ料理のお店。ここで食べたラム肉をまいたタンブーラという料理がいたくおいしかった。
調べてみると、タブーラとは粗挽き小麦を用いて作るこういうラップ料理の事のようです。エストニアでこんな料理に巡り合えるとはおもわなかった。こういう食事に巡り合えるのも《手造》の成果でしょうか。旅はなんでもめぐり合わせです。
秋ですねぇ。
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今年一月の砕氷船企画で来た時と比べると、観光客が多くてびっくり。でも、夏場はこんなもんじゃないそうだから、シーズンを少しはずした10月に訪れてほんとによかった。
秋の高い空に、のっぽのヘルマンの塔
13世紀のデンマーク支配以来、この塔にその旗を立てた者がタリンの支配者であることを示す。
今日のガイドさんは、学生時代の1991年の独立以前、ここにソ連の旗が掲揚されていたを覚えていると話した。上の城塞トームペアを囲む城壁。
下の街へと下る
秋ですねぇ
ニコライ教会の塔
★「聖カタリナのギルド」とは
現代の、手に技術を持つ女性たちのための場所である
自分の技術によって自立している魅力的な女性たちの堂々としたポートレートがずらりと並んでいる。
今日は日曜日なので、入口の帽子屋さんだけが営業していた↑
タリンの城壁には「セーターの壁」と呼ばれる一角がある↑
自分で編んだニット類をにこにこ顏で売っている彼女たちも、自立したギルドの職人のようではないか。
***
お昼ご飯、小松が突然決めてこの店に
エストニア料理というよりもエストニアの食材を上手に使った店。
●エストニアの山羊チーズと野菜をつかったサラダ
●羊のロースト
野菜と共に上品な味わいで
●サーレマー島の白身魚
最高!
こちらにもう少し解説しました。
●こちらも白身魚、リバー・トラウトをバターでフライしてある
****
★★マジパン作り実習
午後から、エストニアの老舗チョコレート屋さんKalev(カレフ)の二階にてマジパン作り
場所は城壁のすぐ外、かつて工場があったと思われる一角の新しい開発地区だった
材料は粉砂糖とアーモンドの粉。ほぼ等量を混ぜ合わせてごく少量の水でこねる。それを手でおだんごのように形成してゆく。色は専用の食紅が用意されている。黒と白の色はない。どちらかというと鮮やかな色は出にくいので、そこを工夫してどう仕上げるか。また、水が多すぎるとやわらかくなりすぎて形が崩れてゆく、崩れても成り立つようにつくるというのも方法かもしれない。ガイドさん作の「とぐろをまくへび」はだいじょうぶですね。
小松の作品とそのモデルをここに載せました(笑)
出来上がったら乾くまでしばらくコーヒータイム、チョコレートはもちろん食べ放題中にマジパンの入ったもの、けっこうおいしかったです。
★ちょっと歴史★
マジパンはこちらで「マーチーパーン」と発音する。17世紀に薬としてドイツから入ってきて、伝統的に市庁舎の薬局で売られていた。金持ちのための品だったのである。
伝説によると、マルトという市議会議員のために今の様に甘くしてつくられたのでこの名前になったのだという。
KALEVの元になっている会社は、1921年にKarlとKollaのWELLNER兄弟が創立したKAWE。彼らはエストニアのお菓子産業の75%を傘下にするほど繁栄した。しかしソ連時代1948年にいくつかの店と統合して(させられて?)、「人名はいけない」という政府からの命令によって現在の名前の国営企業となった。
1991年の再独立後、ふたたびエストニアを代表する優良企業となり、原料のミルクやそれを産する不動産にまで拡大。2003年にタリンにあった工場は郊外に移転しているが、エストニアを代表する企業のひとつである。
※WiKiによると、2010年、資本はノルウェーの食品グループNordic Abbaに売られたとあった
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さて、夕食。タリンで食べてみたいとおもっていた「にんにく」の専門店があったのだが、ようやく皆さんが「行ってもいいよ」と言ってくださったのに、席がとれず断念…。かわりに見つけて入った「MAGUNUNA」という名前のアラブ料理のお店。ここで食べたラム肉をまいたタンブーラという料理がいたくおいしかった。
調べてみると、タブーラとは粗挽き小麦を用いて作るこういうラップ料理の事のようです。エストニアでこんな料理に巡り合えるとはおもわなかった。こういう食事に巡り合えるのも《手造》の成果でしょうか。旅はなんでもめぐり合わせです。