旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

長浜高月で「湖北の平安彫像」講座

2023-03-20 12:31:42 | 国内
午後五時、長浜城博物館前の赤い梅。

米原で新幹線から乗換え、高月駅までの北陸本線からすっかり雪がなくなった伊吹山が見えた。

高月駅から近い高月文化センター。

↑ロビーに飾られた伊吹高校書道部の作品↑迫力あります(^^)

「近江の仏像」の研究者、高梨さんの講演会。

「観音の里・歴史民俗資料館 友の会」のメンバーガイドさんが教えてくださり、参加した。
長浜に通いはじめて三年、ついに小松もメンバーになってしまいました。
講演内容はかなり専門的で、すんなり理解できないことも多かったが、長浜エリアの場所とリンクさせてのお話は、地元の方々も目からウロコ状態。

↑高月町・日吉神社(赤道寺)の千手観音像の背板に「都宇の三宅」とあって↑それは現在の「津の里(つのさと)」を指すのではないか↑

講演の後↑地元ガイドのMさんが津の里をとおってくださった↑
陸上交通より水上交通が便利だった時代、都から人や技術は湖岸にあった出先機関に集まっていたと思われる。

そういった場所は現在神社仏閣になっている場合が多い↑山本山の登り口にある神社がそれ?
発掘や研究がまだされていない場所がたくさんあるのだ。

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長浜城博物館で、「国友一貫斎展」の後期展示を観覧。
※先月来た時のブログはこちらから

ちょうど朝ドラ「舞い上がれ」で一貫斎の構想した、空を飛びたい乗り物=「阿鼻機流(あびきる)」がきのうの放送でとりあげられた。それがこの展覧会で展示されている↑

↑今日は一般展示コーナーも見学↑
450年前、秀吉によって建設された長浜(元は新浜だったが信長から一文字をもらって改名した)の復元図↑
↑長浜城はまるで水城だ↑突き出した半島だった場所にこの城が建設され、周囲に水路がめぐらされている。

↑明治になってからだが掘り出された土を盛り上げた小山が「明治山」と呼ばれていた↑

↑注意深く歩けば秀吉時代からの水路の名残は今も見ることができる。

最上階からは360度の展望↑琵琶湖の南北もはるかに見晴らすことができた↑




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山形下見~米沢と赤湯、「瀧波」も訪れる

2023-03-17 16:10:48 | 国内
「ここに泊まりたい」と思った。
「瀧波」も以前はフツーの温泉宿だったが、今では他とは一線を画す施設とサービスを提供しているときいた。予約したが、自分の目で見て納得しておきたい。米沢でガイドをおねがいしているSさんにお話したら「そこの経営者は同級生ですよ」とおっしゃる。今日の下見にも同行してくださった。

07:18に上野から「つばさ号」に乗る。

福島をすぎると雪景色になった。
Sさんが米沢駅で迎えてくださった。米沢は伊達政宗生誕の地。Sさんの家は江戸時代以前から伊達家の家臣で、今も17世紀と同じ場所にお住まいになっている。
※Sさんの家「古民家孫太郎」を訪れた2020年のブログにリンクします

まずは愛宕神社へ向かう。今日八日は偶然にも愛宕神社月一度の「神カフェ」の日なのだそうだ。

標高六百メートルほどの山の入口に位置する愛宕神社。

江戸時代、米沢藩を立て直した上杉鷹山が雨乞いをしたと伝わる山。
春は山頂までの小道が美しいそうだが、三月初めではまだ雪が多くて開いていない。
東京からきた自分は、三月はじめの山形はまだ冬なのだと来てから気付くのだった。
雪道に合わせた靴がよかったかな…。

鳥居の下にある社務所が「神社カフェ」。

Sさんが声をかけると、気さくな宮司さんが普段着で迎えてくださった。
低い天井は寒い土地ではとても有効。
江戸時代からの建物をつどつど改修してきた雰囲気が感じられる。
※米沢市のHPにリンクします
米沢藩中興の祖・上杉鷹山が雨乞いをした話、毎年8月1日に行われる火祭りの話、三十分ほどだったがこの場所の意味を理解できた。今年4月の《手造の旅》では訪れる時間はとれなさそうだが、生かせる機会はあるかもしれない。

「旧道をとおりましょう」
表通りとは雪の量がちがう。

↑リンゴ畑をくねくねぬけてゆく。

昼食に「喜右衛門」というイタリアンレストランを予約してくださっていた。
野中の一軒家のようだが、平日の今日もランチ客がどんどんやってくる。

地元の野菜がずらり↑

野菜だけでなく、庄内湾からの「がざ海老」をつかったパスタはイタリアで出しても人気がでるだろう。
Sさんと協力して「伊達政宗コース」というのも開発された。
※お店のHPにメニューがあります

↑この店は白井貴子さんとつながりがあってコンサートイベントも開催している
※お店のHPにリンクします
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赤湯温泉「瀧波」へ移動

四百年の歴史ある「藥医門」をくぐると立派な古民家があらわれた。

建物も三百五十年モノだそうだ。

広々とした玄関にヤコプセンの「スワンチェア」が並ぶ↑
こういうセンスで再構築された宿だと、一目で伝わってくる。

薪ストーブも逸品

廊下は「浮(う)づくり」と呼ばれる加工が施された杉板※HPより

靴を脱いでいるからこそ伝わってくる木目の凹凸

ダイニングは午後二時すぎでお掃除の時間

↑このカウンターは和?洋?どんな料理がだされるのか、楽しみ(^^)


↑客室の扉

広くはないがシンプルで使いやすい↑
個人的な意見だが、そこそこ年齢になったら洋室の低いベッドが使いやすい。欧米のように靴のまま部屋に入るのではなく、素足で感じる和の心地よさは残しつつ。

ブラインドを開けると各部屋に岩風呂がある↓

「良い石がでたらすぐ知らせてくれと、石屋さんに言ってあるんですよ」

ひとつひとつちがった石をくりぬいて半露天風呂にしてある。

ちいさな中庭には誰も入れないので安心してはいってください(^^)



玄関にもどってSさんの同級生、自称ワタナベケン似の方に(ほんとに似てます)お話を伺う。
大手旅行会社と提携して大型団体をどんどん受け入れるスタイルでは続けていけないと、部屋もサービスも一新して全19室の現在の「瀧波」になったのだそうだ。
※HPの「クリエーターズ」の項目をじっくり読むと伝わってきます

古い建物は一度壊したら換えがきかない。年月を生かしつつ、この場所でなければ体験できない時間・空間をつくりだすことが老舗の使命。
そして、器以上に重要なのが人。「瀧波」では翌朝午前中、その日の天候・気温に合わせた「ミステリーツアー」を催行しているのだそうな。こういう「確約はできないけれど、その日その時できるだけのおもてなしをいたします」という内容はHPや契約書面に書くことができない。書くことができないことが実はいちばんカギになるのだけれど。
どんな一夜をすごさせてくださるのか、4月楽しみに来させていただきます。

***
日帰り下見の最後に、シンガーソングファーマー須貝智郎さん宅に寄る。
※須貝さんのHPにリンクします

須貝さん夫妻に迎えていただけることが赤湯を訪れる旅を造る理由。
※2016年にはじめてミニコンサートをごいっしょした時の写真をごらんください

奥様の啓子さんは↑ちかごろこんな切り紙をつくるようになられた↑なんでも「おりてきた」のだそうな(^^)


「置賜桜回廊」と呼ばれるほど銘木の多いこのあたり。

今はまだつぼみにもなっていないけれど、
4月23-25にはどんな春を見せてくれるだろう。

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