午後五時、長浜城博物館前の赤い梅。
*
米原で新幹線から乗換え、高月駅までの北陸本線からすっかり雪がなくなった伊吹山が見えた。
高月駅から近い高月文化センター。
↑ロビーに飾られた伊吹高校書道部の作品↑迫力あります(^^)
「近江の仏像」の研究者、高梨さんの講演会。
「観音の里・歴史民俗資料館 友の会」のメンバーガイドさんが教えてくださり、参加した。
長浜に通いはじめて三年、ついに小松もメンバーになってしまいました。
講演内容はかなり専門的で、すんなり理解できないことも多かったが、長浜エリアの場所とリンクさせてのお話は、地元の方々も目からウロコ状態。
↑高月町・日吉神社(赤道寺)の千手観音像の背板に「都宇の三宅」とあって↑それは現在の「津の里(つのさと)」を指すのではないか↑
講演の後↑地元ガイドのMさんが津の里をとおってくださった↑
陸上交通より水上交通が便利だった時代、都から人や技術は湖岸にあった出先機関に集まっていたと思われる。
そういった場所は現在神社仏閣になっている場合が多い↑山本山の登り口にある神社がそれ?
発掘や研究がまだされていない場所がたくさんあるのだ。
**
長浜城博物館で、「国友一貫斎展」の後期展示を観覧。
※先月来た時のブログはこちらから
ちょうど朝ドラ「舞い上がれ」で一貫斎の構想した、空を飛びたい乗り物=「阿鼻機流(あびきる)」がきのうの放送でとりあげられた。それがこの展覧会で展示されている↑
↑今日は一般展示コーナーも見学↑
450年前、秀吉によって建設された長浜(元は新浜だったが信長から一文字をもらって改名した)の復元図↑
↑長浜城はまるで水城だ↑突き出した半島だった場所にこの城が建設され、周囲に水路がめぐらされている。
↑明治になってからだが掘り出された土を盛り上げた小山が「明治山」と呼ばれていた↑
↑注意深く歩けば秀吉時代からの水路の名残は今も見ることができる。
最上階からは360度の展望↑琵琶湖の南北もはるかに見晴らすことができた↑
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米原で新幹線から乗換え、高月駅までの北陸本線からすっかり雪がなくなった伊吹山が見えた。
高月駅から近い高月文化センター。
↑ロビーに飾られた伊吹高校書道部の作品↑迫力あります(^^)
「近江の仏像」の研究者、高梨さんの講演会。
「観音の里・歴史民俗資料館 友の会」のメンバーガイドさんが教えてくださり、参加した。
長浜に通いはじめて三年、ついに小松もメンバーになってしまいました。
講演内容はかなり専門的で、すんなり理解できないことも多かったが、長浜エリアの場所とリンクさせてのお話は、地元の方々も目からウロコ状態。
↑高月町・日吉神社(赤道寺)の千手観音像の背板に「都宇の三宅」とあって↑それは現在の「津の里(つのさと)」を指すのではないか↑
講演の後↑地元ガイドのMさんが津の里をとおってくださった↑
陸上交通より水上交通が便利だった時代、都から人や技術は湖岸にあった出先機関に集まっていたと思われる。
そういった場所は現在神社仏閣になっている場合が多い↑山本山の登り口にある神社がそれ?
発掘や研究がまだされていない場所がたくさんあるのだ。
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長浜城博物館で、「国友一貫斎展」の後期展示を観覧。
※先月来た時のブログはこちらから
ちょうど朝ドラ「舞い上がれ」で一貫斎の構想した、空を飛びたい乗り物=「阿鼻機流(あびきる)」がきのうの放送でとりあげられた。それがこの展覧会で展示されている↑
↑今日は一般展示コーナーも見学↑
450年前、秀吉によって建設された長浜(元は新浜だったが信長から一文字をもらって改名した)の復元図↑
↑長浜城はまるで水城だ↑突き出した半島だった場所にこの城が建設され、周囲に水路がめぐらされている。
↑明治になってからだが掘り出された土を盛り上げた小山が「明治山」と呼ばれていた↑
↑注意深く歩けば秀吉時代からの水路の名残は今も見ることができる。
最上階からは360度の展望↑琵琶湖の南北もはるかに見晴らすことができた↑