旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

浦和でアイリッシュ・ウィスキーを学ぶ

2019-07-29 12:41:35 | アイルランド
アイルランドを訪れる前に、どうしてもアイリッシュ・ウィスキーについての知識を「体験」しておきたかった。
ガイドブックで読むことは出来るが、読むだけではぜったい分からないことがある。

以前、浦和で連れていっていただいた“知らなければぜったい入れないような地下のバー”のマスターにまた会いたいとずっと思っていた。
二日前、その店をご紹介いただいた方から偶然に連絡をいただいて、「ぜひ連れて行ってください」とお願いした。
今日は酔っぱらう前に来ることができた(^.^)

日曜の午後六時半、開店したばかりのバーは貸切状態で、ゆっくりとお話をききながら味わう。

アイルランドで最古1608年とラベルに誇らしく書かれている★①ブッシュミルズからスタート↑

香を楽しむ段階からすでに「甘い」と感じた。
口に含んで、これまで飲んできたウィスキーのなかでももっとも飲みやすいのではないかと思った。
切れ味というよりもやわらかい味である。

「ブッシュミルズは1608年に製造許可を得たのですが、それ以前にすでにウィスキー作りをしていたといわれているのが★②キルベガンです」
上の写真でいちばん右のカネマラはキルベガンが出している四年から八年の原酒をブレンドさせたものだそうだ。
先のブッシュミルズよりもドライでスムーズ。
後味でスモーキーさを感じた。

読んでいた本の知識だが、キルベガンは「カフェ式蒸留釜」を使っていると書いてあった。
珈琲と関係あるのかしらん?と思って質問すると
「イニアス・カフェというひとが開発した蒸留器で筒みたいな形なんですよ」
とのこと。開発者の名前だったのかぁ。
マスターがニッカの工場視察で見せてもらったそのカフェ式蒸留器を、携帯で撮った写真で見てもらう…↓

え?こんなに大きな装置だったのか。
地中から全体で27メートルもあるのだそうだ。
ニッカのラベル裏にこのカフェ式蒸留器の絵を載せてあるものがあると見せてくださった↓

ここまでの話があるからこの「カフェ式」を理解できるが、ラベルを見ただけの人はこれがどんなものなのかは想像できますまい。作り手の「わかる人にはわかるよね」という気持ちが込めらた裏ラベルデザインだと思った。
そりゃあ、次は★③ニッカ・カフェ・グレーンを↓

やはり日本のものは日本人が飲みやすいように出来ているようだ。
前のアイリッシュ二つに比べると、アルコール度数の高いわりに優等生的に品が良いのではないかしらん。
※カフェ式蒸留器をニッカが導入した話はこちらのHPに逸話がありました

アイルランドのウィスキー蒸留所は20世紀の後半には廃れてしまい、全土でも五つ程度しか生き残っていなかった。
1980年代後半になってジョン・ティーリングという人物がそれを復興させ、いくつかの老舗ブランドを復興させた後に自分自身の名前「ティーリング」というラベルを2015年にダブリンで興したと、資料で読んでいた。
すると…
「これがそうですよ」と出てきたのにはびっくり↓

ラベルに印刷されている鳥は「不死鳥」だったことを、あとからネットで知った。

そうか、18世紀に実在した自分と同じ名前の作り手のものを復活させたことにもなっていたんだ
※こちらにそのお話がかかれておりました
★④ティーリングは今日飲んだなかでいちばんガツンとくる強いアルコールを感じた
引用したページで形容しているような味わいとは、小松は感じなかった。
こういう実感は大事にしたいとおもう。
読んだ知識よりも、体験した記憶をこそ、自分にとっての真実なのだ。

「シングルカスク」と表記されているのは、ひとつの樽のものだけをボトリングしているという意味。
ブレンドをしていない、ということ。
これだけ強いアルコールを感じさせるというのは加水していないカスクストレングス?
いずれにしても、蒸留の過程もさることながら、熟成でどんな樽を選ぶのか(木材の種類、シェリーの樽にするのか、ミズナラなどを使うのか、内部を焼くかどうか、樽の大小などなど)が、ウィスキー作りではもっとも重要なのだとはっきり理解できた。
また、ヴィンテージ(つくられた年)を限定しないブレンドにこそ、その会社のブレンダーの真価が発揮されているにちがいない。

さいごに、アメリカでのウィスキーを紹介していただいた↓

「ウィスキー」の表記で、末尾がKEYであるものがアイルランド系。KYならばスコットランド系。
なのだそうだ。アメリカにわたってからもその伝統は残っているそうな。

代表格として(と勝手に思い)★⑤メーカーズ・マークを↓飲んでみた


↑前にごろごろころがっているものはピート!
なんと、マスター自身が訪れた蒸留所でもらってきたのだそうだ。
↑左はアラン島、中はスコットランド本土、右は日本のもの

このピートに鼻をちかづけてみたが、煙臭さはほとんどしなかった。
「やはり火を点けないとだめですね」
と言って、実際にやきはじめたのにはびっくり。
マスターはほんとにウィスキーが好きなのだとよく理解できた。

***
物事を知ろうとする時、最初にどんな導き手を得るかは重要である。
8月16日出発《手造の旅》アイルランドがとても楽しみになりました(^.^)

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友人のピアノコンサートへ

2019-07-14 15:30:00 | 国内
2012年のイタリア旅でご一緒した方が仲間とひらいておられるピアノコンサートへ行った。
天井の高い空間にグランドピアノと花がぴったり。

これまでも、ここで選んで演奏される曲に、これまで小松が聴いてこなかったタイプの音楽をおしえてもらってきた。
アルベニスの「スペイン組曲」とか、日本の唱歌の魅力とか。

今回もラテンなピアノ曲炸裂。
●エルネスト・ナザレーの「オデオン」
「ブラジルのショパン」と言われたのがわかる気がする。
映画館のロビーで開演前に弾くのが仕事だったのに、それめあてに人が集まるようになったのだそうだ。
●マヌエル・ポンセはメキシコの人
「エストレリータ(小さな星)はギター曲できいたことがあった
●カルロス・ガルデルはアルゼンチンの俳優だったそうだ。
「想い出の届く日」
それでいて、こんな美しい曲もつくることができたのか。
メロディが気に入ってギターで弾いてみると、
この曲がギターにとても適していると感じた。
●「故郷に想う~海~」
季節を感じさせる唱歌のメドレー
「赤とんぼ」「海」「砂山」「故郷」
子供の頃に過ごした新潟を思って演奏すると、解説に書かれていた。
音楽にはそれぞれの人にそれぞれの過去を思い出させる力がある。
それを知って聴くことで、より聴き手の心に届くものになる。

このコンサート。
音大の仲間と1991年からはじめて、これで23回目になるのだそうだ。

仕事でないこと・「ぜったいやらなくても生きていけること」を長く続けていくのは楽ではない。
持続させるには強い気持ちが必要。

「こま通信」のLIVEミーティングなんかまだ四回しか実施できておりません。
見習って、続けていかなくては。

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「骨と十字架」観劇

2019-07-11 19:00:00 | 日記
人間は進化した猿なのか?

ガリレオの宗教裁判に代表されるように、科学的発見が宗教上の「真理」の矛盾を明らかにして糾弾されることは歴史上あった。
これは、北京原人の頭骨を発見した実在のイエズス会の司祭の話である。

ガリレオの生きたのは十七世紀だが、主人公ティヤール司祭が北京原人の頭骨を発見したのは1929年のこと。
この主題がいつの時代でも古くはならないことを示している。

優秀なイエズス会士であり考古人類学者でもあるティヤールの中で、科学と宗教は矛盾した事ではなかった。
しかし、北京原人の頭骨を発見し、現代の人間が猿から進化してきたいちばん先端にすぎないと思うに至り、悩み始める。

ジャワ原人(170万年前)⇒(北京原人70万年前)⇒ネアンデルタール人(40万年前)⇒クロマニヨン人(3万年前)
脳の容積がだんだんと大きくなり思考を深めるようになった猿が、やがて「神」という概念をつくりだしたのではないか?

地球が宇宙の中心で星々はそのまわりを回っているという「真理」は、今では過去のものになっている。

強い信仰心をもっていたが故に、自分の発見が導いた疑念との相克に苦しんだ。
ガリレオと違って宗教裁判にかけられたりはせず一般世界はティヤールを評価したのだが、ティヤール自身は生涯悩み続けていたようである。
**
この主題を扱った今日の舞台は、華やかになどなりようがない。
男五人が激しく言葉をぶつけあう言語劇で、大衆受けはしにくいと思えた。
それでも、じゅうぶんに観客を深い思考に誘い落とす力に魅了された。

↓新国立劇場のロビーにもこんな絵が↓

***
この舞台が翻訳劇ではなく、日本人の創作だということにもおどろいた。
一般的に宗教心の薄い日本人でもこういう主題を深く書くことができるのだ。
いや、日本人だからこそ書けたのかもしれない。
逆翻訳されて欧米で上演されたりしないかしらん。


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「みすてられた島」を観劇

2019-07-06 22:51:58 | 国内
近未来の話である。
人口八千人ほどの小さな島が、敗戦後の日本領土ではないと宣言された。
本土から見捨てられて腹をくくった島民たちが、独立した国をつくろうと新しい憲法をつくろうとする。

荒唐無稽な設定に思えたが、実際第二次大戦後に「大島憲法」と呼ばれるモデルがあったことをはじめて知った。

第二次大戦に負けた五か月後の1946年1月29日、連合軍が発表した日本の領土には伊豆七島は入っていない↓
※こちらからウィキの資料がごらんいただけます

これを見た大島町の住民は「みすてられた」と感じたに違いない。
そして、知恵を出しあって「大島憲法」と呼ばれるようになる草案をつくった。
実際に起きたこの事を、近未来に擬して2014年に書かれた劇の再演だった。

・人口一万人にも満たない島が独立してやっていけるのか?
・島の防衛はどうするのか?
 ※劇中の会話から想定するに、今の日本が「仮想敵国」とする国からの侵略があるかもと怖れている。
・島の人々が独立前に本土へ移住するのを止められるのか

こういった抽象的に見える事象が、劇中の島民を具体的に悩ませる。
・子供を本土の大学に進学させるためには島を出ていくべきではないか。
・就職で「外国人」として差別されないためには本土に行くべきではないか
・独立後の島の経済の為には汚れ物でも工場を誘致するべきではないか

1946年の伊豆七島=大島町の住民はきっと悩んだことだろう。

いや、実はこれらは
日本人全体が考えるべき事なのだ。
観ている我々はだんだんと気付かされてゆく。

いまこそ、多くの日本人に観てほしい劇なのである。
***
★ネタバレになるかもしれない「みすてられる事情」
未来の「敗戦後日本」にも、守ってくれる外国の兵力を置くための場所はどうしても必要である。
日本政府は一度独立させた島々がきっとやっていけなくて「本土復帰」を求めるだろうと予想している。
そうなった時に島の「本土復帰」を承認する条件として、
外国の軍隊の基地をうけいれさせるハラだったのである。

現在、
日本を守る外国の軍隊は一部の県に集中していて、
他地域へ移転させるのは簡単ではない。

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長野ほぼ日帰りでコンサートへ

2019-07-04 10:04:41 | 国内
山形の旅倶楽部メンバーが「6/19長野の小田さんコンサートのチケットがありますよ」と声をかけてくださった。

2009年にフランスの旅でご一緒してから旅でご一緒する機会はないのだが、忘れられないことがある。
2016年に《手造の旅》山形を催行した時、時間がない中朝食にかけつけて、さらに全員に生どらやきをさし入れてくださったのだ。
※その時のブログ日記で、どら焼きと早朝のすばらしいサクランボ摘みのようすをごらんいただけます
**
6/19、長野まで大阪時代の同級生が車を出してくれることになり、午前十一時に東京を出発した。
「ここは釜飯が有名やねん」
食に詳しい彼がおしえてくれた「峠の釜飯」

あ、なかなか美味しい

四時間ほどで長野駅前に到着。駐車場に止めて駅前のお土産街を歩いてみる。

日本のお土産文化は世界一ではないかしらん。
地方色豊かなイタリアへ行っても駅にこれだけのお土産群は置かれていない。
***
駅前からコンサート会場へのシャトルバスが運行されている。
早めに会場へ向かう。

十分ほどでビッグハット前に到着。
こんな誘導板がある。

おもしろいのはステージ上のバンドの後ろに特別席が設けられていて、当日申し込むことができること。
開場の前に当選番号を見て一喜一憂するのであります。

それにしても…開場を待つ人の八割から九割は女性。
男は奥さんといっしょの人がすべて。
おっさん二人というのは我々だけでした(^_^;)

やがて、我々にチケットを融通してくださった山形からの女性グループ五人が到着。
御礼申し上げていっしょに入場。

アリーナのなかなか良い席。
「ここに小田さんが来るんですよ」と花道の途中にある丸い「でべそ」を指さす。
なるほど、会場に入ってみてその雰囲気がわかった
****

午後六時半にコンサートがはじまる。
暗くなった広い会場いっぱいに小田さんの声が響きはじめる。
今回のコンサートは「アンコール・アンコール」というタイトルで、いわばヒットパレードのようによく知られている曲が演奏された。
オフコース時代の曲からいちばん新しい四曲入りCD[この道を 会いに行く…」まで、
三十年以上違う時代の曲だとは感じられない。変わらずに貫いているものがあるからだろう。
逆に言えば、そう感じさせる選曲がなされている。

バンドメンバーで特徴的なのは四人のストリングス。
通常のバンドのようにドラムやベースも重要なビート構成の要素ではあるのだが、
サウンドで欠かせない:小田さんがこだわっている、と感じさせるのは
生のストリングスの音。
シンセサイザーで相当に似た音が簡単に出せる時代であっても、こうして生のストリングスを前面に配置している。

広い会場の花道をかけまわるが、それでも歌声はぶれない。
間近にその肉体を見て、日々ストイックに自分を鍛錬しているのだと直感した。
テレビではなく・その人に間近に出会ってこそ伝わってくるものが確実にある。

賑やかな曲もよいけれど、
自ら弾くグランドピアノとストリングス主体で演奏された曲で涙が出そうになった。
小田さんの故郷=横浜での高校時代の記憶が具体的に書かれている「My home town」
そして、いちばん新しい「この道を」
歌詞♪~「それでも、けんめいに生きてゆくと、そう決めた くりかえす迷いも争いも悲しみも、すべてを時にまかせて選んだ道をゆく…」

それなりの年月を生きてきた・自分自身も含めたここにいる一人一人。
小田さんの音楽と何十年も生きてきた聴衆にはもちろん、
皆の胸の奥に、深く響いてゆく言葉と声だった。

歌詞はシンプルで、文字で書かれてしまえば「ばかばかしい」と断じられてしまいかねないほど素直な言葉がならんでいる。
そこに確かな説得力を与えているのは小田さんの声にちがいない。
この人でなくては、これらの歌に本来の命をあたえることは出来ないのかもしれない。
今夜、この場に来られて、ほんとうによかった。

*****
三時間を超えるコンサートが終わり、時間は遅いが22時から駅近くのイタリアンに入った。
山形からのみなさんは駅前のホテルに宿泊。
我々は車で東京へ戻るので電車の時間を気にしなくてよい。

なかなか良い感じの生ハム

本格的なセレクションのチーズ皿がワインを飲み終わってから登場したのはちと残念でしたが(笑)

あ↓また山形名物をいただいてしまいました

今日はじめてお会いしたけれど、
また、きっと、きっとお会いできる時がやってきます。
そういう時をつくるようにします。

そういう場を実現することが、今の自分の役割なのだ。





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