トロッコが坑道入ると「グリュック・アウフ!」。
これはドイツ語圏鉱夫独特の挨拶(^.^)。英語で言うなら[on the good luck]幸運の上に。「安全に上に上がって来いよ」という意味。地底の労働はいつも命がけだ。
観光ツアーはかつての鉱夫と同じ服を着て、同じトロッコにまたがって坑内に入ってゆく。
*
ここはザルツブルグから南へ三十分ほどのハラインという町↓絵地図のいちばん下↓川沿いに鉱山の黄色いマークが見える↓
↑ドイツとの国境で↑後方の山々はすべてドイツ↑
15世紀半ばから20世紀までザルツブルグの経済的基盤だった塩鉱山。
だから鉱夫が実際に働いていた環境を見学できるツアーになっている。
受付を済ませると着替え
坑道入口まで降りる
かつて鉱夫が乗っていたトロッコにまたがり出発!
トロッコから降りないこと!立ち上がらないこと!
冒頭の「グリュックアウフ」看板はここで見えてくる。
400mほどで下車。ガイドさんの解説ととも歩く↓
↓塩の結晶が岩の中に筋になっている↓
塩自体ではなく岩を運び出すトロッコ
初期は岩塩をそのまま砕いて運び出していたが、現代では坑内に水を入れて溶かし、塩水にしてパイプで運び出すようになっていた。
何百年もかけて坑道は掘り進められ、ついに地下でドイツ国境を超えることになった↓それがここ↓
1829年にオーストリアとドイツ(当時はバイエルン王国)の間で「塩協定」が結ばれ、採掘権と交換で木材を提供することやドイツ側労働者の雇用がとりきめられた。この協定は1957年に更新されている。つまり、二十世紀にもまだ有効だったのである。
ツアー中いちばんの人気体験がこの滑り台↓
四十メートルもの長さがある。
いっしょになった学生たちはおおはしゃぎ↑数人いっしょの方がスピードが出ておもしろい
地底までびゅーん!
自然に止まるまで待ちましょう↑
この滑り台は遊びのためにあるわけではない。
当時、鉱夫たちの労働時間=賃金は、実際に地下で働いている時間に対して支払われていた。
何百年も掘り進むうちに坑道は何百メートルという奥になり、そこまで行くだけで相当な時間がかかってしまう。
この滑り台は少しでも労働現場へ行くのを早くするための工夫だったのだ。
現在の一時間半の観光では二カ所しか体験できないが、観光ツアーがはじまってすぐの1960年代には七本の滑り台を使って坑道4キロを歩いていたのだそうだ。※現在は1キロほど
塩鉱山の歴史を解説するコーナーが所々にある
塩水の池をボートで渡る
こんな地底から戻るにはどれだけ長い階段を登らなくてはいけないのか…という心配はご無用
↑最後はエスカレーターが設置されております(^^)
付属売店には↓
岩塩のランプや
いろいろなモノを混ぜた塩が用意されている。
ザルツブルグから行けば半日はかかるから通常の観光ではなかなか組み込まれないけれど、行けば必ず楽しめる・ザルツブルグの歴史もよく理解させてくれるツアーです。
音楽祭でゆっくり滞在するツアーが再開するようになったらまた訪れたいなぁ(^^)
これはドイツ語圏鉱夫独特の挨拶(^.^)。英語で言うなら[on the good luck]幸運の上に。「安全に上に上がって来いよ」という意味。地底の労働はいつも命がけだ。
観光ツアーはかつての鉱夫と同じ服を着て、同じトロッコにまたがって坑内に入ってゆく。
*
ここはザルツブルグから南へ三十分ほどのハラインという町↓絵地図のいちばん下↓川沿いに鉱山の黄色いマークが見える↓
↑ドイツとの国境で↑後方の山々はすべてドイツ↑
15世紀半ばから20世紀までザルツブルグの経済的基盤だった塩鉱山。
だから鉱夫が実際に働いていた環境を見学できるツアーになっている。
受付を済ませると着替え
坑道入口まで降りる
かつて鉱夫が乗っていたトロッコにまたがり出発!
トロッコから降りないこと!立ち上がらないこと!
冒頭の「グリュックアウフ」看板はここで見えてくる。
400mほどで下車。ガイドさんの解説ととも歩く↓
↓塩の結晶が岩の中に筋になっている↓
塩自体ではなく岩を運び出すトロッコ
初期は岩塩をそのまま砕いて運び出していたが、現代では坑内に水を入れて溶かし、塩水にしてパイプで運び出すようになっていた。
何百年もかけて坑道は掘り進められ、ついに地下でドイツ国境を超えることになった↓それがここ↓
1829年にオーストリアとドイツ(当時はバイエルン王国)の間で「塩協定」が結ばれ、採掘権と交換で木材を提供することやドイツ側労働者の雇用がとりきめられた。この協定は1957年に更新されている。つまり、二十世紀にもまだ有効だったのである。
ツアー中いちばんの人気体験がこの滑り台↓
四十メートルもの長さがある。
いっしょになった学生たちはおおはしゃぎ↑数人いっしょの方がスピードが出ておもしろい
地底までびゅーん!
自然に止まるまで待ちましょう↑
この滑り台は遊びのためにあるわけではない。
当時、鉱夫たちの労働時間=賃金は、実際に地下で働いている時間に対して支払われていた。
何百年も掘り進むうちに坑道は何百メートルという奥になり、そこまで行くだけで相当な時間がかかってしまう。
この滑り台は少しでも労働現場へ行くのを早くするための工夫だったのだ。
現在の一時間半の観光では二カ所しか体験できないが、観光ツアーがはじまってすぐの1960年代には七本の滑り台を使って坑道4キロを歩いていたのだそうだ。※現在は1キロほど
塩鉱山の歴史を解説するコーナーが所々にある
塩水の池をボートで渡る
こんな地底から戻るにはどれだけ長い階段を登らなくてはいけないのか…という心配はご無用
↑最後はエスカレーターが設置されております(^^)
付属売店には↓
岩塩のランプや
いろいろなモノを混ぜた塩が用意されている。
ザルツブルグから行けば半日はかかるから通常の観光ではなかなか組み込まれないけれど、行けば必ず楽しめる・ザルツブルグの歴史もよく理解させてくれるツアーです。
音楽祭でゆっくり滞在するツアーが再開するようになったらまた訪れたいなぁ(^^)