パレルモからいちじかんちょっとで古代の町セジェスタへ到着。
この神殿はゲーテが訪れた時代からすでに有名で、半分土に埋もれてはいたもののこのかたちでこの場所にたち続けてきた。
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建設された時代は、アテネのパルテノン神殿と同じころと言われている。つまり、神殿建築として完成されたプロポーションをもっているということだ。
柱はエンタシスだし、柱の間隔は角に近い方が狭くなっているということ
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ただ、ここは完成していない神殿と言われていて、柱だけで内部の構造がつくられていない(いくつかの本では神殿の内部構造の跡が発見されたと書かれてモノもあったが)。
未完成であるとはっきり思わせるのは、この台座の部分の石に釣り上げたロープをかけるための突起がのこされているところ。
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二千五百年近い年月の間にここが壊されなかったのは、未完成であったことが幸いしたと言われている。
*
セジェスタの都市遺跡は、この神殿が建っているところからはずいぶん上に位置している。現代でもバスで五分ほどのぼっていった山のうえになる。
ここにはノルマン王朝時代に城が築かれていたが、その後の時代には廃墟になっていた。しかし、そういう場所を選んで住む修道士はいたようで、この写真の小さな教会の跡は1442年の建造だと推定されている。
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古代の円柱など、さまざまな時代の遺物を再利用しているので、これが発見されたときに時代を特定するのは慎重だったということ。
現場の説明によると、ノルマン時代にバジリカ様式で三つの後陣をもつもっと大きな教会が同じ場所に存在しており、たしかにその痕跡も見ることができる。
古代の舗装された道をあるいていくと、斜面を利用したギリシャ式の劇場がひろがっている。
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今歩いてきた道もつい十年ほど前までは土に埋もれていた。劇場入り口の柱は、発掘して新しく露出した部分なので、風化していない。
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指さしている部分から下がそう。
**
今日はシチリア島の西の端に突き出したエリチェの町へ泊る。
その前にその下に位置するモツィア島を訪れる。
フェニキア号とはぴったりの名前です。
島に一軒だけある元ホイッタッカー氏の家・現財団が運営する博物館が見える。十五分ほどで島に着く。
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この島はポエニ戦争でローマに滅ぼされたカルタゴの遺構を今も感じることができる、めずらしい場所である。
。
一周歩いても一時間かからない程度ひろさ。ここは紀元前8世紀ごろから町が存在し、紀元前4世紀ごろにはカルタゴの重要な交易の町だったと思われている。
が、それは紀元前379年にシラクーサのディオニシオスによって陥落。その後も古代には栄えていたようだが、中世には放棄されている。
島全体がぐるりと城壁でかこまれていた古代の創造復元図
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北の門の上には獅子が二頭向い合せで建てられていたのではないかと、発見された遺物から推察されている。
その「二頭の獅子」と思われている石がこれ↓
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この島を所有し、住んだ、イギリス人ホイタッカー氏のコレクションの中にある。
ここで最も重要な美術作品は「モツィアの青年像」と呼ばれる大理石の等身大より少し大きめのもの。
2011年にはじめて訪れた時とちがって、濃紺の背景に上手にライトアップがなされる展示に変わっていた。
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※2011年の時の展示はこちらに載せています、ほかの展示物についてもお読みいただけます。
今回のガイドさんの説明によると、この作品の顔の部分だけはこの島で彫られたものではないかという。身体の部分と様式が異なっているというだ。ううん、たしかにそういわれてみれば…。シチリア島内の都市国家戦争での勝者を刻んだという説もある。
浅い海に囲まれたこの島で、真水が湧きだしていた場所が神聖所とされてそのプールがつくらていたと推察される。これがその場所を復元したもの
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発掘した時には、ただ港と思われていたのだが、近年溜まっていた海水をくみ出して研究したところ、たしかに水が湧きだしている事が確認された。
ここを海とつなげて港にしたのは、後からのの改変だったというわけだ。
★島を一周するボートツアーに乗った。
海側から見たその「港」がこれ↓
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↑確かにそれらしくみえる。
ぐるりと囲んでいた城壁も掘り出されて復元されている
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この島一周の船からでなくてはわからないのが、島の北部とシチリア島本土を結んでいた海の中の馬車道。現代でもこんなふうに使われていた時代があった↓
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島の周辺は干潟になっていて、干潮時には干潟を囲っている島までも歩くことができるほど。
そこに舗装道路をひいて、馬車で物資を輸送したのだそうだ。
あ、このあたりその雰囲気がわかりますでしょうか↓
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写真ではちょっとむずかしいが、肉眼だとはっきりと海の中に沈んだ道がわかる。
船を操縦するおやじさんが、ホイタッカーのラベルがついたマルサラ酒をふるまってくれた
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この神殿はゲーテが訪れた時代からすでに有名で、半分土に埋もれてはいたもののこのかたちでこの場所にたち続けてきた。
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建設された時代は、アテネのパルテノン神殿と同じころと言われている。つまり、神殿建築として完成されたプロポーションをもっているということだ。
柱はエンタシスだし、柱の間隔は角に近い方が狭くなっているということ
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ただ、ここは完成していない神殿と言われていて、柱だけで内部の構造がつくられていない(いくつかの本では神殿の内部構造の跡が発見されたと書かれてモノもあったが)。
未完成であるとはっきり思わせるのは、この台座の部分の石に釣り上げたロープをかけるための突起がのこされているところ。
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二千五百年近い年月の間にここが壊されなかったのは、未完成であったことが幸いしたと言われている。
*
セジェスタの都市遺跡は、この神殿が建っているところからはずいぶん上に位置している。現代でもバスで五分ほどのぼっていった山のうえになる。
ここにはノルマン王朝時代に城が築かれていたが、その後の時代には廃墟になっていた。しかし、そういう場所を選んで住む修道士はいたようで、この写真の小さな教会の跡は1442年の建造だと推定されている。
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古代の円柱など、さまざまな時代の遺物を再利用しているので、これが発見されたときに時代を特定するのは慎重だったということ。
現場の説明によると、ノルマン時代にバジリカ様式で三つの後陣をもつもっと大きな教会が同じ場所に存在しており、たしかにその痕跡も見ることができる。
古代の舗装された道をあるいていくと、斜面を利用したギリシャ式の劇場がひろがっている。
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今歩いてきた道もつい十年ほど前までは土に埋もれていた。劇場入り口の柱は、発掘して新しく露出した部分なので、風化していない。
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指さしている部分から下がそう。
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今日はシチリア島の西の端に突き出したエリチェの町へ泊る。
その前にその下に位置するモツィア島を訪れる。
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この島はポエニ戦争でローマに滅ぼされたカルタゴの遺構を今も感じることができる、めずらしい場所である。
。
一周歩いても一時間かからない程度ひろさ。ここは紀元前8世紀ごろから町が存在し、紀元前4世紀ごろにはカルタゴの重要な交易の町だったと思われている。
が、それは紀元前379年にシラクーサのディオニシオスによって陥落。その後も古代には栄えていたようだが、中世には放棄されている。
島全体がぐるりと城壁でかこまれていた古代の創造復元図
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北の門の上には獅子が二頭向い合せで建てられていたのではないかと、発見された遺物から推察されている。
その「二頭の獅子」と思われている石がこれ↓
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この島を所有し、住んだ、イギリス人ホイタッカー氏のコレクションの中にある。
ここで最も重要な美術作品は「モツィアの青年像」と呼ばれる大理石の等身大より少し大きめのもの。
2011年にはじめて訪れた時とちがって、濃紺の背景に上手にライトアップがなされる展示に変わっていた。
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※2011年の時の展示はこちらに載せています、ほかの展示物についてもお読みいただけます。
今回のガイドさんの説明によると、この作品の顔の部分だけはこの島で彫られたものではないかという。身体の部分と様式が異なっているというだ。ううん、たしかにそういわれてみれば…。シチリア島内の都市国家戦争での勝者を刻んだという説もある。
浅い海に囲まれたこの島で、真水が湧きだしていた場所が神聖所とされてそのプールがつくらていたと推察される。これがその場所を復元したもの
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発掘した時には、ただ港と思われていたのだが、近年溜まっていた海水をくみ出して研究したところ、たしかに水が湧きだしている事が確認された。
ここを海とつなげて港にしたのは、後からのの改変だったというわけだ。
★島を一周するボートツアーに乗った。
海側から見たその「港」がこれ↓
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↑確かにそれらしくみえる。
ぐるりと囲んでいた城壁も掘り出されて復元されている
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この島一周の船からでなくてはわからないのが、島の北部とシチリア島本土を結んでいた海の中の馬車道。現代でもこんなふうに使われていた時代があった↓
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島の周辺は干潟になっていて、干潮時には干潟を囲っている島までも歩くことができるほど。
そこに舗装道路をひいて、馬車で物資を輸送したのだそうだ。
あ、このあたりその雰囲気がわかりますでしょうか↓
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写真ではちょっとむずかしいが、肉眼だとはっきりと海の中に沈んだ道がわかる。
船を操縦するおやじさんが、ホイタッカーのラベルがついたマルサラ酒をふるまってくれた
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