ゴール旧市街、もともとオランダ東インド会社の倉庫だった建物が博物館になっている。昨年その存在を知って、今年ようやく訪れることができた。
ベテランのガイドさんも入ったことがないという。日本人のグループツアーでここを入れているものは、見たことがない。個人客のブログでもこれについてちゃんと書いているものはなかった。 あまり人気はないのか・・・でも、博物館・美術館というのは、他人の評価はあてにならない。
これまでも自分自身で見て、価値がある訪問だったと思えた場所は多かった。今回は是非、脳みそフル回転させてその魅力を見つけよう。
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建物は17世紀のオランダ東インド会社時代の倉庫⇒ ミュージアムの看板もある⇒ 2004年のインド洋大津波の際、ここは2メートルの高さまで水没し、2009年にやっと再オープン。しかし、入口がどこなのかはっきりしない。
この、オランダ時代からのゲートの内側にあった入口から入ると・・・確かにオランダ東インド会社の船模型とかあるけれど⇒ 巨大なクジラの骨⇒ 2004年インド洋大津波の説明⇒ といった感じで、どうも思ったものと展示がちがう。※こちら入場料300ルピー
「こんな程度?」と思いながら退出して歩き出したが・・・あれ?巨大なイカリが展示してある。もっと大きな入口があるようだ↴
入ってすぐに理解した。ここが、海洋考古博物館の本丸だった。※先ほどとは別の入場料で US$5 または700ルピー この二つののミュージアムは統合すべきです
入場して最初の部屋に、先日訪れたダンブッラ石窟寺院からもってこられた、18世紀のフレスコ画が飾られていた。※ダンブッラ石窟寺院については写真日記をご覧ください
そうか、こんなフレスコ画が、やっぱりあったのか。 主題は、アショカ王の娘サンガミッター尼が、釈迦が悟りをひらいた菩提樹の木の分木をスリランカにもたらしたシーン↴
そうそう、ダンブッラの石窟寺院前に大きな菩提樹が植えられていた。ブッダガヤから持ってこられたあと何代目かにはなるそうだが。
小松が最もおもしろいとおもったのが15世紀の●三つの言葉で書かれた碑文。写真下↴
右に縦書きの中国語、左上に南インドからスリランカにかけて用いられているタミル語、左下にペルシャ語をアラビア文字で、記されている。三つの言葉の境目を拡大した写真が下↴
スリランカがそれぞれの文化圏をつなぐ場所であったことがこの碑文から実感できる。
●誰によって設置された?⇒15世紀明のアドミラル(海軍提督)鄭和(zheng-He,ていわ) 明の永楽帝によって中国南方へ派遣された宦官将軍
●何が書いてある?⇒三つの民族それぞれの神への奉納をしたこと。漢字では、アダムズ・ピーク(セイロン島の山)頂上の仏教寺院へ。タミル語ではヒンズー教の神に。ペルシャ語ではイスラム教のアラーの神に。
★⇒鄭和とこの碑文について、こちらにもう少し書きました
鄭和のポートレートが大きく掲げられていた⇒中国の南アジアにおける存在感は、昨日今日にはじまったことではないと、実感。
***碑文をもうひとつ
こちらは、12世紀の海洋法、パラクラマバフ一世王の時代にスリランカ島北部のジャフナに設置されたもの。タミル語で書かれている↴
内容は、いわば「海洋法」。緊急に必要なときには港に避難し、船を修理する事を告げている。その際、積荷の半分を差し出すこと、ゾウや馬などの動物の場合には四分の一。と、書かれている。これは一見とんでもない暴利に思えるかもしれないが、不法に港に入った船は全部没収されても文句が言えない時代に、こういう「慈悲」を法にしているのである。
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ゴールの港にはたくさんの沈没船が眠っている。
その場所を確定した地図がこれ⇒ 場所はわかっていても、すぐに引き上げられるものではない。
●1659年7月2日に難破した東インド会社の船の復元⇒引き上げられた大砲のひとつが写真の左に写っている。 海底にはこんなかたちで残っているだそうな⇒
●沈没船から引き揚げられたソーダ水のボトル↴
これはゴール湾をまもる灯台近くで発見された、19世紀半ばに沈没した船に積んであったもの。ボトルに書かれた会社名はClarke Romer & Co. Ceylon。現在の我々には想像できないが、当時は「ソーダ水」というもの自体がたいへんな価値をもって取引されていたようだ。それは気軽な飲み物というのではなく、たとえばコレラなどの病気の治癒を助けるものと位置付けられていたようである。 コロンボの博物館には同様の沈没瓶がより完全なかたちで保存されており、中身がまだ入っているものもあったそうだ。⇒こちらのページにその写真がありました。
●巨大な神像。仏とヒンズー教の両方の雰囲気を感じさせる。解説版にはBodihisattava Avalokiteshvaraと説明されていた。あえて日本的に理解しようとすれば「菩薩」「 観音」となろう↴
ゴールの海洋渡航者を守り、皮膚病に苦しむものを救うとされていたのだそうだ。
※両者の共通項は?・・・「荒れるもの」から救う、という理解をしたのだけれど。禅問答みたいですね(笑)
●2004年の津波の時にみつかっった木造⇒その形状からミャンマーで製作されたと考えられている。
●マルタバンの甕が、バラバラになっていたものを復元されていた。
もとはこんなにバラバラだったのだ⇒ 「マルタバン」とは、現在ミャンマー領の海岸の街。ここでつくられていたこのタイプのものを「マルタバン」と一般的によぶ。
これを見て、ライトハウスホテルに何気なく置かれていた甕が、ぐっと意味を持って思い出されてきた。
あぁ、バワもセイロン島の歴史を感じさせようとしていたのか