旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ポンペイとスパッカナポリ

2013-02-24 23:31:39 | イタリア
ポンペイの街からは晴れた空にヴェスビオスが美しく見えた。

夏はたくさんのグループでごったがえすこのポンペイ遺跡も、冬のこの時期はとっても空いていて快適にまわれる。この通りにこれだけ人が少ない観光写真はなかなかとれますまい(笑)
一番人気のこの場所は、夏場最盛期入場に三十分以上待つことは珍しくない何をしていた場所か?このフレスコ画があらわしていた

お風呂はローマ人に欠かせない施設。お金持ちは自分の名前を刻ませてこんな水盤を寄付していたりする今日はかつての街を出たところにある「秘儀荘」まで足をのばした。「でぃおにそすの秘儀」を行ったと解説してあるが、フレスコ画の主題がそうであるというだけで、実際にはどんな場所だったのか解明されてはいない。
ここの床式は細かく砕いた美しい石。古代の床によく見られるスタイルである。
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昼食後、ポンペイ市内へもどり、考古学博物館へここもゆっくり見ていただく行程でうれしい・・・と思ったら、おひとり「病院へ行きたい」と申告があった。なんでも昨夜の夜中にベッドから起きた際に転んで怪我をされていたらしい。午後になっても血が出ている様なので念のため・・・という事。

親切な運転手さんにつれられて行った下町の病院では、言葉は通じなくてもみぃんな親切で、すぐに診てくれたでも、診療が終わってからの手続きはイタリアらしく待たされ待たされでも、なんとか一時間ほどで終わって、スパッカナポリをあるく時間にはグループに合流できた。

ナポリ大聖堂ここはかつていくつもの教会があったのを13世紀までに統合して建設された建物この全体図をみるとそれがよくわかる。

正面祭壇の地下クリプトは礼拝堂になっていて聖ジェンナーロの遺骨が入ったテラコッタの甕が見えるように置いてあった。

小松がもっとも印象的だったのは、正面左奥に位置する4世紀に起源するといわれる旧聖堂バジリカ・ディ・サンタ・レスティトゥータの跡だ。奥の奥にある洗礼堂の建物へ入った途端、古代へスリップした雰囲気につつまれる巨大な洗礼プールはいかにも古代らしい。
そして、天井を見上げると「おお!」金色に輝く古代のモザイク群が残されている

これらは古い説によれば4世紀のコンスタンティヌス帝の時代にもあったとされる。考古学的研究によればそれはいくらなんでも古すぎ、四世紀でも末頃ではないかと推測されていた。いや、それでもラヴェンナやイスタンブールのアヤソフィやよりもずっと古いモザイクだということだ。びっくり。

バジリカの礼拝堂にあったこのモザイクは、いっきに九百年以上新しくなり14世紀頃だとされている

スパッカ・ナポリの散策で楽しいのはB級グルメ
これ、なんだとおもいます?
こちら、ごらんください。
買い食いはいくつになってもたのしい(笑)

こちらはイスラム風ババというお菓子こういう路地の奥へはいきますまい
ギリシャ時代の城壁跡

***
夕食は卵城近くの「ベリサリウス」レストランへ。地元の人々にも人気の店だが、今日はひっそりしている。我々だけでカンツォーネの歌い手さんと楽しみました
カステル・ヌォーボの夜景明日はいよいよ帰国であります。

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カプリからアマルフィへ

2013-02-22 23:55:10 | イタリア
とても晴れていたのだが、ナポリから水中翼船に乗って到着したカプリでは「今日は青の洞窟はクローズです」とのお知らせが待っていた。
それでは、アナカプリへ向かいましょ。崖を穿ってつくられた素晴らしい眺めの道。こんな道はほんの百数十年のこと。かつては「フェニキア人の階段」をえっちらおっちら登らなくて見られない眺めだった筈だアナカプリからソラーロ山へのチェアリフトもメンテナンス中。ヴィラ・サンミケーレへ行く事にする古代の遺跡から持ってこられたモザイク。「人生ははかないからしっかり飲んで食べて遊べ」という意味だと・・・こりゃ、イタリア人ガイドさんらしい解釈なのかもしれない(笑)
★サンミケーレ荘にある海を見ているスフィンクスについての話をこちらに書きました。

ようこそ私の庭へ

カプリの街へもどり、三十分だけ自由時間、そのあいだを買い物にぶらぶらしてもらうのではもったいない。足早であったがアウグストゥス公園まで皆さんをひっぱっていって、フェラリオーニ岩の景色をみていただけた

**
昼食後、フェリーでソレントへ。港から街は素通りして専用バスの待つ駐車場へ一路ポジターノの絶景展望台を目指すここで売っていたしぼったオレンジジュースがおいしかった。赤いオレンジの身と通常のオレンジをミックスしてしぼってつくっている
エメラルド洞窟の前をとおりアマルフィの街へ到着。ここも一時間だけの散策大聖堂前の広場のまわりをうろうろして終わるのはもったいないので、路地をあるいていただくべくリード
自由時間にしてからしばらく、メインストリートを爆音をひびかせながらカラフルな集団がやってきた!え?ナニモノ?どうやらこの町の学校の子供たちと保護者がカーニバルのパレードをやっているらしい。どんなにでぶでぶしていてもどうどうとタイツはいたり着ぐるみ着たりして楽しんでいる。親がこうだと子供もやりやすいんです

ナポリへの帰路はソレント半島の高い尾根を越えていく。一番上は霧と霰であったそれをぬけると晴れ夕食はナポリ市内でピッツァを一人一枚。でも、前菜に一人一皿これが出てからなんです。たべきれますかしらん?
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アルベロベッロからナポリへ

2013-02-22 22:55:18 | イタリア
昨夜からの雨はまだ残っている。寒い朝、アルベロベッロのトゥルッリは幻想的な風景を見せてくれていた。
冬の朝、たった一時間しかここアルベロベッロでの時間がない。トゥルッロの中をちょっと見せていただけるので、お店をのぞいてみるのもよいでしょう。ご主人、どうもありがとうございました(^^)

マテラまでは一時間強の走行時間で到着。ガイドさんと共にサッシ地区をみおろす場所へくると。巨大な「黒い涙」のオブジェが・・・これは日本人作家の作品だそうだ。この地区をゴルゴダの丘として「パッション」というキリスト受難記の映画が撮影されているのが理由かしらん。

世界遺産にもなっているサッシの風景は確かに迫力がある
見学に入る前にトイレを借りてカフェで休憩。少人数の旅だからこそのこういう時間であります
壮観!

この地区からは1950年代に一万五千人が移住させられ、一時は廃墟となっていた家畜と人が同じ穴倉住居に暮らす、上下水道も不完全な「イタリアで最も貧しい場所」とさえ言われていたのだとか
しかし、現在はインフラ整備もされて、三千人が戻ってきている。家賃は決して安くない、人気の物件なのだそうだ。

バロックのプルガトリオ教会
昼食はオレッキエッティの蕪ソース。定番の味付ながらおいしい
メインにスカモルツァ(燻製チーズ)を


さて、ナポリを目指して走っていくには千メートル級の峠をこえていく。雪も積もっております。南イタリアといえども冬は寒いのです。サービスエリアにあったこれは・・・いわば禁煙パイポですか?

車窓から見えたこの町はヴェノーザに違いない!
別HPの「こま通信」日記にも書きました。


カンパーニャに向けて標高がさがってゆくと夕方の晴れた青空になったこの城壁と廃墟は、なんという街だろう?

ちょうど日が暮れるころ、ナポリ旧市街にも近いホテルへ到着

チェックイン後、あらためて夕食へ行くときガレリアの夜景が美しいわざわざポジリポの丘へ登って行ったのだが、ここからは昼の方が断然景色が良いと思うのであります
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タオルミナからアルベロベッロヘ

2013-02-22 22:31:59 | イタリア
美しい朝焼け今朝はエトナ山も見える

シチリア島からイタリア本土へは三キロほどしか離れていないが橋はない。電車も車両ごと船に乗れるようになっている。船内はカフェもなぁんにも開いておりませんでした。冬はお客さんもとても少ないからでしょうな。さよならメッシーナの街

イタリア本土のカラブリアはとても山がちなところ。海岸線には崖の上の砦や街が
カフェで休憩昼食はコゼンツァという街近くにあるアグリツーリズモ。ここはしかし、知っていなくては来られません。ナビがあっても以前の運転手さんは迷ったそうです。
この前菜盛り合わせ、美味しかったですメインのお肉は日本人向けにボリュームおとしてありますね


夕方にアルベロベッロ郊外のホテルへ着。あらためて車で有名なトゥルッリ地区のレストランへオレッキエッティ(耳たぶ型のパスタ)は南イタリアらしい

ホテルロビーの椅子にはホテルを出るときから帰ってくるまでずっとこの「毛玉ちゃん」がおりました
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タオルミナの冬の日をゆっくり

2013-02-12 21:51:11 | イタリア
午前中二時間ほどタオルミナの街をガイドさんと共に徒歩観光。ホテルすぐ近くの市民公園はもともと地元のお医者さんと奥さんのイギリス人夫人の個人的な庭だった。
これは、何の遺跡だろう?と思ってみてしまうが、実は婦人の専門だった鳥の研究用につくられた建物。この建物のむこうに婦人がかわいがっていた五匹の愛犬のお墓があるとのこと。

庭に置かれているのは・・・え?これって日本の「回天」か「桜花」のような特攻用のもの?いえいえ、爆雷を仕掛けたらタイマーをかけて人間は逃げる事になっております。「カミカゼ」はイタリア語でも自爆攻撃を表す一般名詞になっておりますが。

ギリシャ・ローマ劇場。今日はあいにくエトナ山は隠れておられます。かつてのステージ下の仕掛け穴ステージ後ろの壁はほとんど石材がのこってない
シラクサの僭主ディオニシオスの妻用座席にとりつけられていたとおぼしき名札

街へ出て、インフォメーションが入った建物。この中庭が面しているそれぞれの壁は
三つの別の時代に増改築されているシチリアの操り人形プーピが置かれていた

大聖堂メッシーナ門

お昼にうにスパゲティをたべてから自由行動。

夜は食事がついていなかったので、ご希望の方と、ずいぶん以前にいったことのある海鮮のお店へ。エビ二種牡蠣もおいしいい白魚のケーキ


最後に注文したザバイオーネクリームが、十年以上前に来た時と同じ器で出てきたのには嬉しくなってしまった。
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