旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

《手造の旅》屋久島~宮之浦里めぐり、杉乃舎で屋久杉箸づくり

2021-12-13 16:50:48 | 国内
曲がった箸も屋久杉らしさ。屋久杉箸を削ることができるのも現地だからこそ。
**
白谷雲水峡から宮之浦に入る手前に

「牛床詣所(うしどこもいしょ)」という場所がある。
ここはかつて「宮之浦 岳参り」のスタート地点だった。

屋久島では集落それぞれで山の神様にお礼参りをする行事が、江戸時代からおこなわれていた。
立派な社は、台風の倒木などで倒壊・消滅してしまったそうだ。
神秘的な雰囲気がただよう。

入山を禁止されていた女性たちもふくめ、早朝から村をあげて祭事を行い、宮之浦岳の頂上にある祠へ送り出していた。
高度成長期になって途切れていたこの伝統はここ二十年ほど有志によって復活され、この場所の代わりに益救神社(やくじんじゃ)が起点となっている。

その益救神社で里めぐりガイドさんお二人とミート。
この旅の初日にバスでガイドをしてもらった長井さんと友人の田代さん。
↑かつてはこの神社の前まで砂浜だった。

↑★益救神社は10世紀の延喜式に記載された式内社(しきないしゃ)で最も南に位置する。↑
↑祭神として記されている「天津日高彦火々出見命 (あまつひこひこほほでみのみこと)」は、仏教での名前は「一品宝珠大権現(いっぴんほうじゅだいごんげん)」↑名前の中の「宝珠」とは、山幸彦が海神からもらった潮の満ち引きをあやつることのできる珠を意味する。つまり、祀られている神は「山幸彦」だということ。
古事記の話を分かりやすく書いた※みやざきの神話にリンクします

神社鳥居の目の前に放置してあるこれが↑土埋木(どまいぼく)↑
江戸時代に切り出された杉の切り株が放置され土に埋もれていたものが、現代ではお宝になった↓
↓一見廃材のように見えるが屋久杉は油分が多いのでくさらないのだそうだ

年に一度行われていたセリで↑こんな値段がつくのですから(^^)
しかし、屋久杉の新たな伐採はもうありえない。
古い切り株=土埋木も2019年に最後のセリが行われ、もう新しいものはでてこない。
※朝日新聞の記事にリンクします

神社の本殿も屋久杉↑

↑慶応二年(1866)と刻まれた手水は高級な花崗岩…ではなく、鹿児島から持ってこられた凝灰岩。

屋久島の花崗岩は鉄分を多く含んでいるので年月を経ると赤くなってしまうので、島では高級品とはされない。
鹿児島の桜島からできた凝灰岩の方が価値があるのだ。

↑境内のアコウの木=寄生する「絞め殺しの木」=年輪のない木=島内で防風林としてよく植えられた、アコウ小蜂が専ら受粉させる。
↑前にある二体の仁王像は前出の手水鉢と同様に鹿児島の凝灰岩で出来ている。

↑天保二年(1831)に寄進され、かつて入口の左右に置かれていたと思われる。
神社と寺が渾然一体となっていたかつての日本。
屋久島でも多くの神社にこうした仁王像があったが、明治の廃仏毀釈で壊された。
↑この二体も地中に埋められていたのを掘り出して、歴史の記憶のためにこうしてならべてある。
7月の下見で訪れた屋久島歴史民俗資料館でも、顏を別物に変えられてしまった仁王像があったのを思い出す※その日のページにリンクします。ページなかごろにその仁王像がでてきます。

↑益救神社の境内は宮之浦春のお祭りの広場↑
早くフツーにお祭りができる状況にもどってほしいものです。

↑「ホテル縄文」の中には総屋久杉造りの「ウィルソンの間」が移築されているときく。
有名な切り株「ウィルソン株」の由来となったイギリス人植物学者アーネスト・ヘンリー・ウィルソンが大正三年(1914)宿泊した宿が向かって右手の空き地にあったのだ。
耐震基準を満たさなくなったホテルを再開するには多額の費用がかかるということで今は閉められたまま。
屋久杉が見事だという「ウィルソンの間」が、取り壊されずに公開される日がきますように。

宮之浦に昔からある「三寸五分勾配」の屋根を持つ家↑
百年前にウィルソンが撮影した写真にもまったく同じ傾斜を持つ民家がたくさん写っていた。

↑宮之浦川に昭和五年にかけられた橋↑欄干が途中から変って岸から少し離れたところにあるのはなぜ?

なんと、アメリカ軍の爆撃によって破壊された跡だった。
※平成27年に屋久島町が作成した戦争体験者の冊子にリンクします。体験記の最初にでてくる91歳の田代小夜子さんが橋が崩れた時の話を語っておられましす。

宮之浦の里めぐりはこれで四度目だけれど、やっと少しずつわかってきた気がします(^.^)
次の機会もつくらなくては長井さん、田代さん、今回もありがとうございました。


この旅最後の食事は長井さんに「波の華」を紹介していただいた。

いちばん人気の黒豚しゃぶしゃぶ↑ぽんかんが収穫期をむかえている。
あとからもっと上物のポンカンが登場、たくさん買って帰りました(^.^)
とろりととける豚のあぶら(^.^)グアバのジューズが南らしい
**

↑「愛子岳」のシルエット


屋久島の旅の最後に、
屋久杉で箸をけずっていただきましょう(^.^)

屋久杉とは実際にどんなモノなのかを自分の手で削って感じられる。

↑あらかじめいろんなカタチの「箸の元」木材を用意してくださっている。
長さも曲がり方も様々。好きなのをえらびましょ。

ご指導にしたがって、角を落とし、使いやすいようにととのえ。

↑ネコに見守られ

黙々と手を動かす

削りかすもとてもよい匂いなので

ご希望なら袋に入れてくださいます(^.^)

紙やすりで磨くと、木目がきれいにうかびあがった

よいおみやげになります

コロナ禍前は外国からのお客様も多かった

↑屋久杉コースターがてごろなお土産

↑この旅の締めくくりショット!

「また来ます!」
ああ、2017年を思い出す※2017年3月7日の屋久杉箸づくりにリンクします
※2017年4月24日にリンクします

↑今回おねがいしたバス会社の社長さんもお見送りくださいました(^.^)
すぐ近くの空港へ

17:35発の鹿児島行

夕暮れてゆく空から屋久島の海岸線を見下ろす

十分ほどで開聞岳のシルエットが見えてきた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《手造の旅》屋久島~木造の新庁舎、白谷雲水峡、

2021-12-13 10:27:38 | 国内
**
朝陽が照らす雲がサンカラホテルのプールに映る

今朝はエッグベネディクトを選んだパンは二日かけてもぜんぶは食べられない

チェックアウトしてバスに乗りぎわに、さつまいもを練り込んだパンをそれぞれにくださった。

2017年のパウンドケーキも忘れられません(^.^)
**
朝いちばんで2019年に完成した屋久島町の新庁舎へ

前回2017年の《手造の旅》の時には完成していなかった。

今年七月の下見で長井三郎さんに連れてきていただかなければ行程に入れなかっただろう。
ひと目見て「ぜったい見ていただきたい場所だ」と思った。

使われている木は屋久島の杉だが、40年から50年ほどの「地杉」とよばれるもの(※後に載せる「屋久島通信」vol.72の巻頭エッセイにかかれています)
この空間で毎日お仕事できるのは、屋久島らしい幸せ?

館内ガイドはお願いしていなかったが、バスガイドの早崎さんが親せきのお兄さんに偶然出会って即席ミニガイドしてくださった(^.^)
この建物のいちばんの見所は議場↓

といっても、多目的ホールになっていて
7/16に訪れた時にはここでヨガ教室をやっていた※その日のブログにリンクします

設置物はすべて簡単に移動できるようになっている。

★この場所は幸か不幸かまだ観光地になっていないようだが、コロナ禍がおさまればどっと観光バスがやってくるのではないかしらん。館内ツアーもできる魅力がある。
しかし、そうなれば、今みたいに働いている方が「どうしてここに来たの?」という顔で親切にしてくださることも期待できなくなるかもしれない。
たくさんバスが止まるようなれば、有料になってしまうかもしれない…。
***

白波立つ屋久島の北岸。

「白谷雲水峡」へのぼってゆく途中に、宮之浦の町が見える

入口から奥で枝分かれするコース。最長は五時間。

今日はいちばん短いコースを一時間ぐらいかけてゆっくり歩く。

それでも森の厚みをじゅうぶん感じていただけると思う。

入口すぐに一枚岩を登る場所があるが

足元は歩きやすいように階段状にけずられている↑

「もののけ姫」の森のイメージはここからきたといわれているように、いたるところ苔で覆われている。
下は花崗岩↑

これが↑ふかふかなんです(^.^)

↑ぽちっと目立つ赤いのはトリモチだとおしえてもらった。
↑調べてみるとトリモチにも種類がいろいろあって、
これはツチトリモチという四国九州など暖かい地方にだけ生育するものだそうだ。
さらに調べてみると、白谷雲水峡には「モチ田跡」というものがあった。
ヤマグルマなどを原料とするトリモチ生産も林業の一環として行われていたのだそうだ。

↓丸太が流れに横たわり↓苔が覆っている

舗装はされていないが歩きやすく整備されている道。

苔がつかないヒメシャラが目立つ↑

↑眼下の駐車場にバスが見える

対岸の中腹に白くなった巨木↑あの「弥生杉」の下へはわりに近い。
2016年にはじめて下見に来た時に行ったっけ。

この旅のしめくくりに、屋久島最大の町・宮之浦を少し歩きます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《手造の旅》屋久島~地域食材へのこだわり tama cafe ,サンカラの庭を林シェフと歩く

2021-12-12 14:24:10 | 国内
ヤクシカの骨を二日煮込んだ出汁をベースに、スパイスを効かせたグリーンカレー

↑左下のおからみたいなのはほんとに「おからポテトサラダ」だった↑
一湊の里でのランチでも「永田集落の豆腐」があった。屋久島産の豆腐があるのですね。
そこに
「屋久島一湊から産まれた油の乗った美味しいさば節と、『NPO法人じゃがいものおうち』という屋久島の障がい者支援施設の皆さんが作られた優しい味の手作りのおからを使いました。」と珠代さん。
JRホテル屋久島泊の朝、散歩した時このNPOの近くを歩いたのを思い出した。


12月12日のお昼は、春牧・安房から屋久杉自然館へ行く途中にあるtama cafeの植田さんにおねがいした。
滋賀から移住した彼女はコロナ禍まっただなかの昨年4月、念願のカフェをオープンした。
※「やくしまじかん」での紹介ページにリンクします

もともとテイクアウト専門のお店なので広くはない。そこにありったけの椅子を用意していただき、解説付きでいただきます(^^)
味というのは「それが何か」をちゃんと知ってよりおいしくなる。
.
十二月でも彩り豊かな草花が咲く屋久島らしい彩。
ここに、ヤクシカ出汁のカレールーをかける※冒頭写真



今日は仲間の井坪美紀さん↑前列左↑も、手伝いにきてくださっている。
カレーの出汁をとるヤクシカの骨は、彼女つながりで入ってきたものだった。
「ヤクシカは年間二千頭ほどが駆除されています。増えすぎたヤクシカは現在二万五千頭近くになって、畑を荒らす害獣なんです」
「銃ではなく罠で捕獲してプロの猟師さんが処理をします」
※井坪さんが出入りしている「屋久鹿王国」というサイトにリンクします
ジビエのヤクシカは良いお金になるのかとおもったら、15㎏以下の鹿は処理費用の方が高くつくのでひきとってもらえないのだそうだ。※ヤクシカは成獣でも小柄なのです※西部林道で見かけた時のブログにリンクします
一時間ほど、お二人の屋久島愛をお話いただいてランチを楽しんだハヤトウリ

記憶に残るランチタイム!
**
午後三時にはサンカラホテルにもどり、
ロビーで林シェフとミート

サンカラホテル敷地を食材トークツアーをしていただいた。
※「やくしまじかん」の林シェフ紹介ページにリンクします

今日は暖かく風もない。
雨でも降ったらどうしようか代案も考えていたが、「雨の島」屋久島らしからぬお天気に恵まれた。
※2017年3月6日に滞在した時、庭で偶然お会いしたのが今回のガーデントークにつながった(^.^)
その日のブログにリンクします


●ツワブキはこの時期よくみかける黄色い花

花や芽を揚げる店が多いそうな。「まぁ、揚げたらなんでもおいしくなっちゃうんですけどね(笑)」

●ハナミョウガは白い花


●ハイビスカスはこの時期開ききらない



庭を手入れされているオカベさんが通りかかって、話しかけてくださった。
これだけの庭がいつでも美しくあるのは、彼女のような裏方さんのおかげ。
とても丁寧に・分かりやすくお話くださいました。

●アラマンダはちょっと百合みたい↑
「似つかわしくない、いかついウニみたいな実がなるんです」とオカベさんが葉をあげると

↑なるほど、これかぁ

実際に手に取って味わってみて、そこらじゅうに食べられる植物があることを知る
レモンは葉っぱまでレモン
●ステビア~葉っぱを噛むととても甘い!砂糖の三百倍ともいわれる甘味をもつ。
  ほんとに甘くてびっくり
●月桃は沖縄ではムーチーとよばれ、ポリフェノールを多く含む

●バナナは巨大な花をつけ、ひとつのカブから一度だけ実をつけて終わる↑

↑●オオタニワタリは沖縄のシダ植物で真ん中の新芽は苦いがおいしい

●大葉(右)↑左はそっくりだが毒がある「キツネノボタン」
素人にはぱっと見区別がつきません


●シイタケの原木↑収穫まで一年かかる
それぞれを自分の舌で確認して料理に生かしておられた。夜のダイニングがとても楽しみになった(^.^)

「高級フレンチのカウンター席なんて、ふつうとても緊張するんですけど、今日は昼にお会いしていたシェフが迎えてくださったので、ほんとに楽しい食事になりました」とコメントをいただいた。
ああ、そのお気持ちよくわかります。
食事を楽しませてくれるのは高級な料理ではなく、料理人をはじめ場をつくってくれるひとの気持ちに尽きる。
★この日のメニューを写真と共に詳しく載せました

OKASのメニューが書かれた紙の裏には↓
↓今日教えていただいた草花のイラストがさりげなく描かれていた↓

↑上から
●ツワブキ(艶蕗)~寒くなると咲く黄色い花
●ノカンゾウ(野萱草)~ユリに似たオレンジ色の花
●サキシマフヨウ(先島芙蓉)~ピンク色のふわっとした花
●ゲットウ(月桃)~台湾での漢字名からつけられた、こぶりな白とピンクの花。
       沖縄などで自生し香辛料にも使われる

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《手造の旅》屋久島~春牧里めぐり

2021-12-12 10:30:08 | 国内
春牧・盛久神社のご神体に「主馬判官盛久」と刻まれてる。
**

昨夜、サンカラホテル本館テラスの夜空にオリオンと冬の大三角形が輝いていた。

朝のテラス

屋久島南岸は北岸よりずっと晴天率が高い。

多彩なパンが待っている

朝からこんなに食べちゃって(笑)

朝食前菜↑

主菜には鯖カレーを選んだ↑

09:30カートでバスまで送ってもらう。
***
屋久杉を運び出す主要な場所だった春牧集落を案内していただく朝

春牧集落はいまや屋久島で二番か三番の人口。
川を挟んだ安房(あんぼう)集落と合わせれば千九百人ほどになる。
※島全体の人口は約一万二千、屋久島にはすべて海岸に二十四の集落がある。

盛久とは、平清盛の重臣で伊勢平氏の盛國の八男。平家滅亡後の京都に潜伏していたが捕まった。

社の板間で里めぐりガイドの澤田さんが、紙芝居をつかった説明してくださいます。

鎌倉に送られ由比ガ浜でいましも首を切られようとした時、盛久の持った経巻が光を発し↓

↑振り上げた刀は三つに折れた!
源頼朝はその奇跡を聞いて盛久を許し、再び京都近くに隠棲した。
※このあたりの話を詳しく解説された方のページにリンクします
その後、「壇ノ浦で入水した安徳天皇は実は逃れて薩摩硫黄島で生きている」という情報を得て、世が世なら天皇であった主君に会うために南洋に向かった。 硫黄島で旧主に出会えたのかは分からない。が、病に陥った盛久が薬を求めて薬草の豊富な益救(やく)島(=これが語源と思われる)へ向かうが、屋久島に到着した時にはすでに亡くなっていた。
島民は浜に埋葬したが凶事が続いたので、この神社があるところに改葬したと伝わる。

「こちらのご神体はなんですか?」と訊ねると、いつもは閉じている奥を開いてくださった。

↑スマホの光で照らし出されたのは「主馬判官盛久」と刻まれた小さな石塔。これは江戸時代のものとされている。
※ページ冒頭の写真をごらんください

屋久杉の社で

屋久杉の絵馬を売っている。

大きなアコウの木


盛久神社すぐとなりの焼酎工場も見学
***

芋焼酎がイモからつくられると思い込んでいたが、基本は米なのだと知った。

焼酎造りの工程
①米を蒸す

②タネ麹を入れて二日発酵させると麹になる

③麹に水と酒母(しゅぼ:パンのイースト菌と同じ種類)を入れて五日間アルコール発酵させる
※屋久島は硬度5という超軟水(屋久島のミネラルウォーター「屋久島縄文水」で硬度12、ヨーロッパのエヴィアンやヴィッテルは硬度300超)、これが独特の酒になるのだと説明された
④蒸したイモを入れて一日発酵させる

この段階ではじめてイモが入るのですね。
イモはわるい部分を丁寧にとりのぞいて、皮つきで。
⑤醪(もろみ)を入れて三回目の発酵を八日間。
これは一次発酵と同じような和甕に入れる。
アルコール度が13%程度まであがる。
⑥蒸留してアルコール度37%のに焼酎になる。
この段階では「荒い」味なので、
半年から一年寝かせて水をくわえて25%ぐらいに調整。


こちらではウィスキーもつくっているが、
元は信州からもってきている。
****


↑かつて屋久杉を運び出していたトロッコの線は大正十二年(1923)に16㎞が敷設された。
※現在も森林整備のために使われているが立入禁止
昭和三十五年(1960)には杉を伐採する家族540人が暮らし、小中学校には150人の子供たちがいたそうだ。
巨大な杉を山から下ろすトロッコ、最初は動力はなくブレーキは自転車並みの手動だった。
大阪万博のあった昭和四十五年(1970)杉の伐採が禁止され廃村。

立派なトラックはもともと貯木場。

↑このおもしろい石は、きのう山の頂上に屹立しているのを見た「天柱石」の小型レプリカ。ホンモノは高さ四十メートル。

道路からすぐの小川に

巨大な一枚岩がある。
中国の映画のロケが行われたそうだが、「観てません」とガイドさん。そうですよね、そもそも日本で公開されているのかしらん?
*****

さいごは松峰大橋からシダの葉飛ばし

たーくさん用意してくださった。

これ、やってみると思いのほか楽しめる(^^)

うまく風にのると紙飛行機のようにふわーっと川面をすべってゆく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《手造の旅》屋久島~ヤクスギランドからサンカラホテルへ

2021-12-11 17:09:02 | 国内
「千と千尋の神隠し」の名前の由来になったのがこの「千尋(せんぴろ)の滝」だと言われている。
滝自体の高さは八十メートルほどだが、向かって左側の花崗岩の岩が人が千人手を広げたぐらいの広さがあるというのでこの名前がつけられた。

駐車場から展望台へ行く途中に滝の水源であるモッチョム岳への登山道入り口がある。

定番のお写真をガイドさんにとってもらいましょう(^^)

駐車場から上の展望台からは海も見える。屋久島は海と山が隣接しているのだ。

滝は、上にもうひとつあるのが見える。
**

標高約千メートルにあるヤクスギランドまでのぼってゆく

ヤクデンの発電所↑

↑生々しく山肌が崩落した跡↑2019年5月18日 
豪雨で登山路も寸断されて三百人近くの登山客がとりのこされたそうだ。

↑縄文杉への登山はこの「荒川別れ」からが一般的

「ヤクスギランド」入口で入場券を買って歩きはじめる

いちばん短い三十分コースでもじゅうぶん巨大な杉や「土埋木(どまいぼく)」に出会える。

何より木道が整備されているので歩きやすい。
★「ヤクスギランド」とは楽しげな名前だが、もとは江戸時代から杉を伐採する場所だった。

当時は正目でないと材木としての価値はなかったから、根に近い部分は残された↑こんなふうに↑

木材として不適格となった、ねじ曲がった杉や加工が難しいとされた杉だけが伐採されずに残された。いわば「おちこぼれ」だけが現代まで生き延びたのである。

のこされた巨大な切り株は埋もれてゆくが、油分が通常の五倍にもなる屋久杉は腐らず、現代になって「土埋木」として利用されるようになった。


樹齢千年を超えたものだけを「屋久杉」と称し、もともとそんな種類はない。

苔だらけの森にあって、つるつるの木肌がめだつのは

「シャラ」が椿をさすのは、どこの言葉だろう?
木肌がすぐに剥けるので苔むすことがないのだそうな。

↑こちらは「ユズリハ」↑新しい葉がでると古いものが座を譲るように落ちるのでその名になったそうな↑それにしてもどの種類も大きい。

↑この囲われた部分では鹿などの動物が植物にどのぐらい影響を与えているかを比較するためにつくられたエリア。

マムシグサ

苔は種類が多すぎて判然としない


短いコースをゆっくり歩いて出口に至ると向かいの山に遠目にも巨大な石が屹立しているのが見えた↑
標高1497m太忠岳の頂上にある高さ四十メートルの「天柱岩」
あそこまでは片道四時間だそうだ。

海辺の周回道路に戻る


今はポンカンの季節


サンカラホテルに到着↑ ホテルエリアの入口でゴルフカートに乗り換え、バリ島のリゾートホテルのようなロビーからテラスに至る。

ウェルカムドリンクは…この時期は柚子ドリンクでした※三月にタンカンドリンクがおいしかったので密かに楽しみにしていたのですが…
※ホテルの方に訪ねてみると、タンカンの収穫からホテル従業員総出で絞ってジュースをつくり、それが終わるとそのシーズンのタンカンジュースは終わり、だそうだ。季節ごとに、その時期にしかないものがある方がよいですね(^^)

コテージタイプの部屋にチェックイン

今晩は一階のダイニングAYANAにて
※こちらに写真の共にメニューを載せました

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする