旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ルクソール神殿が教会だった名残

2020-02-06 10:04:20 | エジプト
ルクソール神殿↓は今、古代エジプトの神殿として復元されている。

古代エジプト第18王朝(紀元前16世紀ごろ)からつくられはじめた神殿だが、後世なんども改築されている。
紀元前4世紀のアレキサンダー大王の神殿はそれまでのエジプトの神々のスタイルを踏襲しているが、一神教のキリスト教時代になるとそれまでの神々を壊して新たな祈祷所をあらたに建設している。
↓下の写真でアーチ型のところをよくみるとしっくいが塗られてフレスコ画が描かれていたのがわかる↓

別の場所もこんな↓

「最後の晩餐」とか「受胎告知」とか、教会建築でよくみられる絵があったのだ。
紀元後四世紀ごろかもしれない。

古代エジプトの宗教はこの時代までに文字さえ読める人がいなくなり、古代建築を壊して、石材を再利用して、教会を構築するのも普通だった。
↓再利用した古代エジプトの神様は、わざわざさかさまにはめ込まれたりしている↓





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オスマン君の日本文字

2020-02-05 22:38:16 | エジプト
オスマン君はエジプトの手配会社で「ホテル担当」をして我々の旅を熱心にサポートしてくれた。
日本語のスルーガイド(全行程同行して日本語でガイドしてくれるガイド)さんほど日本語はうまくないが、日本語をうまくなりたいという姿勢が伝わってくる。探究心があり仕事に対する誠実さも持っていた。

少し日本語を話す外国人はいまや珍しくない。
オスマン君が本気だと理解したのは、彼が日本文字で書いたホテル案内を見た時だった↓

日本語を書こうとする外国人は多くない。
アルファベットを覚えればとりあえず読むことのできる表音文字と違い、日本語は読み方の多様な漢字が混じり同じ言葉でも何種類もの表記が可能である。
日本語を上手に書くことのむずかしさは日本人でも身に染みている。
オスマン君はそれをモノにしようと努力しているのか。

カイロで何度目かに会った時、「日本語の試験をうけるのです」と、恥ずかしそうに言った。
試験にうかって日本語のガイドになりたいのだという。

今、彼が担当しているサポート業務は時間も不規則で拘束時間も長い。
収入はきけないが、ガイドよりもずっと安いことは想像に難くない。
旅行の現場で高い報酬を得たいと思うなら、「この人にぜひおねがいしたい」と思ってもらえるスキル(技術)を身につけるしかない。
それにたいしてお金を払う価値があると思ってもらえるならば、見合ったお金が支払われるのだ。

オスマン君がそこにたどりつくためには、試験にうかってからもさらに努力が必要になる。
外国人の母語で話し、相手に納得してもらえるだけの語学力というのは簡単には身につかない。
それは単語数や経験だけでなく、オスマンくんが今持っている探究心や誠実さというものとセットなのだと思う。

探究心や誠実さを、長年維持し続けるのは簡単ではない。
オスマン君が折れずに成長していってくれることを願っている。
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ナイルのワニ退治

2020-01-10 08:01:57 | エジプト
クルーズ船の廊下に巨大なワニが出現!

すぐに退治した ガル~

部屋にはサル! うっきー!

そりゃびっくりします(^.^)

↓別の部屋ではミイラがテレビをみていた

ガラベーヤ・パーティ用に買った頭巾をつけております

部屋のタオルでここまで楽しませてくれる、クルーズ船のスタッフ

彼らにならしっかりチップをはらってあげたくなります(^.^)

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エジプト気球事情2020

2020-01-02 13:52:00 | エジプト
ルクソールの朝、ナイルの東岸から王家の谷の上に飛ぶ気球が見えたのだが…↓

ずいぶん少ない。一年前に比べて十分の一ぐらいになっているかと感じる。
※2019年1月に気球に乗った時の様子はこちらから
気球が大好きでチャンスがあると乗ってきた。
ルクソールは遺跡を空から雄大に俯瞰できるので《手造の旅》では必ず入れていたのだが、大小の事故が起きた話はずっときこえてきていた。

★2019、6月
エジプト当局は事故調査を完全に行うまで気球の飛行を全面的に禁止
※報道した英語ニュースをこちらからごらんください

二か月前にやっと解禁になったが、規則がかなり厳しくなったのが理由か、気球を飛ばす会社はがくんと減ったようである。
※これまで小松が乗ってきた会社を検索してみたら廃業しているところがいくつもあった

気球を飛ばすかどうかはキャプテンが直前に判断する。
トルコのカッパドキアでは、
バスケットに乗っていまにも飛べそうなのに「中止する」と宣言されてがっくりきたこともあった。
だが、それでよいのである。
安全であることが第一だ。

だが、商売に目がくらんでフライトを強行するケースもあったのだろう。
それが事故の呼び水になっていたにちがいない。

気球代金は安くない。
ルクソールでUS120から150ほど
オーストラリアやニュージーランドではそれよりも安かった(十年以上前)
タンザニアなどアフリカは高く、US400ぐらいする。

発展途上国では気球の準備や片付けに地元の貧しい労働力が集まる。
夜明け前から集めた彼らへの給金は、気球が飛べなくても払わなくてはならない。
「今日は中止」と宣言されたら気球会社はまるまる赤字となるのだ。
※中止の場合、観光客は一銭も払う必要はない


目の前で、乗ってからさえも、「中止です」と言われるかもしれないけれど、
それだけ安全を第一に考えているのだと理解して、
次にまた乗ることのできる機会を待つことにする。
***
代わりというのではないですが、
今回はこれまで一度も《手造の旅》で入れたことのなかったデンデラ神殿を見ていただきました。
ここは治安に心配があるとされた時代には「危険度2」と指定された地域にあったので日本人観光客は行かない場所でした。
★デンデラ神殿観光の様子はこちらからごらんください
★デンデラへの道の写真をこちらに載せました

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デンデラ神殿を地下から屋上まで見学する

2020-01-01 02:24:30 | エジプト

全エジプトのなかでも最も保存状態がよいと言われるデンデラ神殿

ルクソールから北へ七十キロ離れたケナ県にある。

急ぎ足のツアーではなかなかここまで足をのばさないが、訪れる価値がぜったいにある場所。

相次ぐテロ事件や政治不安が続いた時期に、日本からの観光は実質的に途絶えていた。
近年、治安も政治もやっと落ち着きをとりもどしデンデラへの観光も可能になったので、
《手造の旅》エジプトとしてはじめてデンデラ訪問を行程に入れた。

駐車場でバスを降りると、日干し煉瓦の巨大な壁が周囲を囲んでいるのが分かる↓

かつては四万平方メートルの神域をもっていた。
広い場所だが観光客はとても少ない。

観光客でごったがえすルクソールの有名見学地からくると、ほんとうにゆっくりと見学ができる。

ここは天井が落ちたことのない神殿。
※ほとんどの遺跡の天井は発掘したものをコンクリートと共に組み上げて復元したもの
屋上から地下室まで観光客に公開されている。



↑現在の姿と
↓1838にスコットランドからやってきたデビッド・ロバーツが画いたスケッチを比べると

半分砂に埋まりながらもほとんど完全な姿であったことがわかる
ハトホル女神の顏はすでに削り取られていた

↓屋上階の小神殿の柱と同じような顏だったにちがいない↓

ハトホル女神はキリスト教時代になると聖母マリアと同一視されることになる慈母の神

現在まで残されたデンデラ神殿はプトレマイオス朝時代のものだが、
神域は紀元前2250年のペピ一世(第六王朝)時代にすでに存在し、考古学的にも紀元前1500年の部分が確認され、現存する最古の部屋は第三十王朝のネクタネボ一世(紀元前380年~362年)によってつくられたMammisiという名前でよばれる出産部屋だと推察されている。王族の出産がここで行われていた?
↓とすれば、天井にあるこの姿は王の胎児?

黒くなっているのは長年ここに住んだ後世の一般住人が火を焚いていたから。
**
黒くなった天上に「世界最古」と言われる天空の星座図が描かれている円盤が有名↓
見上げているところがそうなのだけれど、全体をなかなか写真に撮れなかった。
↓ネット辞典の写真から引用↓

1798年からはじまるナポレオンのエジプト遠征の際にすでにその存在はスケッチされており、1820年にフランスはついにこれを持ち帰ることを時の支配者モハメド・アリから得て(と主張している)、建物に接合していた部分を爆破してまで取り外し、パリに運んだ↓その時に?なのか分からないのだが、同じサイズのレプリカをはめこんでいったのが現在見られる円盤↓端の部分に木材で調整されているのが分かる↓

★ルーブル美術館の公式頁にもしっかり載せられている※「時の支配者の許可を得て」とも

***
↓ここはミイラのつくりかたを神官たちにおしえていたと推察されている部屋

壁にミイラづくりのプロセスが絵と文字によって連続して描かれている
↓明り取りの穴にも

***
地上階から屋上へ↓
厚い石の壁の間につくられた古代そのままの階段をのぼってゆく

壁には捧げものを持つ行列が描かれている↓

↓屋上には小さな神殿がぽつんとあるだけ↓

床の石がまっすぐでなく大小様々にいろいろなカタチで組まれているのが不思議だったが、現地のガイドブックも理由は書かれていなかった↓

↑とっても不思議???
小さな神殿の柱にはハトホル女神が彫られている↓

あとから解説本をよんだところ、ここはハトホル女神が太陽エネルギーをチャージする場所だったと解説されていた。
つまり、いつもは暗い神殿内に安置されていただろう神像を、時々屋上の特別室に持ってきて太陽を浴びさせていたというのである。
****

ふたたび地上へ降りて、この神殿最大のミステリー壁画のある地下へ向かおう
↓床にある扉を開けると

穴へ降りる急な階段↓

ほんとに小さくかがまないと中へ入れない↓

くぐって立ち上がり、
奥まで続くほそい通路をゆくと、いちばん奥に描かれたこれはいったい???
↓電球??

※地下を歩いてゆく動画をのせました
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