旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

雨のヴェローナから、最終地ミラノへ

2014-04-28 03:04:02 | イタリア
ヴェローナへ入るバスは、一台40ユーロの税金を払う。このロトくじの様なのがその用紙

ヴェローナは雨の中の観光になった

エルベ広場近くのロッジャ


昼食はこの町名物のポレンタ

とうもろこしの粉です。

***
翌日のミラノは晴れた!

青空にスフォルチェスコ城の塔が映える。

中に展示されているこの絵は20世紀になるまではダ・ヴィンチの作品だと思われていた

弟子の作品ではあるが、構図やポーズなどはダ・ヴィンチ本人がかかわっていると想定されている。

**最後の昼食、ご希望の方に絶対おいしく食べていたける内容をアレンジしました(^^)
満足!(^^)(^^)!

**
午後になって大聖堂のファサードにも陽があたり始めている

ホテルへ帰るのに地下鉄に乗る切符を買ったらこんなデザイン

ついきのう列聖された法皇お二人であります。
さすがイタリア。
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ヴェネチアの夜は雨になった

2014-04-27 02:38:25 | イタリア
少しひんやりする水の上の街ヴェネチアの朝。ジュデッカ島からサン・マルコ広場へはほんの十分ほどで着く。ドゥカーレ宮殿を、今日はいつもよりゆっくり見学しよう
表の壁にはめ込まれたさまざまなパネルは、かつては教会の内陣にある障壁版だったのではないか?というものも含まれている。じっくり見ていくと興味深いモノがいつでも見つかるヴェネチア

ガラス屋さんには興味のある人だけお連れする。このレースグラスを見ていただくだけでも価値があるだろう

**昼食後
「おまかせ観光」で、最初に訪れたのは1666年建造のサルーテ教会内部が古代のような八角形になっている
そのすぐ隣には、かつての税関の建物を、日本の安藤忠雄さんが現代美術館に改装した建物がある
小松がいちばんおもしろいと思ったのが、この [ Well and truly ]作品だった↓

※これについては別のところに書きます

大運河を移動し、フラーリ教会のティッチアーノ作「聖母被昇天」は、この場所にあってこそのマスターピース。昔、撮影まったくOKだった頃の写真を載せます
ちかくにあるスクオラ・ディ・サン・ロッコはティントレットの執念が感じられる場所そこにあるティントレットを描いた彫刻もすごい

***
夕方、20時過ぎにカフェから出たら薄暮の蒼に雨が降っていた
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タオルミナからヴェネチアへ

2014-04-25 10:10:38 | イタリア
ピアッツァアルメリーナのモザイクの続き。
アジアから虎や象を積み込んでいる図紀元後3世紀ごろにも現代と変わらないビキニがあった
ここは、ディオクレティアヌスと共に帝国を分割統治したマクシミアヌスの別荘だったと考えられている。彼が実際にここに住んだのかは、分からない。
西暦305年、ディオクレティアヌスの引退と共に強制引退させられた後に少しは住んだかもしれない。しかし、それほど長くはなかっただろう。息子のマクセンティウスが帝国制覇に立つのに合わせて復帰したが、(ややこしい経緯のあと)失敗して自殺してしまったのだから。
主人の部屋だったとお思われるところにあるモザイク画
地元の小学生たちも見学にやってくるこちらはピアッツァアルメリーナの旧市街。一度も足を踏み入れた事はないけれど

**
昼食は近くのアグリ・ツーリズモにて今回ここだけは絶対良い内容で食べていただきたかったので、直接レストランと契約してお金を払った。やっぱりそれだけのものを出してくれます。


4月のシチリアは花盛り

***
渋滞もあり17時ごろにタオルミナ到着となった。4月25日は解放記念日で休日。たくさんの人が通りをうめていた海抜200メートルのテラス

***
翌日26日の午前中も、願っていた青空。

ギリシャ劇場と背景のエトナ山が美しい。

翌日も良いお天気になり、海辺で泳いじゃう方もあった。タオルミナでいちにちゆっくり過ごせて、シチリアって良いところだと感じていただけたと思う。

****飛行機でミラノへ飛ぶ機内で「平たい顔の人種」をみつけて興味津々の子供たち

ミラノからバスでヴェネチアへ移動。
今回はこのスタッキー・ヒルトンへ泊る途中の道で雨も降っていたが、ヴェネチアでは美しい夕方の雲。ホテルのあるジュデッカ島には、パッラーディオが設計したルネッサンスらしいバランスのとれたレデントゥーレ教会がある。

ホテルに入る前に、少し本島をご案内。時間はすでに20時をまわっているが、この時期は陽がながくてよいです(^^)
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「シチリアを見せたい」と言った人

2014-04-21 06:06:07 | イタリア
4月21日から5月1日までのイタリア11日間の旅は、ある老社長の想いからはじまった。
いかに利益があがっている会社であろうと、「社員にヨーロッパの素晴らしさをみせてやりたい」という想いで、全員をヨーロッパの旅へ連れ出すというのは、そう出来ることではない。

社長がそう言われるのは自分自身がシチリアをご存じだからだと思っていた。ところが、アグリジェントのあたりはご自身もはじめて行かれるのだという。その事を旅の企画をしている途中で知った。

89歳の社長にとって、いくらお元気であっても、これは最初で最後のシチリアになるのかもしれない。よし、それならば、きっときっと良い旅にいたしましょうぞ!

★今回の旅は、日ごとではなく、全体を俯瞰してお伝えします。

**
21日、夜。スーツケースがすべて無事届いてほっとしたパレルモ到着。翌日、午前中にモンレアーレへ。大聖堂の入り口。

ノルマン風の二つの塔にはさまれた身廊のいちばん奥・アプスの外側にはシチリアのロマネスク独特の模様があるアプスから見下ろすキリストは、現トルコのイスタンブールなどに見られるビザンチンの金色モザイク。手の高さだけで2メートルもあるのだ。
全体の様子はこんな古代のものから流用しただろう柱も風格がある。
側廊にあった洗礼者ヨハネのモザイク画の表現
遠近法などなくとも、これだけの表現が出来る

***パレルモに戻ってノルマン宮殿を見学。ここはアラブ時代から要塞があったとされ、その建物をどんどん改築して、現在はシチリア州議会がおかれている。ここを訪れるのはパラティーナ礼拝堂を見るため天上はアラブの工人によってつくられたのかもしれない、モスクによくあるスタラクタイト様式洗礼盤は、昔ロマネスク時代のものときいたが、近年19世紀のレプリカだったことが判明したのだとか

昼食は茄子のペンネこれを何故か「ア・ラ・ノルマ」と呼ぶのです。デザートはシチリア銘菓カンノーロ殻のサクサク感を感じるために、食べる直前にリコッタをいれてくれた。

****パレルモ大聖堂この内部もかつては黄金のモザイクで飾られていたというが、18世紀にフェルディナンド・フーガが改築した際に跡形もなくなってしまった。
ここに最近改葬された司教パレルモのもっとも貧しい地区で活動し、反マフィアをはっきり言っていた彼は、教会の前で射殺されたのだった。列福されたのを機に大聖堂に移された

*****
24日、シチリア島の山を越えてアグリジェントへ。

パレルモを出る時には小雨が降っていたので心配したのだが、素晴らしいお天気になった。※昼食レストランの前のテラスから見晴らす「神殿の谷」とアフリカへ続く海。

ギリシャ神殿には青空が似合う。社長も青空の下軽やかに歩いておられる。

このコンコルディア神殿は教会に転用されていた事が幸いして、建設後二千五百年以上もの間ずっと倒れずに立ち続けているのである たくさんあった神殿の中でも最大であったゼウス・オリンピア神殿の柱頭部すごい迫力の砂岩。ここではギリシャ本国の様な大理石はとれなかったので、砂岩を使いそれを白く塗っていた。

******アグリジェントに一泊した翌日、ピアッツァ・アルメリーナへ

比類なきモザイクの床がある。これはアフリカからダチョウを船に乗せている図。

・・・翌日へ続く

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もっとリスボン

2014-04-15 00:03:55 | ポルトガル
《手造の旅》ポルトガルも、実質最終日。

朝、バイシャ地区のホテルから歩いてサンタ・ジュスタのエレベーターへ。この時間の方が空いているというガイドさんのアドバイスにて1902年に完成したままなのだろう、手で蛇腹のドアを開け閉めする★利用料金は一回五ユーロ!ハコの中で支払うスタイル。ここもしかし、きのう買った24時間有効の一日券が使えるのだから、ほんとに助かります。

五十メートルほどの高さでも、街は全然違う見え方をする。エレベーターを降りてさらに細い螺旋階段をつかい屋上のテラスへ

きのう登ったサン・ジョルジョ城が向かいに見える。この区画整理されたバイシャ地区は1755年の地震の津波ですべてが流されてしまった後に、ポンバル侯爵の主導により実現されたもの。


同じく1755年の地震で壊れたカルモ教会のそばへ延びる回廊をつかってバイロ・アルト地区のシアードと呼ばれるエリアを歩くリスボンのおしゃれな地区なのだそうだ。おや?この人は一日券のデザインに使われている人じゃないかい
フェルナンド・ペソアというポルトガルの詩人の事をはじめて知った。あとから訪れたジェロニモス修道院にある彼の墓に刻まれた言葉、とても気に入りました。
通りの名前になっているガレットも19世紀前半の詩人だそうだ。

そのまま通りの突き当りには、大航海時代のポルトガル詩人カモンイスの像がある。王族の血縁であったと言われるが、アジアでの戦争で片目を失っている。晩年にはポルトガル・アヴィス王朝は断絶してスペインにとりこまれ、彼のポルトガル語の詩は顧みられず、貧困のうちに没した。


きのう見かけた卵入りのパン、大きい版

ビカのケーブルカーに乗りましょ降りて少し行くとリベイロ市場「アスパラないかな」と探したが、細いモノが時々あるだけだった。

ここからバスにのり、ベレン地区へ。

ジェロニモス修道院は、大行列!

でも、ガイドさんと一緒だから並ばずに入れてほっとするさっきのペソアの墓がこれ

大聖堂は堂々たる椰子の木の様な柱で支えられている
ヴァスコ・ダ・ガマの墓近くの懺悔室への入り口にはアジアやアフリカの顔が彫りこまれている
ガマの向かいにある先ほどの詩人カモンイスの棺コインブラのガイドさんによると、この中に彼の遺体はなく、記念碑的な棺なのだそうだ。

ジェロニモス修道院の隣には有名なナタを売っているお店がある。今日は長蛇の行列だろうから無理かな…と思っていたら、ローカルガイドさんが、先に行って並んで買っておいてあげるよ、と、ご親切(^^)シナモンをふりかけて
みんなでいただきました

バスにのってすぐにベレンの塔に到着1594年に日本からの少年たちが見たこの塔はまだ中洲に建てられていたはず。1755年の地震でこのあたりは大きく隆起して岸とつながってしまったそうな。
貝も拾える 発見の記念碑はやはり大きいそれぞれの人物について、十年前よりはよほど理解することが出来るのが嬉しい。

バイシャ地区へ戻り昼食カタプラーナもおいしかったけれど、追加で注文したアスパラ炒めが好きなんです(^^)昼食後は国立古美術美術館へ向かいます

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