旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

奈良、牧野古墳(ばくやこふん)の巨大石室を下見

2022-02-05 07:00:58 | 国内
巨石が組み上げられた玄室の天井は予想を超える高さだった。

古墳の内部は通常入れない。
広陵町に玄室見学を申し込んでもしばらく返信はなかった。
二日ほどして突然「対応できます」と電話が鳴った。

四月の奈良《手造の旅》の本番前に下見。

事前資料で七メートルとあった玄室にまでの横穴.

破壊された石棺の上部が見えた。被葬者は押坂彦人大兄皇子(第30代敏達天皇皇子)かと推察されている。大化の改新で有名な中大兄皇子(後の天智天皇)の曾祖父。古墳時代と飛鳥時代がつながる。

1980年代に周辺にマンションが建設されることになり、半分埋って口だけ小さく開いていた石室を調査することになった。盗掘されてはいたが残されていたモノも多く、花崗岩をくり抜いた石棺が二つ安置されていたと判明。

発掘されたモノが広陵町役場に展示されているときいて訪れた。

入って案内板を見てもそれらしい場所が分からない。
「すいませーん、牧野古墳からの発掘物があると聞いてきたのですが」
若手の職員は奥の先輩に訊ねて
「外の別棟にあるそうです」とのこと。

いったん出てすぐ左に↑平屋の建物が見えた。
市の職員なら毎日この前を通っているにちがいないけれど、興味がないものは見えないのですね。

展示されているものは一見の価値がある↑牧野古墳からの発掘物↑

↑馬型の埴輪につけられていたらしい

↑つぼ鐙の部分はそっくりそのまま↓

千五百年前もデザイン感覚は今と変わらない(^^)

↓ここでいちばんの見モノになっているのは巣山古墳からのこの出土物↓

↑なのだが床に転がしてあって、我々のために覆いをさっと外してくれた↑これはいったい何?

↑須山古墳は馬見古墳群で随一の規模を誇る前方後円墳↑
掘の水を抜いて調査をしていると、遺体を運ぶのに使われたと思われる「喪船」が泥の中から現れた↓復元した姿がこれ↓

↓レプリカをつかって実物大↓復元

エジプトのピラミッドの傍からも分解された「太陽の船」が見つかったが、日本の古墳でも同じように葬儀に使われた船を分解して埋めていたとは!人間の考えることは似てくるのか。

多様な埴輪も見つかった↑

↑イノシシは縄文時代の土偶のモチーフにもなっていたっけ(^^)

巣山古墳の前を通ると↑地元ガイドさんが「あ、開いてますね、近くに行ってみますか」と言ってくださった。

堀の水を抜けるのは農閑期の冬だけ。重機をつかいつつ、地道な発掘と整備作業が続けられている。
**

こちらは復元されて頂上に登れる三吉石塚古墳(みつよしいしづか古墳)↑↓牧野古墳よりも古い五世紀前と推定される。頂上からまっすぐに二上山が遠望できる。

すぐとなりに宮内庁管轄の新木山古墳(にいきやまこふん)↑が見える。

***

広陵町は「かぐや姫の里」として宣伝中(^^)
四月の《手造の旅》ではそのあたりのお話もしてもらいます。


牧野古墳の巨石石室見学は、奈良に住んでいる方でもめったに見られないクラスの逸品。
石舞台に次ぐ大きさで、石舞台とは違いそのまま土に覆われている。
本番でもっと解説していただけるのが楽しみです。
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (荒井一成)
2022-02-13 22:35:33
これは何 木製の鍬の部分?
現在は金属(鉄)で出来ている部分?
返信する
Unknown (小松良一)
2022-09-25 07:43:02
荒井さん、レスポンスが超遅くてすみません。

馬具のミニチュア・金属の部分は銅に金めっきしてあるようです。
簡単にいえば水銀に金をとかして塗る方法ですね。
奈良・飛鳥エリアに古墳がたくさんあるのは周知のことですが、外側から見ているだけではいまいちその真価が感じられないと思っていました。今回の《手造の旅》で実際に内部を見られる機会をつくることができました(^^)
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