百年前の日本重工業繁栄の残滓が見えてきた
今は「犬島精錬所美術館」として再生されているが、百年前どんな場所だったのかを知らずには理解できない。
1909年から、第一次世界大戦後の1919年までの十年間、倉敷にあった帯江(おびえ)鉱山からの鉱石を運びこんでここで精錬していた。
足尾銅山での公害事件が知れ渡っていた時代、離島に移転して批判をかわそうとしたのだろう。
直島も、豊島も、かつてはそういった場所だったことを忘れてはならない。
建物は鉱石を製錬した時にでる滓(かす)=鉱滓を固めてレンガにした「カラミ煉瓦」でつくられている↑
これはしかし、美術館として整備していくことで安全に保存することができたのだ↑
美術館↑建物への入口(ここから先・内部は撮影禁止)三分一博志(さんぶいちひろし)氏の設計した建物↑
自然の力を利用した換気と水質浄化が行われるエコシステムは説明してもらってはじめて理解できた。
※こちらベネッセのページに解説されています
※建物内部の柳幸典作品の一部も見ることができます
内部の柳幸典作品は三島由紀夫の「鉄と太陽」をモチーフにしている。
大学時代に三島作品を愛読していた小松は妙な既視感に捕えられた。
「作品」には、なんと三島由紀夫がかつて暮した「平岡(三島の本名)邸」がばらばらのパーツになって使われていた。
解体されるタイミングで福武総一郎が買い取って保存していたのだそうだ。
別の作品では、割腹直前に自衛隊員に向かって行った「檄」の言葉が使われていた。
是非でなく、考えさせる場を出現させている。
**
↑港の近く、ちょっとした高台の上に小さな祠が見えた↑これは?
↑逆側は神社の入口だった↑石工が祈っていた場所なのだそうだ。
周囲四キロもない犬島は現在人口四十人ほど。
だが、石材の島としての歴史は江戸時代以前から。
大阪城の築城、現代には大阪港のために、大量の石が切り出され、最盛期の人口は五六千人にもなっていた。
※こちらのページに年表があります
↑山はどんどん削られ、地下まで掘り下げられ、今は池になっている↑解説されてはじめて理解できる場所↑
**
島に到着してすぐのランチは
↑港ですぐに見えてくる、チケットセンターにもなっている建物で
蛸飯をいただきました(^^)
***
犬島の家プロジェクト「F邸」名和晃平「Biota (Fauna/Flora)」
※こちらベネッセのページの解説にリンクします
遺跡をみているような敷石が描く絵が印象的
石職人の家跡~「太古の声を聴くように、昨日の声を聴く」(淺井裕介)
すぐとなりにはフツーに村の人が住んでいる。
「あの煙突の家のおばあちゃんがよくお話してくれるんですよ」とガイドさん、
あ、煙突といっしょに描かれている(^^)
一般的な美術館の作品とはちがう。
ここに立ち、場所が秘めている物語に思いを致す自分たちが参加して成立する「作品」。
そういう意味では↑こういう掲示板も「作品」ではないかしらん。
ベアトリス・ミリャーゼス 「Yellow Flower Dream」↑
この作品のすぐ横に↓
↑昔からこの石の台があるのだが、これが何に使われていたのかは分からないそうだ。
↑荒神明香 「コンタクトレンズ」
↑「これは『建物』ではありません」とガイドさん。
建築基準法が認めないので、止むなく屋根に穴を開けて「建物」ではないことにしたのだそうな。
人が近づいて安全な構造物でなくてはならないから、古民家やそこそこ大きな「作品」には建築基準の申請も必要だったりする。
※これらの作品の紹介には、アーティストだけでなく建築家も紹介されている
オラファー・エリアソン 「Self-loop」
港から
直島へもどる。
宇野行きのフェリーに乗るころ陽が暮れた。
今日は岡山から大阪・高槻の母宅に泊まる。
今は「犬島精錬所美術館」として再生されているが、百年前どんな場所だったのかを知らずには理解できない。
1909年から、第一次世界大戦後の1919年までの十年間、倉敷にあった帯江(おびえ)鉱山からの鉱石を運びこんでここで精錬していた。
足尾銅山での公害事件が知れ渡っていた時代、離島に移転して批判をかわそうとしたのだろう。
直島も、豊島も、かつてはそういった場所だったことを忘れてはならない。
建物は鉱石を製錬した時にでる滓(かす)=鉱滓を固めてレンガにした「カラミ煉瓦」でつくられている↑
これはしかし、美術館として整備していくことで安全に保存することができたのだ↑
美術館↑建物への入口(ここから先・内部は撮影禁止)三分一博志(さんぶいちひろし)氏の設計した建物↑
自然の力を利用した換気と水質浄化が行われるエコシステムは説明してもらってはじめて理解できた。
※こちらベネッセのページに解説されています
※建物内部の柳幸典作品の一部も見ることができます
内部の柳幸典作品は三島由紀夫の「鉄と太陽」をモチーフにしている。
大学時代に三島作品を愛読していた小松は妙な既視感に捕えられた。
「作品」には、なんと三島由紀夫がかつて暮した「平岡(三島の本名)邸」がばらばらのパーツになって使われていた。
解体されるタイミングで福武総一郎が買い取って保存していたのだそうだ。
別の作品では、割腹直前に自衛隊員に向かって行った「檄」の言葉が使われていた。
是非でなく、考えさせる場を出現させている。
**
↑港の近く、ちょっとした高台の上に小さな祠が見えた↑これは?
↑逆側は神社の入口だった↑石工が祈っていた場所なのだそうだ。
周囲四キロもない犬島は現在人口四十人ほど。
だが、石材の島としての歴史は江戸時代以前から。
大阪城の築城、現代には大阪港のために、大量の石が切り出され、最盛期の人口は五六千人にもなっていた。
※こちらのページに年表があります
↑山はどんどん削られ、地下まで掘り下げられ、今は池になっている↑解説されてはじめて理解できる場所↑
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島に到着してすぐのランチは
↑港ですぐに見えてくる、チケットセンターにもなっている建物で
蛸飯をいただきました(^^)
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犬島の家プロジェクト「F邸」名和晃平「Biota (Fauna/Flora)」
※こちらベネッセのページの解説にリンクします
遺跡をみているような敷石が描く絵が印象的
石職人の家跡~「太古の声を聴くように、昨日の声を聴く」(淺井裕介)
すぐとなりにはフツーに村の人が住んでいる。
「あの煙突の家のおばあちゃんがよくお話してくれるんですよ」とガイドさん、
あ、煙突といっしょに描かれている(^^)
一般的な美術館の作品とはちがう。
ここに立ち、場所が秘めている物語に思いを致す自分たちが参加して成立する「作品」。
そういう意味では↑こういう掲示板も「作品」ではないかしらん。
ベアトリス・ミリャーゼス 「Yellow Flower Dream」↑
この作品のすぐ横に↓
↑昔からこの石の台があるのだが、これが何に使われていたのかは分からないそうだ。
↑荒神明香 「コンタクトレンズ」
↑「これは『建物』ではありません」とガイドさん。
建築基準法が認めないので、止むなく屋根に穴を開けて「建物」ではないことにしたのだそうな。
人が近づいて安全な構造物でなくてはならないから、古民家やそこそこ大きな「作品」には建築基準の申請も必要だったりする。
※これらの作品の紹介には、アーティストだけでなく建築家も紹介されている
オラファー・エリアソン 「Self-loop」
港から
直島へもどる。
宇野行きのフェリーに乗るころ陽が暮れた。
今日は岡山から大阪・高槻の母宅に泊まる。