Remains of The Accidents

アクシデンツなページ

あわれことしのあきもいぬめり

2017年10月30日 | 子供たち



今年の秋はどこにもいかず、姫さまは受験勉強、王子は退屈、父も退屈の秋だ

数年前、紅葉を楽しむために軽井沢に出かけた

色づく木々に心はあらわれて、ハルニレテラスでもゆっくりとした時間を過ごした


それに比べて、今年の秋は少し寂しい

姫さまと遊べないし、来年になると王子も中学生で部活が忙しくて紅葉どころでは
なくなることは明白なので、よけいに寂しいのだ

 


この週末、修学旅行用の衣服をそろえるために奥さんと王子とともに買い物に出かけた

今どきの恰好をしてフィッティングルームから出てきた王子はもう中学生の体格で
いつの間にか大きくなっていた

子供というのは気づかぬ間に大きく成長しているものだとつくづく感じた

姫さまはいつの間にか高校生になる、王子ももう王子でなくなってきた
父は少し寂しく、でも少し頼もしく思っている

森の木の実は朽ちた木の上でしか芽吹かないというが、父も母もまだ朽ちたりしない

それでも、背伸びして、背伸びして父や母を超えていってくれ

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふと思い立って

2017年10月02日 | 単身赴任


紅葉で込み合う前に嵯峨野にでかけてみた


高校一年の年末になぜか旅行に行きたくなった
誰からともなく京都に行こうかという話が出て
確か明石駅の本屋か明石銀座の木村書店で小さなガイドブックを買った

当日までの何週間か、そのガイドブックを眺めては心を飛ばしていた
結果的には、京都駅から清水寺までバスで行き、そこから知恩院、平安神宮、哲学の道

銀閣寺と歩いて、最後に北野天満宮にお参りした

その時、時間があれば嵯峨野まで欲張ろうとしていた
ガイドブックに載っていた嵯峨野はどことなくはかない風情でその頃の自分を誘ったのだが、ついぞ嵯峨野に行くことはないままに何十年も経ってしまった


昨日、母を見舞って少し明るい話だったので
なんだか少し安心して散歩方々出かけることにした

特に下調べもせず、ただ地図を眺めていて嵐山から化野念仏寺まで歩いてみようかと考えた





そのガイドブックに載っていた念仏寺の記事、落柿舎の壁にかかった蓑など鮮明に蘇ってきた
あの本はおそらく自宅の物置にそのまま置いてあるだろう
母を看護する兄が「あの家もいつまでいるかわからんから、整理せんとあかん」と云っていた
母がいなくなるとあの家も処分することになる
化野の苔むした無縁仏を眺めながら、結局我々はどこからきて、どこにいくのだろうかといらぬことまで考えてしまった




結局、念仏寺から大覚寺を経てもう一度嵐山まで
初秋の嵯峨野は人も少なくて散策するには最適な環境だった
途中、うちの姫さまにメールした


姫さまの受験が終わったら、ゆっくり連れていってあげたい





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする