ブログの更新もしないまま、10月が過ぎて11月も終わりになった。
今週は長女とともにコロナに感染して独居房で暮らしている。
先週末に感染していたらしく、潜伏期間を過ぎた火曜日に発症した。
ちょうど前日に来年のことについて奥さんの話を聞いていた。
なぜか泣きながら状況証拠を並べていたが、自分としてはなにか違和感があって
仕方なかった。なぜ、自分が仕事にケリをつける時期を来年にするか再来年にするか
意見を聞いているだけなのに、泣きながら訴えてくるのかわからない。
きちんと話合いたかったが、残念だった。
これに対して「なぜ泣くのか、泣くような話ではないじゃないか」とでも言おう
ものなら、後にほぼ必ず「人の気持ちがわからない」と非難されるので今回もただ
ただ聞いていることにした。するとすぐに発言は途絶えて沈黙となってしまう。
女性脳というものは「論理」や「客観性」よりも感情をもとに動くものだという
ひとがいたが、まさにそんな感じだ。そしていつも病は膏肓に入ってしまう。
その場で、時間決めて会話の続きを待ったが、動きは止まったまま時計だけ進む
わけで、ほかの話に流して結論には至らずに終えた。
ただ、そういうことかと。
来週初めに上席者と面談するのだが、状況次第で4月に辞めることも考えて臨むことになる。
コロナに感染しても代わりに仕事をしてくれる人もなく、発熱した翌日も携帯電話で取引先
とやりとりを続けるようなきつめの仕事はもう要らない。
無論、上席者はフォローするように言っておいたから、誰かに引き継げというが
そう簡単に引き継げるのであればそうしているだけの話だ。
仕事を続けるのはしんどいことだと思い知らされた印象だ。
結局「つべこべ言わずに「辞めろ」と言われるまで働いていりゃいい」が答なのだろう。
結局、誰かと一緒にいるだけでこうやって気を遣って生きていかなければならない。
それは最も疲れることだけど、悲しい性だ。これは生まれ持ったもののようだ。
さて、そうはいうものの残された時間は家族の誰よりも短いのは事実であって、仕事に
左右されていては楽しむことはできない。
今回、夏には久々のメンバーでのツーリングに出かけたが、大雨の中でもインカムを
通して話しているだけで結構楽しいものだった。
また、その後出張にかこつけて同じメンバーで周山街道から鯖街道を回ってきたのだが
これも結構楽しく走れた。
冬にはスキーに行こうということになり、忘年会も企画する。
皆、「「辞めろ」と言われるまで働く」という。
来年の話は来週の面談しだい。いろんな話がどう伏線を回収して、どんなエピローグに
なっていくか・・・。
旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る
願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の望月のころ
おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり
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