先週末は長男が練習試合のために他校に赴くのを送った。
早朝の出発だったが、電車で行くよりはずいぶんゆっくりできるのだという。
都内の学校なのでどうしても対戦相手も都内、所属している地区が西東京地区なので
JR中央線や京王線の沿線に出向くことが多い。
この日も多摩川を超えて小平まで送ることとなっていた。
さてさて長男を送っていくだけではもったいないので、帰りに単独で小金井公園を歩くこと
としたら、珍しく奥さんも早起きしてついてくるという。
小金井公園はすごく広く、その敷地の中に江戸東京たてもの園がある。
先週は残念ながらたてもの園はまだ「まん防」で休園、仕方ないので公園の外周を都合
2時間、距離にして6kmほど歩いてきた。
SLも静態展示されていて小さい子供をつれた夫婦が写真を撮っていた。
宮崎にいたころ、自宅近所にあった児童交通遊園にもSLが展示されていたのを思い出した。
ことあるごとに宮崎を思い出すのはよくないのだが、あのころが最も楽しかった証拠であり
仕方ないかと思う。
そんな風景をみながらWalkingを終え、日常生活用の買い物をして帰宅。
既に午後になってしまったが、早朝から少し運動したのですこぶる気分がよい。
さて、多摩川水系が広大で肥沃な武蔵野平野を造った結果、武蔵野には大きな公園や霊園
が散在し、小金井公園から南にくだると野川公園や多磨霊園などもある。
まだまだ長男の遠征も続くようなので、用のない週末は長男を送ったあとに公園めぐりを
続けようと思っている。
ところで、最近はひとりで黙々と歩きながら妄想するのが楽しみとなっている。
もちろん奥さんが散歩につきあってくれるのもよいのだが、懐かしい曲を聴きながら
黙々と歩いていると、そこにはいない架空の自分とその生活が思い描かれる。
大抵は、田舎家に引きこもって畑を耕し、薪を焚いて暮らしている自分の姿だ。
井戸水を汲み、風呂を沸かした余熱で床を温める。
電気は、敷地においたソーラーパネルから昼の間に蓄電したものを使う。
海辺の借家に育った身なので、よほどでない限りそんな暮らしは望めないし、実現した
としても年齢からして何十年も暮らせるわけでもない。
負の遺産として引き継ぐことになって子供たちに迷惑がられることは避けられない。
「旅に病んで夢は枯野を駆け巡る」とは芭蕉の終の一句、彼はこの句を作った4日後に
その生涯を閉じたとされている。
まだ身体はそう病んでいるわけではないが、最近「心」が少ししんどくなっている。
できれば
"Old soldiers never die, they simply fade away"
といった風にいなくなりたいものだ。