夏季休暇、九州への旅行を取りやめて一人で伊豆半島を周ってきた。
食事以外はだれとも接触せず、ただ黙々と約500km走ってきた。
伊豆は、随分以前にツーリングに行ったことがあるが、それこそ数十年前のことで
ほとんど記憶にない、ただ写真が残っていたのでその写真が記憶にあるだけだ。
大瀬崎には、一度家族でシュノーケリングに出かけたことがあるがそれより先は
初めてといってたよい場所だ。
西伊豆の海辺、断崖を結んでいる道を縫うようにSV650ABSを走らせる。
今回借りたSV650はまるでスクーターといってよい乗りあじ、3速にいれておけば
あとはスロットルの開け閉めだけで急峻な半島の道を駆け上がり、下ってくれる。
面白い単車ではない。ただ、楽な単車だ。
楽をしながらヘルメットの中では色々と考える。
自分自身の仕事にも、生活にもあまり「張り」がない。
張りはなくとも適当に進めるのだが、少し先のことを考えたりすることが空しくなってしまう。
丁度ここ10年携わっている仕事たちも、なにやら時代遅れのサービスを現代風に少し色を
つけて売っているだけで、最新のものに比べて全く劣後している。これをなんとか売り込んで
いこうとしている自分が滑稽に思えて、また記憶力の薄れた自分自身にもうんざりしている。
ここまでなんとか生き延びてきたけれど、ここから何をもって生きていくのか。
前日走った富士周辺の道は、昨年から何度も走っていて、このコーナーの向こうにあるのが
どんな景色かわかってしまい、走っていてももう新鮮味がない。少し道を外れて知らない
ところに進んでも、所詮山道が続くだけ。早々に飽きて宿に入ってしまった。
大瀬崎、戸田、土肥、松崎と単車を進めていく。コーナーの先は知らない道ばかり、駿河湾
の景色は素晴らしく、幸い雨にも遭わずに昼時には下田の街に着いた。
下田の街中、おそらくいつもの年であれば海水浴客でにぎわっているはずの駅前通りも
それほどの人出ではない。
昼食を摂って、また走り出す。
ここからは反転して東海岸を上がっていく。
いくつか隧道を抜けると展望台に出た。
上半身裸になって休憩している少年たちがいた。
いつも使っている自転車で半島を遠出してきたらしい。
真っ黒に焼けた体で展望台を出て坂道を下っていく。
くだらない冗談を言いながら、一人おいて行きながら、汗をぬぐいながら。
自分たちのツーリングも、仕事も、人生もあんな感じだったはずだ。
この隧道の先にあるものなど知らず、降りた坂道はいつか登ってこなければならないこと
など考えもせずに。
ただ、仲間がいて、一緒に汗をかいていれば、それで楽しかった。そんな暮らしだった。
河津からは七滝ループを登って、天城峠を目指して走る。
途中、旧天城隧道に行ってみようとしたが、途中から砂利道になり
扱いやすいといいながらも大型バイクでいくところではなさそうだ
ったので怪我をせぬうちに降りてきた。
あの少年たちなら、自転車を押してでも登って行っただろう。
登った先にただの暗い隧道があるだけでも。
それでも怖がりながら、大きな声を出しながらトンネルを走れば
いつか、なつかしい思い出話ができてしまうのだろう。
その後、浄蓮の滝まで降りてきて、SV650を停めた。
滝つぼに近づいて、その豊富な水量に圧倒された。
そしてしぶきを浴びながら、スマホで動画を撮ってきた。
動画でないとその迫力が伝わらないと思ったら、ふと考えが改まった。
あの少年たちも、今どきの少年たちだ。
もしかしたら、旅の記録をYoutubeに上げているのかもしれない。
彼らの時代の常識は、彼らのみの常識ではないはずだ。
自分にもこの時代の楽しみ方はいくらでもある。
コーナーの先に新鮮味がなくなった?
走り続けても空しくなった?
上等な単車、高価なカッパにプロテクタまで用意して、揃いすぎた装備、余裕のある日程で
走っていて何をほざいているのだ。
最後に気づいたのは、いつの間にか無理をしなくなった心の老化だ。
いつのまにか心が年を取ってしまった。
さて当面は、「できない。無理だ。」を許してしまう、この年老いた自分のこころと戦わな
ければならなくなった。
伊豆でふと考えたことだ。