連休当初が母親の法事と重なり神戸で過ごしていたのは既報のとおり
その後、自宅に戻ったものの神奈川はあまりよい天気ではなかった
連休前に、姫様から山登りしたいとLINEが入り、王子は温泉に行き
たいと云っていた
箱根の温泉に泊まることも仮押さえしていたが、部活の予定など
変更不可の部分もあってキャンセル
県内山北町にある低山にハイキングに出かけた
最近はなかなか早朝出発も困難になり、例のごとく予定より30分ほど
遅くなりながら出発
すでに東名高速は渋滞中、渋滞に入ってからスマホで確認すると
並行しているR246はさほど渋滞していなかったので
横浜青葉ICでR246に乗り換えて、そこからはずっと国道で西進
そこそこ混んでいたものの、11時前には目的地とした山北つぶらの
公園に到着した
この公園は2年ほど前にできたばかりの新しい県立公園で駐車場も
キレイ、大野山への登山道の中腹にあって、体力不安とする奥さん
にもちょうどよい行程がとれるので採用した
駐車場のトイレ工事も完了しており、快適な出発点だった
駐車場から町道を少し進んだところに登山道の入り口
JR御殿場線谷峨駅からの登山が普通のルートらしいのだが、ここは
奥さんの体力優先、1時間ほどのハイキング
子供たちは余裕で駆け上がっていく
父は、翌日のひざ痛を避けるため当初からノルディックウォーキン
登りも下りも、このストックが足腰への負担を和らげてくれるのと
下半身ばかりこき使う登山をほぼ全身運動にしてくれるので
非常によい道具だと思う
前日、子供たちと温水プールで1時間ほど泳いだのだが
さして影響なく、往復2時間ほどの工程は終了
つぶらの公園でテニス遊びでもしてから温泉に行こうということで
公園の中心に向かうとスタンプラリーをしているから参加してくれと
早速、園内8か所を周ってスタンプをコレクト、苗やキーホルダーを
頂戴して感謝感謝
その後、林道を下りて丹沢湖方面、奥の方にある中川温泉に向かった
連休中、且つ夕方の混雑時ではあったけれどなんとか入浴して休憩
夕食は、奥さんリクエストでR246厚木にある「カウボーイ家族」で
ハンバーグを食べた
少し前に出川哲朗の充電旅を見ていて、静岡のローカルハンバーグ
チェーン「さわやか」を見たときにハンバーグが食べたくなっていたそうな
ぜひ「さわやか」にも挑戦したいが、静岡県に用事がないのと
少なくとも数時間待ちの人気に腰は引けている
その後、東名が渋滞する中、R246は快調
1時間かからずに自宅まで帰着、逆に帰着後すぐにバタンと就寝するはずの
奥さんが洗濯を始めるほど
G.W.の一日、まあ「さわやか」に過ごせたかな
ふるさと明石は海峡の街、今日も流れの早い海を多くの船が行きかう
海の上には明石海峡大橋が通り、無数の自動車が行きかう
さらにその上を神戸空港に降りる飛行機が飛ぶ
古えの昔から明石は西国交通の要所だ
父はこの街で育った
25歳のとき、ちょうど平成になった年に東京に移り
今回は27年ぶりの関西在住だった
今回、転勤で関西を去ったにもかかわらず、法事のために今一度
故郷に帰ってきた
在住している間、なかなか自由にこの街を徘徊できなかったので
今回は思い出の地をぐるっと一回りしてみた
最初に立ち寄ったのはやはり"海"
海がなければこの街はないし、海なしにはこの街は語れない
写真は藤江海岸、今もこの上に療養所がある
若かりし頃は療養所の空き地に車を止めてよくこの海岸に降りたものだ
このあたりは海岸段丘といい、海岸が海流に侵食され崖になっている
崖の下が砂浜
なんだか、今でもあの頃聞いていた唄のリフレインが聞こえてくるようだ
一度、海岸を離れて山間部に向かった
明石駅から、との位だろう恐らく10km程度のところ
伊川谷を伊川の源流に向かって進んでいくと
古刹/太山寺にたどり着く
6年生の夏休み、友人二人と自転車でこの寺までサイクリングに来た
その時に撮影した写真を大事に持っている
クラス一怪力で、動じないやつと、なぜかいつもいつも明るい
少し変わったキャラの友人と楽しそうに早生っている写真だ
その後、怪力君は父親の仕事の都合といい、転居してしまったことで
音信が途絶えたのだが、確か高松に行ったと聞いたのが最後だった
その太山寺の奥の院に通じる橋がある
この川の河原で飯盒炊爨したことがあった
町内会のソフトボールチームの面々と楽しんだのだが
往復とも、トラックの荷台に隠れて行ったのを覚えている
この翌日、山陽電車でそのときのコーチを見かけた
もう相当の年寄りで、父のことを見ても判っていないようだった
あの当時、町内会子供会は活発で、季節ごとに何かしらイベントがあった
そんなに貧富の差のない(大体、みな貧乏だった)街だったので目線がそろって
いたのだろう、アットホームな雰囲気だった
昭和は遠くなりにけり
昔、遊んだ野原や荒れ地、空き地の類はほとんど住宅地となってしまっていた
明石には、自動車運転試験場があり、兵庫県の人たちにとっての明石は
天文科学館か試験場だったはずだ
その試験場のコースの中に調整池があった
一般の人は出入りできないのだが、小学生だった父たちはよく排水路から
遡ってその池に忍び込んでは遊んでいた
その池の下、試験場の外周路の下にも林の中にため池が一つあった
この地区の農業はため池(灌漑池)に頼っていたので、方々に残っていた
一方で、ため池での事故も多く、子供たちがため池に近寄ることは禁忌であった
その林の中のため池を見つけたときも、子供ながらにドキドキしていた
一緒に見つけた友人たちとお互いに秘密にすることとして「冒険池」と名付けた
それから4年生の間は時々、その池に集まっては色んな話をした
誰かが落ち込んでいると集合がかかった
先生に対する愚痴、親に対する不満
4年生にしてはませていた
ただ、そのメンバーの中に大好きだった女の子がいたから
ちちは別の意味でいつもドキドキしていた
地元の高校教師の娘さんであり、のちにその父親に地理を教えてもらうこととなる
高校生となり、部活を選らこととなった
運動部/体育会の上下関係や非合理的練習に嫌気が指していたので
そっちの方向はさらさら考えていなかった
いま、父親になってみて王子がこの先どんな選択をしていくのか
あの時の父のように嘱望されながら、逃げるように文化部に進むと
云いだしたらどうしようかと考えてしまう
そして同時に、そう云われた実の父親はどんな気持ちだったのだろうかと
しみじみ懸念してしまう
親の心、子知らず
子の心、親知らず
さて、明石の海に帰ってきた
明石の海は清らかに玉にも似たる水のいろ
小学校の校歌、大好きなこの校歌から姫様の名前をもらった
藤江から少し東に進んだ林崎海岸にはムーミンパパがある
会社に入ったころ、そこにヨットを預けていた
大阪から1.5時間くらいのところ、リゾートっぽい遊び場だった
そのころ、垂水には「WeatherReport」があり、須磨から明石は
関西の西海岸、関西の湘南となっていた
まさに通う千鳥も多くいたはずだ
逆を向いて魚住まで西に移動すると住吉神社がある
この公園は春の日、ひねもすのたりのたりとする茅渟の海が楽しめる
学生も終わりのころ、バイトの休日、そごうは水曜日が定休
そんな午後をここで彼女と楽しんだ
何もせずに膝に頭を乗せてよもやま話を続ける
話しても話しても尽きることはがなく
ただうとうとしながら春の陽に抱かれながら過ごしていた
Just Like Paradise
住吉神社の能舞台
同じく、藤棚
ちょうど盛りのころ、キレイに咲いていた
この後、二見の埋め立て地、高砂/加古川の河口の公園
平荘湖、河川敷のテニスコートと色々巡ったり巡らなかったり
結局、学生時代の時間のあるときに過ごした街が最も思い出の
多い土地になるようだ
なにげない毎日が風のように過ぎていく
この街で、君と出会い
この街で、君と過ごす
この街で、君と別れたことも
僕はきっと忘れるだろう
それでもいつかどこかの街で会ったなら
肩をたたいて微笑んでおくれ
(詩;岡本おさみ)
そんな気持ちも忘れるくらい年をとった