昨日から夏休み。家族の都合もあって旅に出るのは明日からの3日間となる。
もう家族で旅にでるのも最後かと思う。
夏休みだから旅行というのも、旅行に行くなら家族というのもなんだか
ただの慣習であり、あまり意味はないようだ。
夏の暑さに対してどうしようもなかったころには、夏はあまり無理せず
に身体を休めようとしたのだう、その名残が夏休みか。
実際には家庭・職場・教室にはそれぞれ空調があり、エネルギーさえあれば
暑さに窮することはない時代なのでことさらに夏に休む理由はない。
また、家族と云ってもそれぞれの趣向や好みは一つではないので、たとえ
いっしょに旅にでても食事ひとつ決まらないこともある。
そういってしまうと、日頃働いている自分のために色々と気を遣ってくれている
ことにも気づいており、申し訳なくなってしまう。
やはり、お父さんというものは、元気で一人で外遊びしているのがよいようだ。
夏にはいろいろな思い出がある。
自分が育った街は眼前に海が広がり、海岸段丘の間には谷戸が伸びていた。
農業用のため池も多く、田んぼは青く伸びた稲に覆いつくされていた。
海は既に護岸工事が施され、国道がその上を通っていたが、国道を超えて
護岸のテトラポットの先でよく泳いだものだ
もともと遊泳禁止区域でもあってあまり人は来ない場所だったのだが
泳ぐ前に蛸を採るワナをしかけておいて、釣り竿を出したままにして
何時間も海に浮いていた。
海に出ない日は、駅前のデパートか、汽船乗り場近くのゲームセンターで
涼しく過ごしていた。
夕刻、海から帰った後に冷えたルートビアを飲みにA&Wに出かけては
夕立に振られていたような気がする。
高校は共学であり、理系の部活動をしていたので、夏休みは部活上がりに
よくお好み焼きも食べに寄った。
仲の良い女子部員と後輩君を連れて色んな所に出かけた。
花火大会、海水浴、六甲山での合宿、夏休みはいろんなことをして過ごした。
自分はいろんなことがやりたくて、やりたくて仕方ない人間。
いろんなことをやってきてまだまだ足りないのだ。満たされてない。
そして、満たされていないのはずっと自分だけ。
周りの人間は、時間とともに歳をとって変わっていき、それぞれの大人になっていく。
大人になってそれぞれなにかに満たされていくようだ。
が、自分はそうではないようだ。
自分はいつまでも、恐らく死にいくその時までも、明日なにをしようか考えているはずだ。
この歳の夏休みはなにをしようか。